歌庭 -utaniwa-

“ハナウタのように:ささやかで、もっと身近な・気楽な庭を。” ~『野口造園』の、徒然日記。

一番桜

2010年03月15日 | 徒然 -tzure-zure-
河津桜。
キミドリの若葉が、こにくい。



次に咲くのは、枝垂れ桜。


そのあと、
三月と四月の境目に、
ソメイヨシノ。


コケのじゅうたんのすきまにのびる雑草を
ちまちま取りながら。


ピピッピュゥ、ピー。


ウグイスの歌を聴きながら。



~箱根にて庭師修業中~

ナカメブラブラ

2010年03月14日 | 遊興 -pleasure-
4月のような陽気。



ハクモクレンも咲き出した。


今日は お茶の稽古もお休みで、
珍しくポッカリ空いた 土曜日。

さてどうしよう。


どこに行っても、気持ちが好いだろう。


、、ああそうだ。


“中目黒”に行こう!






サクラで有名な 目黒川。


サクラのつぼみも、
じりじり、スタンバイ状態。



今日の陽気で、また大きくふくらみそう。




中目黒といえば。
おしゃれスポット(イメージ)。


“中央線系”の自分としては、
「本気でモード系のおしゃれじゃないと、居ちゃいけなさそう」
っていう 勝手なイメージで、なんとなく敬遠していて、
あんまり行ったことがなかった土地です。
今回で多分、2、3回目くらい。


今回は、気持ち、踏ん張ってみた。

そして、
最近ずーっと気になっていた お花屋さん:
atelier cabane (アトリエ・カバンヌ)に、行って来ました。

駒沢通り沿い。祐天寺の近くにあります。

外の様子。



外と中とは、またガラッとイメージが変わります。



もっぱら ディスプレイ仕事=現場に出ているそうなので、
いつでも開店しているわけではなく、不定なんだそうな。
今日はラッキーだったようです。


思った以上に ちっちゃなお店でした。

でも、やはり、

とても素敵なセンス溢れる、花屋さんでした。

しかし、
見馴れない花やら、素敵な装飾やら、、、
あれもこれも、勉強になるなーーーー と、
あれやこれや、質問したりして、
ずいぶん長居してしまった。ありがとうございました*

ちなみに、お隣のギャラリー(兼SOHO):Happaさんも、なかなか素敵でした。
車の塗装屋さんの倉庫をリノベーションしたんだそうな。





それで、

だんだん迫って参りました、4月4日(日)のライブ
ご登場いただきたいものも、



またここで、仕込みつつ、、、


ぽわ~ん としていたイメージが、さらに、むくむくと、
固まってまいりました。
最近はもう、そのことばっかり考えて居ますが。
どうなるかな。


どうぞ、お楽しみに! 自分も楽しみ!




「野口造園の仕事」としても、
どう考えても 重要な局面になりそうなので、
気合い入ってます。のほほんとしているようで。

可能ならば、ぜひ、遊びに来て下さいな。


だがしかし。
“50名様限定”なのです。なので、ご予約を。しかも、お早めに。
(予約はこちらのページから、直接出来ます。)

さらに、なんと、
「ちっちゃなお土産」付きなのです!しかも ノグチ手づくり。(大丈夫か?)
こっちのほうも、なんとなーく、で良いので、ご期待下さい。うっすらとね。

