歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

言霊と、つぶやき

2010年03月04日 | 徒然 -tzure-zure-
3月3日が、
特に何をするでもなく、終わっていました。


しかし
この前の お茶のお稽古が、ひな祭り仕様でした。
だから、ちゃんと何かをやった気もする。


干菓子は、ひなあられとか。菱餅とかでした。

キミドリと、桃、白の、
なんか 平安時代っぽい気分になる、あの三色の取り合わせ。


主菓子もそんな風。




特別に、
先生手作りの“甘酒”も 頂きました。
これは、有り難いぜいたくです。


市販のものじゃなくて、
酒粕を ごりごり摺るところから作った とのこと。

だから、その甘さは、甘くなくて、、、えーと、なんというか、

安っぽさが無くて、濃くて、
深くて、

一つの味のようで、でも色々な層があるようで、でも一つで、

清楚というか 大人っぽいというか、

辛口の吟醸酒の渋さ みたいなものがあるというか、、


、、なかなか、うまく言えない。


強いて言えば、
「人生そうそう甘くないわよ!、、と思いきや、案外しっかり甘さもあるの。」

と言っているような、
甘くない、甘酒でした。

わざわざ難しく言ってしまったようだけど、わかるかしら、このニュアンス。

甘酒、深いですね。


そうそう先日、私なんぞが申し訳ない事に、大変ぜいたくにも、
高級懐石料理を頂く機会がございまして。
そこで、また日本酒の美味しいのを傾けながら思ったんですが、

透明な 吟醸酒とか
透明な すまし汁とか、

一見 さりげなくて 澄んでいて モノトーンで シンプルであればあるほど、
相当、奥が深い。

多分それは、和食に限らない話だと思うけれど
和食を例にとるとそれは、とても分かりやすく現れる。
そんな気がします。



とりあえず
酒粕で、何か お料理に挑戦したくなりました。


そして
懐石、やばかった。もちろん、超良い意味で。
そのこともいずれ書きたいなあ。

つい、呑みすぎちゃった*





前回

「午前様は、やだなあ」なんて、
半ば愚痴めいたようなこと(自分では勿論そんなつもりじゃなかった)を書いてしまったら

その日、なんとほんとに、
“午後様”になってしまいました。

しかも
こつこつ作っていた模型が、完成目前にして “ボツ”になる
という
いわゆる「強制終了」によって。


プレゼン自体の方向性の見直しとか、まあ、諸事情があるのですが、
完成できなかったのは、無念としか言いようがありません。
自分はただのバイトだからまだいいけれど、バッサリ斬られてしまった担当の方が、
蒼白で、可哀想だった。。


そういう 残念無念なことも、避けられないこととして、時として、あるものだ。
それが、今回の学びだろうか。


幸か不幸か
“午後様になりたい”なんていう 自分勝手な ある種の「願い」が、
叶ってしまったわけ。しかも、即日。


そんなに強く念じたつもりは、なかったんだけど。
念じてたのかなあ。

ほんとに叶っちゃったりするんだなあ。


若干、畏れおののいています。
言霊(ことだま)のパワーに。




そういえば、ついちょっと前にも
『強く念(おも)えば願いは叶う。』って、確かに書きました。

しかし
「まさかそんなに?ほんとに?」っていうほど、
想いが本当に叶ってしまう。ということが、最近ちらほら、あるんです。

しかも、よりにもよって、即日、とか。

でも、大した事ではない、はず。今のところはね。

例えば:
「マックのポテトが一番好き。ポテトをとにかくたらふく食べたい。安くなんないかなー。」
って言ってたら、
それも即日、

『3月の一ヶ月間、ポテト全サイズ150円に!』
という、
まさに私のためのビッグニュースが飛び込んで参りました。

これは、ちょっとビックリしました。確かに、前々から内心、想ってはいたんだけど、
mixiかなんかで、ちょろっと書いたんです。そしたら、その途端に。

喜びの三月。
なんたらバーガーはともかく、ポテトをできればLサイズで食べたい私にとって、
これは最高の条件を揃えてくれました。

マックよありがとう!私のために!

って、
ほんとうに今、よろこんでいます。


、、、そういう、まあ、
とても些細な。一人遊び的な 日常的な ちっぽけな願望だったりするんだけど。


しかしこの早いサイクル、なんだろうか。願望の消化試合をしているような。





それで、今、

「とても恐ろしい。」と思うわけです。

畏(おそ)れ多い、といったほうがより正しいか。

言葉を遣う。言葉を発する。ということの、重みというものが。



特に、インターネット上で発言するということ。これは、実は、
相当、怖いこと。

だって、ひとたびポチッとクリックして発信してしまったら、
もう取り戻せない。

しかも、全世界の、お互いによく知らない、無数の人の目に飛びこんで行く可能性がある。
想定もしていなかったような、価値観の全く違う、色んな人にだって、届いてしまう。
可能性の話だけど。


