最近、建築業界に再び 足を突っ込んでいます。
とはいえ、
ただのバイトの身ですが。
*
何をしてるのかというと、
模型を作っています。
今日はカスミソウで木を作ったりもしたよ。これはほぼ“本業”みたいなものなので、
本気モード。いや、楽しかった。
いま大急ぎで作っているのは
都市計画系の模型。「200分の1」という、大きなスケール。
その割には、
ミリ単位の繊細さが要求される、とても芸の細かい作業の数々。
建築って、
どんだけ大きかろうが小さかろうが、とにかくミリ単位。
ミクロに近づいたり、
マクロに遠のいたり を、
繰り返しては、繰り返し。
大胆 かつ 繊細な神経を要する。
そして、
長期戦。
進んでは、やり直して。
くたびれる仕事です。
特に今はもう、パソコンにらみっぱなしだったりするから、
なおさら、くたびれるでしょう。
(パソコンって、なんなんでしょうかね。あの疲れる感じ。なんか、吸い取ってるのかしら。)
いずれにしても
建築業界で働いている人って、本当にタフ。
自分はほんと無理だと思うので、リスペクトせずにいられない。
お疲れ様です。
*
模型を作ってると
いつの間にか あっけなく
一日が終わってしまいます。
仕事はなかなか終わらないのに。
時間の流れ方ばかりは、異様にスムーズ。
よりにもよって、地下室の、窓から遠い 奥の奥。
休憩も ほとんどとる事なく。(それは自分の責任でもあるけど。)
夕飯は、ありがたいことにテンヤ物の出前をとってもらえるので、
おかげさまで、食費が浮いて、これ幸い*
なのですが
代わりに 一歩も外に出ることなく、
気づいたら、
夜になっている。
というか
気づかないうちに、
深夜になっている。
この事態はけっこう、
自分としては、ショッキング。
常日頃、なるべく、自然の流れに触れて生きていたいとおもっているから。
ああ、今日は、外の動きをほとんど見てないぞ。
あの木の冬芽や あの花のつぼみは、どこまでふくらんだろう。
沈丁花はどこだろう。
って、
ぼんやり想いながらの、帰り道になります。
じーっと凝らす気になれないほど くたびれて眠たい目を
無理に凝らしてみても
見えない。
すでに風景は 闇にすっかり落ちて、
樹々のさきっぽの 小さな変化の様は、
影のかたまりになって、
すっかり見えない。
この春先に。
ちょっと口惜しい。
仕事があるのは嬉しいし、大変有り難いけど、
なんだか損をしている気もしてしまう。
全くぜいたくだけど、もどかしい。
夕焼けを見たい。
*
帰宅するのは、やっぱり日をまたいでしまいます。
ここのところ、もっぱら午前様。
ほんのちょっとだけど、午前様。
「午後様」って、あまり聞きませんね、そういえば。
まあそれはさておき。
ほんと、数分から一時間にも満たない程度なんだけど、
午前様。
でもその ちょっとだけですら、
「ああ、“今日”のうちに帰れなかった。」
「ああ、もう“明日”になってしまった。」
って、
なんか 残念な気持ちになるのは、
やっぱり、
一日の締めとしては、締まりが悪いものです。
「あと数時間後に起きて、また出社するために、とにかくもう何もせず、
とにかくさっさと寝なければ、、」
って、
思わさせられる。
一日が
終わるようで何も終われない、終わらない終わり方。
ずぶずぶと泥沼を廻っているような、
終わりの無い感じ。
これって、、、
なんだかなあ。。。
*
願わくば:
一日の終わりに
眠りに就く前に
ほっとするためのお茶タイム や
ちょっと本を読んだり ぼーっとしたり
音楽を聞いたりする
そんな ゆとりは、やっぱり 欲しい。
(ああ、そういえばこの前、やたら忙しくなった友人も、そう言ってた。)
一日という ごく限られた時間の中でも、
張りつめた緊張感を要する“仕事”というものに費やす時間と
ほどよいバランスで
色々な楽しみや慰みのために費やす時間は、
必要だと想います。
単純に、時間量で決まるバランスではなく、
たとえば:本を数ページでもめくる、10分でもあれば、
だいぶ良いと思う。それは、きっと、人それぞれ。
その“ほどよいバランス”は、自分の満足度で測るもの。
でも
そういうゆとりタイムを 極力ゼロに抑えなければならない、
ゆとりをおろそかにしなければならない、
っていう、
その 忙(せわ)しなさ。それって、どうなんだろうか。
それは、やっぱり、