ライブ現場は
吉祥寺の曼荼羅



老舗ということで、
すでに 何もしなくても ある種完成されている、
素敵な状態。

そして
余計なもんが無い方が良いのでは、、というくらい、
素敵な音色。


ハードルは、高いです、、、。


* * *


中目黒ぶらぶら散歩。

面白かったです。





やっぱり、目は花を探してしまう。




中目黒のおしゃれな店先は、
やはり おしゃれな小庭も多かった。


お、かわいいね。

なるほど、なるほど。

などと、
道のあっちからこっちへ、うろちょろ、キョロキョロと。




でも 気づけば
なんとなく



“雑草”同然に
たくましく生きている野の花に、
するすると、惹かれていく。



「あ、ここ間違えちゃいましたか?」


みたいな、


人間の意図を飛び越えて、

勝手に しっかり根付いたもの。




勝手に 仲間を呼び合ったり、


あるいは
一人で 凛と たくましく居座っていたり。


あるいは
もはや 「花」ですら無く、
見捨てられたようなもの。





ちいさくて強い野の花の
生命のほうに、

ふと気づけば、

気を取られている。





歩いて歩いて。

物欲はだいぶ減った(はず)の私も、
ほぼ例外的に 無性にあれもこれも欲しい!と駆り立てられてしまう



「Natural Lawson」に
出逢ってしまって、

やっぱり屈して、

超久しぶりに ペットボトルのお茶(新製品かな)を買ってみたり。



これは美味しかった。春ブレンド中国健康茶。

こういうのがちゃんとあるから、Natural Lawsonは、見過ごせない。
(って、なんか、回し者みたいですね。)





そうこうして

あちらこちらの 庭や花を おいかけ




辿っているうちに







だんだん




だんだん



黄昏 せまり






暮れ泥み






深く蒼ざめてから




やがて




燃え落ちた。




一日、歩くと、

なにをしたってわけでなくても、

満足します。

からだが 心地好く疲れるからでしょうね。
やっぱりどうしても、日頃、運動不足になってしまうからなあ。



からだが満足したら、
自ずと、
心も満足。





さて。

今日(日曜)から数日、箱根に行って来まーす/~~

ちょこちょこ行っていますが、
今回も、造園の武者修業です。

頑張ろう。




春色ポリ子"