対面で(一対一程度で)ダイレクトに話してこそ伝わる なんとなくのニュアンスっていうのは
確実にある。
むしろ、そうでないと伝わりきれないことの方が多いと思う。

例えば、うっかり間違った事とか言ってしまっても、
会って話していた場合だったら、「ああ、あの時はごめん、」って、
事後修正が比較的、可能だと思う。

直接会う事によって、
“ことば”という文字記号のやりとり以外に発生した「関係性」が、
きっと、その失敗を補ってくれるから。

でも、

ネット上で、

いわば 世界じゅうに向けて発してしまうこと。

「自分は、そんなつもりはなかったのだけど。」
っていう、現実社会でもよくある、小さなすれ違いの
ちいさなフレーズだって、

一体どんなふうに受け止められ、
また、どんなにか傷つけることになるかも、わからない。


ぼそっと つい呟いてしまった恨み言だとか 愚痴だとかは
呪いのような、よくない「怨念」になって、
誰かの災いにつながってしまうということも、大いに有り得る。
悪口なんて、もってのほか。

そして、大概そういう良くないものは、“絶対に”、自分に返って来ます。


もちろん自分も、まったくもって聖人じゃない。弱い普通の人間だから、
うっかり言ってしまったりも、する。
申し訳ない。気をつけないとと、思います。




ことばには 軽い/重いの 差などなく

どんなちいさなつぶやきにすら、ちゃんと言霊は宿る、
と、いつも考えておかないと。

『一寸の虫にも五分の魂』という ことわざもあるし。(意味はちょっと違うかもしれないけど。)

どんなちいさなプランクトンにも、どんなちいさなコケにも、
ちゃんと「魂」があるように。

ことばには、言霊というものがある。


ネットという底の知れない大舞台で “ことばを発する””書き残す”ということをやるからには
本当に気をつけなければ。と、改めて、想っています。
だって、本当に叶ったりしてしまうんだもの!


だからさ、前々から想っていたんだけど、

「twitter」って、今流行っている、あれ。
小さなつぶやきを、どんどん垂れ流して行くやつ。
「なんとかかんとか なう」って。今やってることとかを逐一レポートするやつ。

あれって、
とても気楽なコミュニケーション・ツールなようで、
実は相当、危険だと想うんです。

まず、そもそもすでにネット上にあふれすぎている情報社会の渦に、
さらにどうでもいいバグが溢れすぎるだろう
っていうのが。

だいたい、毎日、秒刻みで、逐一、自分の行動を事細かに報告する必要は、無い。
と、私は思う。

また、それをいちいち知ろうとすがる必要も、無い。
と、自分は思う。


やりたい人は、やっていいと思います。
でも気をつけて欲しいと、思います。

その一言を、全世界に発信してしまうことが、今、ほんとに、必要なのかどうか。
誰かにどうしても伝えるべきことなのか、どうか。
確実に残ってしまうけれど、残っても大丈夫なことばなのか、どうか。

「あのときは軽い遊びのつもりで、つい、」
なんて、
後でどう言い訳しても もう、どうしようもない絶望的な事態になることだって、ありうる。
ことばは、そういう力を秘めている。


だから、

私は、あれを、やりません。


って、多分、個人の自由なので、わざわざ宣言することでもないけれど。
でも、「気をつけて欲しい」と言いたいから、今、書きました。


もちろん、人の意見や気持ちというのは 変わって行くものだから、
もしかしたら、いずれ、やってたりするのかもしれない。しれーっとね。
その時はもう、ごめんなさい。

でも、とりあえず、
「今」は、
絶対に、やる気はない。

よほどの事情にならない限り。


お前、これだって、それと似たようなもんじゃないか、ただ長いだけで。
と言われそうな このブログですが。

確かに、自分の想い事をつれづれ~っと書いていますが

少なくとも、
あまりにも身勝手な 思いの安い垂れ流しにはならないように!
という意識をもって、やっています。

これを書きたい、書こう、と決めるのは「直観」なんだけど、
これを今、書くべきかどうか、誰かに伝えるに値するかどうか、
それは、一応、自分なりにですが、
「理性」のフィルターを通して、書く前も、書きながらも、書いた後も、
ほんとにこれは意味があるのか と
クリックの最後の瞬間まで、悶々と、考えています。


後で何度読んでも、大丈夫なように。という意識をもって、
自分なりに、骨身を削る思いで、やっています。
って、
ちゃんとやれてるかどうかもわからないのに、そうやってますなんて、
言うのは、とってもみっともないことだけれど。
こういう裏的なことは、「秘するが花」なのかもしれないけれど。

あえて書きつける事で、刻み付ける事で、改めて自分の心意気になることもあるし
生き方や、仕事の方針(コンセプト)にも通じてゆくので。


だから
「良かったよ」と言われると、すごく嬉しいです。と同時に、恥ずかしくもあり。
「読んでるよ」と言われると、すごく有り難いですが、と同時に、やはり恐縮でもあり。


今後とも、
重々、気をつけながら、精進します。
道を踏み外さないように、見守って頂けると有り難いです。


いくら気をつけても、まちがえることもあるけれど。
すでに発したものは、もう取り返しがつかないけれど。
自分はそのつもりがなくても、何かのスイッチを入れてしまっているかもしれないけれど。
誰かの哀しみを突いてしまっているかもしれないけれど。

せめて、そのことは、気にしながら、
重々、気をつけながら。


ことばを 大切にしたいと思います。


ことばを 大切にしてほしいと想います。




copyright (c)

Copyright (c) 2009-NOW "uta-niwa" <by ngch-zoen> All Rights Reserved.