気づかないうちに からだも心も消耗してしまう。
そして、後が続かない。
今日と明日が割り切れない、
余裕の無い、そんな生活。
そういうのが平気な人も、もちろん居るんだろうし。
仕事大好き、それだけでいい、っていう人も居るだろうし。
夜型のバイオリズムの人もいるだろうし。
だけど、
自分には、そういう生活は、
ぜったい無理だな。
というか、
イヤだな。
そういう確たる気持ちもあって。
よりにもよって、その最たる職業だと見えた建築から道を逸れて、
“庭”という世界に行ったのでした。そもそも。
建築という世界は、とても面白いし、今でも大好きなんだけど。
そこで自分は生きられるか、となると。
やっぱり違う。
自分のバイオリズムが合う望ましい流れとは、ちがう。
一方、
造園という世界のバイオリズムは、フィットした。
造園屋での生活 & 秋田の森での生活で、
すっかり身に付いた、
お天道さま主体のバイオリズム。
朝8時:スタート
10時:休憩
12時:昼食
15時:休憩
夕方17時:仕事 強制終了
陽が昇ったら起きて、
陽が落ちたら終了。
夜は、完全プライベートな時間。
しっかりとからだに染み付いた、バイオリズム。
しっかり組み込まれた体内時計。
いまでも 12時きっかりにお腹がすきます。
いまでも 17時きっかりに、集中力が途切れます。
このバイオリズム。
一度身に付いたら、とても、楽だった。
自然のリズムに準じた生活。
季節のながれに準じた生活。
理想はやっぱり、そこだと思います。
人それぞれだけど。
自分の望むバイオリズムは、このリズム。
このリズムを狂わされると、調子が悪くなったり、イライラしてしまったりする。
だけど、
自分のリズムを守りぬくことって、
なかなか難しい。
都会というところで生きるには。
都会で廻っている、いろんな仕事というものをやりくりしながら、
ただ生きる、それだけでも。
都会っていうのはやっぱり、どんなに街路樹や庭があっても
それにふれているか?って言われたら、そういえば直に触れてるわけじゃないし。
一方
流れている時間の速さは しっかりと“不自然”なので、
よほど意識して
自分のバイオリズムやバランスを、可能な限り大切に護っておかないと、
あっさり呑まれてしまう。
その“不自然”の大きな流れの、圧倒的な力に。
そして、
崩れてしまう。
からだか、こころが。
より正確に言えば、
からだも、こころも。
都会に居ると、
“自然”は、ほんとに遠くなる。
しっかり意識して、離れないようにしておかないと。
そこらじゅうにあるようで、やっぱり、無い。
ちなみに
自分がとりあえずとっている具体的な方法は というと、
植物を、自分で育てる、ということ。
花の鉢物や、ハーブや、観葉植物。
最近、
アスパラガスが枯れてしまった。
すごく申し訳なくて、哀しい。
まだまだ力不足だ。
*
やっぱり
午前様とか、やだなあ。
自分の生きたい流れは、
こっち(庭)であって、
そっち(建築)ではないんだなあ。
っていうのを
今回も、何度目かの再確認をさせてもらいながら
でも
おそらく 今の自分にとって必要だから現れた“修練”だと思って
淡々と、頑張っています。
ただ、
バランスを崩さないように、気をつけながら。
自分のバイオリズムを黙殺するほどに 頑張りすぎないように。
からだの声を、意識しながら。
とにかく今は、修練の時。
明けて、今日も。
頑張ります。
みんなも、頑張ってね。
なんて、
軽々しく言えないけど。
「自分を大切に」
「自分にやさしくね」って言われたりするけど、
それじゃあ、
「要するに、何をどうすればいいの?」って、前から首を傾げてた。
けど、
要するに
「自分のバイオリズムを大切にしなさい」
ってことなんじゃないかなと、
今なんとなく、思っています。
自分のバイオリズムの流れとちがう“波”に乗らされた時は、
とにかく、
無理しない。
流れにはとりあえず乗るけれど、
絶対、無理はしないように。
逆に、
乗るべき波が来たら、ちゃんと乗れるように。
その来るべき波が いざ来た時には、
ちゃんと乗りこなせるほどの“元気”が、しっかり貯えられているように。
っていうのを、気をつけようかなと。
今、思っています。
one of 午前様s として。
*
そんなわけで、
まだしばし続きそうな、修練の日々。