2010年03月12日 | 徒然 -tzure-zure-
今日は佳いお天気です。


3月なかば。
晴れの春先。


空気も白く澄んでいて、
なんとなく 良いにおいがします。



こちらは、我が家の「ポリ子"」です。こんにちは。

ちなみに後ろは紅梅、隣にはレースラベンダー。
また後の方で、出て来ます。





梅たちも まだ散りきっていないうちに、

一瞬 梅かと見紛うが、しかし
「いや、どう見ても、サクラだろう」
と思われる花が、
町中にも ちらほら、咲き出しました。


 新しいキミドリのみずみずしい葉と一緒に、うすいピンクのふくれた、
 河津桜(カワヅザクラ)。

 鈴のように小さく垂れる、濃いピンクの、
 寒緋桜(カンヒザクラ)。


枯れ木状態では うっかり気づかなかったけど、
案外、あちらにもこちらにも、けっこうあるものですね。

「あれっ?ウメか?サクラか?」

どっちなんだか、確信も鈍る、今日この頃。


「ああ、写真を、、、」と 心揺れながらも、

出勤途中故。

後ろ髪を引かれつつ、
みすみす 猛スルー・ダッシュ。


 せめて30分早く、家を出れば。。。
 いや、次こそは、そうしよう。
 いや、明日にでも、朝早く撮りに出ようかな、、、
 明日は、晴れだっけ、、、


色々と、ぐるぐると、想い廻る。



あきらかに、日の出が早く
あたたまるのも早くなった、昨今。

早起きには 多分うってつけなんだろうけど。

むしろ逆に
どっぷり ずるずる だらだら、
寝ていたい。

大昔の人が、とっくの昔に言い当てた通りに、
「春眠曉を覚えず」の精神で。


朝陽のぬくもりの、羽毛ぶとんばりの、ふかふかの心地好さ、ったら。


ねえ。



そうは言っても、
外には 花がほころびはじめているから、
外に出ていかないのも、もったいない。
だらだら寝てては、もったいない。


町中を走っていれば、ちらちら目に飛び込んで来る、
あちらこちらの、春の色。


ナノハナの黄色。

タンポポの黄色。


ハクモクレンの生クリーム色。

ムラサキハナナの紫色。

なぜか
「ああ、なつかしい、」と想う、
およそ一年ぶりに再会する、春の色々。


チラホラ、チラホラ。

チラチラ、ホラホラ。


うきうきした、明るく笑っているようなリズムで、
可愛いくて ふわふわしたエコーがかかっていて、
それでいて 品の良い 流麗な音が流れるような、

そんな歌が、
聴きたくなります。


、、、と そこに、

YUKIさんが、素敵なアルバムを産んでくれました。

「うれしくって抱きあうよ」って、
タイトルも、いいね。

なんだか、春の幸せに満ちている、やさしい、あたたかい、
楽しい音。

これを聴きながら、のんびり公園を散歩したい。





3月なかば、
春の昼どき。


今頃、

小さな マイルームは、
東と南の大きな窓からあふれ込む 白い
ぬくぬくした光で、いっぱいになっているはず。


かわいてるような うるんでいるような
妙な心地の春の昼の空気に、満ちているはず。


そして、

ついこの前から わが家の一員になったばかりの
可愛い ポリ子” も、
今頃

燦々と光る光を浴びて

ひょうひょうと風をかわして

のんびり

庭の紅梅のはらはら散るのを眺めながら、

静かに ぬくもっているはず。



  Persicaria capitata(=Polygonum capitatum)

  ヒメツルソバ(姫蔓蕎麦)/ポリゴナム
  タデ科イヌタデ属

うっすら紅をさした、
コンペイトウみたいな 可愛い花。匍匐前進で蔓をのばして、伸びまくる強い子。

ポリゴナム。
ngch的通称は:「ポリ子”」(ポリゴ)。

「ポリ子」(ポリコ)という ほぼ同名の友人が居るので、『“』を付けて、区別化しています。


どこぞかの庭先でお見かけして、ひと目惚れして以来
「いつかいつか、自分も、お育てしたい」
と、願っていたのですが


ひょんなところで、突然 念願叶って、
ついに わが家に来たばかり。


ずっと「ポリゴ~」呼ばわりしていて、
もちろん学名も “Polygonum ~” だと思ってたら、

”Persicaria capitata”だと。

さきほど改めて調べて、発覚。

「P」は相変わらず入ってるけれど、「ぺ」と「ポ」では、
まるで別人のような響き。


「ポリゴナム~」の方が、音的には、似合ってる気がするんだけど。






3月、なかば。

なつかしい春の色が、町にも ほころび出しました。




クアトロ記念日

2010年03月10日 | 徒然 -tzure-zure-
霙のあと。




森に湖が出来ていた。




森が 二重になる。






いつもの風景が ある朝、

がらりと表情を変える。




新しい風景が ある日、突然生まれている。

とてもわくわくする。



何か、

それまで世界に ふつうにあふれていた
“当たり前のもの” が
一夜にして ひっくり返った!

、、かのような。

つまりは
「革命」的な何かが、起きたような気がして。




わくわくする。





だけど

この即席の革命の風景は

だんだん
馴染んで 落ち着いていって。




また

“同じ” 元通りのかたちに 戻って行く。




、、と思いきや。

実はちゃんと、変わっている。

実はもう、
“元”には、決して戻らない。



湖になった雨は
土に染み込んで

すっかり乾いたら
見えなくなって行くけれど

見えないものは ただ目につかないだけで

そこにあって。


何かは、すでに、大きく変わっている。




一分一秒

いつまでも変わらず 同じままだなんて
ありえない。

    *
 
    *

    *


今日は、
人生初の「確定申告」をしました。

締め切り間近に、間に合って良かった;

もう、その、名前からして面倒くさそうな雰囲気自体に首を突っ込むことが、
面倒くさくって、
とっかかるまでが、大変でした。ずるずる先延ばししちゃって。
部屋が、物置全部ひっくり返す羽目になったため、シッチャカメッチャカになったりして。

