歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

retreat for return

2011年03月06日 | 旅録 -travelogue-
短い旅でした。




そして

とんぼのように帰って来た 東京

家へ

自転車をキイキイ泣かせながら登る
坂道の、

川を越える橋のあたりで、



沈丁花の香りがよぎった。





たった数日で。
何かが大きく変わるわけ、無いだろ。



って、
高をくくっていた その わずかな数日のうちに、

あっけなく春は、歩みを進めていました。


季節がそういうものだということを、とっくに知っているはずなのに、
たいがい忘れて、
たいがい吃驚して、
たいがい何度も巡った、たいがいに同じことにまた、感じ入る。


たいがいにしろ。
そんな自分の馬鹿を小さく哂(わら)う。






ほんとに短い旅だった。

旅に出るまでは「あー、俺も無期限活動休止して、人間活動に専念したーい」なんて。


実際にとれたのは、ほんの数日の休暇。

それでも、

一旦 

「今、背負っている重さ」を
無理矢理振り落として、

一旦

‘解き放つ’には、

ほんの数日。それで十分だった。(結果から言うと。)




道行きに 雪が降り出したこと、



眠るうちに 雪が積もったこと、

朝目覚めたら 雪がきれいだったこと、



昼 雪がぽたぽた融けて、じっくり消えていったこと







その一連の全てに立ち会えたことが、今回の旅の特別なところだった気がする。
そのことが、もしかしたら。大きかったのかな。


雪どけの庭は、きらきらして、ほんとにただただ、
きれいだった。










一旦 目下の懸案を放棄し
重荷を かなぐり落とし
かかずらい事を 剥ぎ落としたところで

目の前に立ち現れたのは、というと。




いろんなモノを 脱ぎ捨てた自分というものが

いったいぜんたい、

「ナニモノでも無い。」

ということだった。


 I am nothing.





なんという、ちいささ。

、、いや、ちいさいどころじゃない、

無い。
なにものでも、無い。

、、なんにも無い!



何も背負っていない自分というものは、世界にとっての、なんと、
あまりにも、


 無意味。






単に「癒し」とか簡単な「リセット」程度のものを求めていた
小さな旅に、それは想定外の、まさかの、
重い、ショック療法だった。






忙しいということは、本当にある意味、幸せです。
でもある意味では、やはり、「何か」を見失っていく危険な道程でもある。



「何か」。
自分の中にあるはずの、「何か」。
あるいは、自分の中になど無い、「何か」。

日常の流れでじわじわかすんでゆく、

「何か」って、

なにか?







荷物を背負ってヒイヒイ言って目を回していたお陰で、
目を向けずに済ませられていた

在る現実

無い事実



自分の内面に隠していた真実と、
うそ

とりあえずこしらえていた逃げ道
幻想



見ているつもりの世界。

見てみぬふりをしている世界。





いちばんすぐそこにあるはずの、
いちばん見えているとおもっているはずの、
「自分」という、世界。








黙々と、雪のとけゆく光りの中、
こけのじゅうたんの中、
小さな雑草の芽 ひとつひとつに向かい合っていたら、

ずるずるずる、、と、

静かにでろんと垂れ流れてきた、思念にもならないようなものの中に紛れて、

見えてきてしまった

その、「何か」。

否が応にも、直面する羽目になったのは、

「仮に何も背負わなくなった自分というものが、何なのか」

というものだった。

で、

答えが、


「なんでも無い。」だった。

英語で言えば、‘nothing’.



I am nothing.






それはそれは、
意識か無意識か、自分が押し殺して、押し隠していただけに、
晒されるとなれば、ショックな現実。

真っ青に、愕然となって、
一気に‘落下’するに十分な、ショック療法。


重荷を捨てるために来たはずが。

自分への ちょっとしたご褒美のつもりが。

かえって、もっと深く刺さる重いトゲを、胸にぎりりと埋め込まされて、傷を引きずって帰ることになるとは。。。


、、なんて。






よりにもよって、
帰り道は、晴れがましくて。
(旅からの帰り道は、だいたいそうなる。晴れがましすぎて、なんだか哀しい。)


春の初め。
まだひんやり冷える風。でもマフラー要らないほどの、ゆるんだ風。



東京への帰りの電車は、速いようで長く

どっぷりと落ちた気持ちは 暗澹、

泥の中から無理矢理 目をこらして、空のほうを見上げているよう。

でもその空も、どよんと曇って見えて。
ちゃんと晴れているのに。


晴れがましい午後の光りに、
眼の中の水の成分まで、奪い取られてゆくよう。




ある点では楽天的なくせに、
ある点では異常に悲観的で、

だいたいにおいて 極端に深刻に哀しく考えすぎたりするきらいのある自分は、
やっぱりこのとき、極端に深刻に哀しく考えすぎていて、
要するに、

almost going to die

な感情に呑まれていて、


途方に暮れていた。

「こんなことで、いったいどうやって、生きていけよう。」

て。





going to die.


それは、
考えてみれば、ここ1ヶ月くらい、ほんとはずっとあって、
でも、ずっと、押し殺していた感情だった。


いや、ほんと言うと、1ヶ月どころじゃない。もっと長いこと。
というか、ずっと。


見てみぬ振りをして。

時々露呈するたびに、悶えて、
いつしか忘れられて。

昇華できてるつもりになって。

でも、出来てなくて。


それが、どろりと、出て来てしまったわけだ。








そういうわけで、
打ちひしがれながら 自分の部屋に戻ったら、





いわゆる「やっぱり自分の家が一番だな~」現象ってやつなのか、

あっという間に スイッチが入ったのか、



、あれ、

でも、数日前とはどうも、気分が違ってるみたい、

ずいぶんと、、、あー、なんだ?



すっきりしてる。






すっきり、してるや。




このあれやこれやの一連の感情の浮き沈む流れを頭の中で論理的に整理するより先に

「あー、終わった。良かった。」


って、想っていた。


ああそうだ、

旅は、何かを終わらせてくれるし、何かを始めさせてくれる。

つまり、
「ゼロ」にしてくれる、節目になってくれる。

ああ、そうだそうだ。そうだった。








やっと、終われたみたい。


また馬鹿みたいに、同じ石につまずくんだろうけど。
とりあえず、ひとつの区切り。とりあえずひとつは、終わったみたい。


そんな気がする。


ひとつ、

終わって、

やっと、

じわじわと、






景色が クリアになっていく。







そして、



旅の中の、ちいさな喜びたちを、想い出し始める。






桜の香り。スイセンの香り。

雪から浮かび上がる、春の花の濡れて光る色。






ミズゴケの香り。苔の香り。

温泉のやわらかさ。湯けむりのやわらかさ。


11時間も眠ったこと。

少しだけ呑んだ日本酒の甘さ。


朝6時の山に射す色。






歌うような雪の音色。





そして、なにより、


「旅館のご馳走が、美味しかった。。。」と、いうこと。




思い出すのは、
うっとりとかみ締めるのは、たいがい、「美味しかった、、」っていう想い。








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