午前様デイズも、もうちょい続きそう。
とはいえ、
ただのバイトの身ですが。
*
何をしてるのかというと、
模型を作っています。
今日はカスミソウで木を作ったりもしたよ。これはほぼ“本業”みたいなものなので、
本気モード。いや、楽しかった。
いま大急ぎで作っているのは
都市計画系の模型。「200分の1」という、大きなスケール。
その割には、
ミリ単位の繊細さが要求される、とても芸の細かい作業の数々。
建築って、
どんだけ大きかろうが小さかろうが、とにかくミリ単位。
ミクロに近づいたり、
マクロに遠のいたり を、
繰り返しては、繰り返し。
大胆 かつ 繊細な神経を要する。
そして、
長期戦。
進んでは、やり直して。
くたびれる仕事です。
特に今はもう、パソコンにらみっぱなしだったりするから、
なおさら、くたびれるでしょう。
(パソコンって、なんなんでしょうかね。あの疲れる感じ。なんか、吸い取ってるのかしら。)
いずれにしても
建築業界で働いている人って、本当にタフ。
自分はほんと無理だと思うので、リスペクトせずにいられない。
お疲れ様です。
*
模型を作ってると
いつの間にか あっけなく
一日が終わってしまいます。
仕事はなかなか終わらないのに。
時間の流れ方ばかりは、異様にスムーズ。
よりにもよって、地下室の、窓から遠い 奥の奥。
休憩も ほとんどとる事なく。(それは自分の責任でもあるけど。)
夕飯は、ありがたいことにテンヤ物の出前をとってもらえるので、
おかげさまで、食費が浮いて、これ幸い*
なのですが
代わりに 一歩も外に出ることなく、
気づいたら、
夜になっている。
というか
気づかないうちに、
深夜になっている。
この事態はけっこう、
自分としては、ショッキング。
常日頃、なるべく、自然の流れに触れて生きていたいとおもっているから。
ああ、今日は、外の動きをほとんど見てないぞ。
あの木の冬芽や あの花のつぼみは、どこまでふくらんだろう。
沈丁花はどこだろう。
って、
ぼんやり想いながらの、帰り道になります。
じーっと凝らす気になれないほど くたびれて眠たい目を
無理に凝らしてみても
見えない。
すでに風景は 闇にすっかり落ちて、
樹々のさきっぽの 小さな変化の様は、
影のかたまりになって、
すっかり見えない。
この春先に。
ちょっと口惜しい。
仕事があるのは嬉しいし、大変有り難いけど、
なんだか損をしている気もしてしまう。
全くぜいたくだけど、もどかしい。
夕焼けを見たい。
*
帰宅するのは、やっぱり日をまたいでしまいます。
ここのところ、もっぱら午前様。
ほんのちょっとだけど、午前様。
「午後様」って、あまり聞きませんね、そういえば。
まあそれはさておき。
ほんと、数分から一時間にも満たない程度なんだけど、
午前様。
でもその ちょっとだけですら、
「ああ、“今日”のうちに帰れなかった。」
「ああ、もう“明日”になってしまった。」
って、
なんか 残念な気持ちになるのは、
やっぱり、
一日の締めとしては、締まりが悪いものです。
「あと数時間後に起きて、また出社するために、とにかくもう何もせず、
とにかくさっさと寝なければ、、」
って、
思わさせられる。
一日が
終わるようで何も終われない、終わらない終わり方。
ずぶずぶと泥沼を廻っているような、
終わりの無い感じ。
これって、、、
なんだかなあ。。。
*
願わくば:
一日の終わりに
眠りに就く前に
ほっとするためのお茶タイム や
ちょっと本を読んだり ぼーっとしたり
音楽を聞いたりする
そんな ゆとりは、やっぱり 欲しい。
(ああ、そういえばこの前、やたら忙しくなった友人も、そう言ってた。)
一日という ごく限られた時間の中でも、
張りつめた緊張感を要する“仕事”というものに費やす時間と
ほどよいバランスで
色々な楽しみや慰みのために費やす時間は、
必要だと想います。
単純に、時間量で決まるバランスではなく、
たとえば:本を数ページでもめくる、10分でもあれば、
だいぶ良いと思う。それは、きっと、人それぞれ。
その“ほどよいバランス”は、自分の満足度で測るもの。
でも
そういうゆとりタイムを 極力ゼロに抑えなければならない、
ゆとりをおろそかにしなければならない、
っていう、
その 忙(せわ)しなさ。それって、どうなんだろうか。
それは、やっぱり、