でも
えいっ!と、税務署に行ってしまえば、
流れるまま。

結局、それが一番早いのね。
やっぱり混んでて、それなりに時間もかかるけど。

案外、イライラしてる人は見なかったなあ。


あと、なにげに、
あの書類用紙のにおい。
あの、端っこの方が青みがかった、ペラペラの複写紙の、
インクっぽい匂いが、
案外 とても好きだったりします。




三鷹市民用の税務署は、
“井の頭公園”の すぐそばでした。

もう、
「おつかれさまー。さあ、いらっしゃい。」
って、言われてるようなもの。

終わって ほっとして スッキリしたら、
やっぱり自然と そっちの方に向かっていて。

それで
まず 目に飛び込んできたのが、

上の、湖になった森。

で、
「おお!」と、思ったわけでした。








雪どけの余寒の、たそがれどきの、

井の頭公園。








3月10日は、記念日なのです。

なんと、4人の友人が いっぺんに誕生日を迎えるので、

自分にとっては、とても忘れがたい日です。

おそらく 暦的には なんでもない一日だと思うけど
自分にとっては、“記念日”的。

だって、「おめでとう」が、四人分重なってるんだもの。
クアトロめでたい。




午前零時を過ぎたら、待ってましたとばかりに
「おめでとう!」
ってメールを それぞれに打った。

そしたら、
続々と
それぞれに“らしい”メールが、
それぞれのタイミングで 返って来て、
それを見るのが、また、楽しい。


「ああ、みんなそれぞれ、元気にやってるんだなー。」って
ほっこり。


日々の勢いに忙しく流されて、毎日会えるわけでもないから、
いつ会うんでも「久しぶり!」になってしまう。

「最近どう?」って近況をたずねるのも
特別何の用件でも無いかぎり、案外、やりにくいから、


「誕生日」という このタイミングは、
良いですよね。


年賀状ほど改まってなくて、
哀しいお知らせでは 一切無くて、
みんなに平等に来るものだから、妬みやひがみなどが入る余地が一切無くて、
結婚式ほど爆発力はないような、ありふれた一日だけど、

ちゃんと
「おめでとう」が言える日。


「おめでとう」は、
言う方も、言われる方も、嬉しい。
お互いに、掛け値無く、嬉しい。


それが言える日。
誕生日は、それが、良い。


、、、って、前にも似たようなこと、書いた気がするけど。
まあ、いいか。





3月10日の友達は
それぞれに
それぞれの前に伸びている道を
テクテク歩いている。

って なんとなく窺えて

そういうのも、
上手くいえないけれど、
「ああ、よかった。」と想う。








最後にもうひとつ。

久しぶりに「こっちを行ってみよう」と選んだ帰り道で、

見つけてしまいました。





フキノトウ!

こんな街中で、まさか見るとは!





車がぶんぶん走る通りのすぐわきの、サツキの植え込みの中から、
まさか、
ひょっこり フキノトウが!

見かけて、「エッ!?」とビックリして、

引き返さずにいられなかった。


昨日
何の気無しに「フキノトウでも拝めたら、、」的なことをぽつりと呟いた、
その矢先。まったくもう、「舌の根の乾かぬうちに」的、即日。


ことばが惹き付けたのか、、、。

これも言霊パワーか?
ビックリでした。


もう、これは、
「素敵な仕事が舞い込む!しかも完璧に上手くいく!」
とか
「いきなり大金舞い込む!(ただし悪銭じゃなくて、ちゃんと、綺麗な、大金が!)」って、
本腰入れて、連呼しまくらねば、、って、
ほんとに想えて来た、、、。






言霊の“カム・トゥルー”パワー、、、すごいかもしれない。。。


「2010年は、善くならないわけがない!」

って
そういえば、新年一発目、そんな予感を書いた気がする、、、。。


 ※で、確かめて見たら、(>>☆☆☆
 やっぱり書いてた、、。




霙勝ちに揺れる

2010年03月09日 | 徒然 -tzure-zure-
 「さむい。」


   *

まさか、というか、
やはり、というか。

また その言葉を、ついうっかり漏らしてしまう日が、来ようとは。。。




「マフラー要らん」「セーター要らん」「コートも要らん」
なんて
おちおち油断してたら、いかんかったです。。。
「寒い」は まだ、
粘り強く残っています。


この前「気温20度になった!春来たー!」と 驚き半分、喜んでいたら、

今日
この雪。



ふつうに雨かと思ったら、
ふつうに雪。


今。東京の夜の街には、
みぞれがちな雪が。

ビシビシ、降っています。

ぴちゃぴちゃ、降っています。


窓全開にして、その音に、聞き耳をたてながら。





ときたま、

「ドズン!」

って、

たぶん 屋根に積もった雪が いきなり落下するその衝撃音が、
木造のこの家を びくっと、揺さぶります。
その都度、
ドキッとします。
けっこう、劇しい重量感。

「ズドン!!」って、

けっこう 心臓に悪い、衝撃音です。





あの、
しんしん、、、とした、

音も無く 静かに積もる 乾いた冬のやわらかい雪の
なんとなく恐ろしくもある 冷めた風情が
このみぞれには あまり感じられないせいか、

しんみり、しない。

ただただ、
ぴちゃぴちゃ、ぴちゃっぴちゃ、

ただただ 降り続ける、みぞれの音。


ぴちゃぴちゃ、ちゃぴちゃぴ、

春に もう少し成りきれない、
雨にも なんとなく成りきらない、

静かなような、静かでないような、音。


そして、
ときおり

「ズドン!!」






しかし、

まだまだ こうして、
寒い日が続くのかしらん。ちょっと、もう、イナフ。。

「春が来た!」と、何度書いたか。そして、何度即日、裏切られたか;

なかなか、粘ってくれますなあ。。。

もう勢い、コロッと、手のひら返してくれないなあ。。。

「春さんどーぞー!あとはよろしくごきげんようさよなら!じゃ!」
って。そしたらもう、よろこんで手を振るよ。


あたたかさと 寒さと
行ったり来たりする この妙な季節に。
解っていても、
やっぱり、右往左往してしまう。

「季節に翻弄されて居る。」
と、思う。




だけど、
ひとつ 慰みポイントなのは:

“確かに、冬のあの寒さとは、あきらかに、違うな。”
ってところ。


確かに、
もう 春に足を突っ込んでいるのは、
間違いない。

確かに
あの冬まで逆戻りはしないのも、
間違いない。


うん。確かに。
もう
“冬”では、無いよな。



かといって、

まだ、れっきとした“春”でも、無いような。。。


もし そばに山のある田舎だったらば、
雪残る山に さっと行って、それで、“フキノトウ”の芽吹いたのでも見つけたら、もう、
「いや、まちがいなくもう、断固として、春です。」
って、すっかり肚をくくれる気がするのだけど。


揺らぐのは、都会の所為?

自分の所為?


ううん、、、まあいいか。


何かの所為にするくらいなら、そして “ないものねだり”するくらいなら、
しっかり目を開いて、
今・現在の自分に与えられた 身の回りにすでにある恩恵を、
しかと、刮目すべし!



要するに、

微妙にゆれる時季なんですなあ。






 しばし 沈思。






もうちょっとかな。このみぞれが止んで、
明日はまた、あたたかくなると言う。


今、深夜に、窓を開け放っているけれど、

、、確かに。
寒くは、ない。


ふつうに、なんか、
大丈夫かもしれない。


確かに、もう、
あれほど寒くは、ない。



、、確かに。







、、ああまた!


「ズドンッ!!」
って。

家が揺れた。


雪が落っこちた。









*omake*



(これは、この前お茶の稽古で 特別にお土産で頂いた、
 金沢の「行松旭松堂(ゆきまつきょくしょうどう)」という有名な老舗お菓子屋さんの、
 有名なお菓子だそうな。御銘は、「雪花糖」。)
 ↑
※最初、店名、御銘もろとも「忘れちゃった;」って書いてたのを、調べ直して、修正。

花暦

2010年03月07日 | 徒然 -tzure-zure-
saikin

shasin ga sukunaku tte

yatara to osekkyo kusakatta no de

hashi yasume:


ame no nichi youbi ni
nombiri to
hana demo nagameru
tte nomo

yoin ja nai ka shi ran :-)






ume no umi




hare no ami




ame no ka





tawawa




wasure yuki





itabasami de fumbaru ga yue ni mabayuku hikaru




ochite koso mabayuku hikaru




potzunen yue ni mabayuku hikaru




veranda no lavendar





nokori yuki





kabe yaburi





kocchi ni koi tte umega sasotteru




yoru niwa hana no ka wa nijimu


*

have a nice day!


kyou mo yoi ichi nichi wo*



sou ie ba;

ame no hi no sampo mo naka-naka 'otz' desu yo.

kuuki ga sumasarete

hana no kawori ga kirei ni ukabi agatte.