気づかないうちに からだも心も消耗してしまう。
そして、後が続かない。
今日と明日が割り切れない、
余裕の無い、そんな生活。
そういうのが平気な人も、もちろん居るんだろうし。
仕事大好き、それだけでいい、っていう人も居るだろうし。
夜型のバイオリズムの人もいるだろうし。
だけど、
自分には、そういう生活は、
ぜったい無理だな。
というか、
イヤだな。
そういう確たる気持ちもあって。
よりにもよって、その最たる職業だと見えた建築から道を逸れて、
“庭”という世界に行ったのでした。そもそも。
建築という世界は、とても面白いし、今でも大好きなんだけど。
そこで自分は生きられるか、となると。
やっぱり違う。
自分のバイオリズムが合う望ましい流れとは、ちがう。
一方、
造園という世界のバイオリズムは、フィットした。
造園屋での生活 & 秋田の森での生活で、
すっかり身に付いた、
お天道さま主体のバイオリズム。
朝8時:スタート
10時:休憩
12時:昼食
15時:休憩
夕方17時:仕事 強制終了
陽が昇ったら起きて、
陽が落ちたら終了。
夜は、完全プライベートな時間。
しっかりとからだに染み付いた、バイオリズム。
しっかり組み込まれた体内時計。
いまでも 12時きっかりにお腹がすきます。
いまでも 17時きっかりに、集中力が途切れます。
このバイオリズム。
一度身に付いたら、とても、楽だった。
自然のリズムに準じた生活。
季節のながれに準じた生活。
理想はやっぱり、そこだと思います。
人それぞれだけど。
自分の望むバイオリズムは、このリズム。
このリズムを狂わされると、調子が悪くなったり、イライラしてしまったりする。
だけど、
自分のリズムを守りぬくことって、
なかなか難しい。
都会というところで生きるには。
都会で廻っている、いろんな仕事というものをやりくりしながら、
ただ生きる、それだけでも。
都会っていうのはやっぱり、どんなに街路樹や庭があっても
それにふれているか?って言われたら、そういえば直に触れてるわけじゃないし。
一方
流れている時間の速さは しっかりと“不自然”なので、
よほど意識して
自分のバイオリズムやバランスを、可能な限り大切に護っておかないと、
あっさり呑まれてしまう。
その“不自然”の大きな流れの、圧倒的な力に。
そして、
崩れてしまう。
からだか、こころが。
より正確に言えば、
からだも、こころも。
都会に居ると、
“自然”は、ほんとに遠くなる。
しっかり意識して、離れないようにしておかないと。
そこらじゅうにあるようで、やっぱり、無い。
ちなみに
自分がとりあえずとっている具体的な方法は というと、
植物を、自分で育てる、ということ。
花の鉢物や、ハーブや、観葉植物。
最近、
アスパラガスが枯れてしまった。
すごく申し訳なくて、哀しい。
まだまだ力不足だ。
*
やっぱり
午前様とか、やだなあ。
自分の生きたい流れは、
こっち(庭)であって、
そっち(建築)ではないんだなあ。
っていうのを
今回も、何度目かの再確認をさせてもらいながら
でも
おそらく 今の自分にとって必要だから現れた“修練”だと思って
淡々と、頑張っています。
ただ、
バランスを崩さないように、気をつけながら。
自分のバイオリズムを黙殺するほどに 頑張りすぎないように。
からだの声を、意識しながら。
とにかく今は、修練の時。
明けて、今日も。
頑張ります。
みんなも、頑張ってね。
なんて、
軽々しく言えないけど。
「自分を大切に」
「自分にやさしくね」って言われたりするけど、
それじゃあ、
「要するに、何をどうすればいいの?」って、前から首を傾げてた。
けど、
要するに
「自分のバイオリズムを大切にしなさい」
ってことなんじゃないかなと、
今なんとなく、思っています。
自分のバイオリズムの流れとちがう“波”に乗らされた時は、
とにかく、
無理しない。
流れにはとりあえず乗るけれど、
絶対、無理はしないように。
逆に、
乗るべき波が来たら、ちゃんと乗れるように。
その来るべき波が いざ来た時には、
ちゃんと乗りこなせるほどの“元気”が、しっかり貯えられているように。
っていうのを、気をつけようかなと。
今、思っています。
one of 午前様s として。
*
そんなわけで、
まだしばし続きそうな、修練の日々。
午前様デイズも、もうちょい続きそう。