ばななの王国

2010年03月05日 | 読書 -books-
よしもとばななの『王国』三部作を読みました。

これ、
ばななさんの「ライフワーク長編」だそうです。

1作目は、なんと8年前。
それが、満を持して、3作同時に文庫化したばかり。

一気に読みました。



元々、学生時分から よしもとばななの小説は
だいたいは、好きで、
だいたいは、欠かさず読んできていると思います。

ただし、
いつも文庫化待ち。文庫になってから。

ちなみに エッセイのほうは、読みません。




ばななさんの小説は、

どっちかっていうと、スピリチュアル系に属すると思われます。後になるにつれ。

それに、物語の語り口も登場人物も 平易なんだけど、ちょっと変わってるので、
好き嫌いもあるだろうし、
当たり外れもあります。
全部が全部良い!って思うわけじゃありません。これはノグチの意見ね。


また、

ばななさんの小説は、どういうわけか、
読み終わってしまうと、話の内容をすっかり忘れてしまいます。
誰がどうしたこうした、っていう、話の中身:シチュエーションや、展開が、
すぽっ、と消えるんです。
登場人物の名前とかも。

読みながら頭で描き 見えていたはずのシーンも、
後になると、ほぼまったく憶い出せない。不思議と。


だけど、

読み終わった直後の

「読んで、よかった。」あるいは「うーん、違った。」

という
単純な“想い”だけが、残るのです。「読後感」というものでしょうか。


ただし、
これは、自分だけのことかもしれません。

そもそも自分の場合、本というものは、だいたい、
一回しか、通して読みません。二度三度と、同じ物を読みなおすことは滅多に無い。

そして、
ばななさんの作品は よりにもよって、
時間をかけずに さらーっと一気に読めてしまうように出来ているので、

物語の世界に浸る時間も、そのぶん、短くなるのです。

長篇の大作などを、何日もかけて、とぎれとぎれで読んでいると、
読み終わるまでの間は、しばらく、囚われますよね?
「ああ、この後どうなっちゃうんだろう、、続きが気になる、、」って。
それで、
現実生活でも なんとなくぼーっとしちゃって、浮き足立つくらい、
その世界に浸り切ってしまう。特に自分は、そう。


ばななさんの場合は、だから、
その「溜め期間」がほとんど無いわけので、
だからかもしれない、
すっぽり忘れてしまうのは。


でも、だからって、
ダメってわけじゃないんですよ。

だいたい、「よかった。」が、残るんです。

そして
「うーーん、違った。」も、たまにあるけど。




で、
今回、新しく出た、『王国』三部作。

上述の通り、延々と”文庫化待ち”をしていたので、
第一部の単行本が世に出た 平成14年から、
第二部、第三部と出ているのを尻目に、
全然、読んでなかった。

「なんで『王国』だけ、いつまで経っても文庫にならないんだろう、、」と、
待たされ待たされ、

ここまで来て、

忘れた頃に、

やっと 出逢えたわけでした。

それもまあ、
ものの2日で、一気読み。
(合計すると、12時間にも満たないんじゃないだろうか。)



それで、
さっき僭越ながら「当たり外れがある」って申しましたが、


この『王国』は、


大当たりでした!


野口的には、ですが。

そして今回は珍しく、かなり内容もちゃんと覚えてます!登場人物の名前も。
長編だったせいもあると思うけど。読み上がり直後だからってのもあるけど。


ちょっとだけざっくり、話のさわりだけを言うと、

山で 魔女的なおばあちゃんと暮らしていた雫石(しずくいし)っていう女子が(変すぎる名前です)
あるきっかけで 都会に降りて来るんですが。


山での生活の感覚とか

自然との付き合いかたとか

モノとの付き合い方とか

あと
現代の都会の生活で「ん?」って首を傾げる点だとか

随所に出て来る スピリチュアルっぽい台詞なども

結構 高確率で「あー、わかる!」っていう感じで、
入って来たんです。

このブログでも書いているような想いと 合致するようなことがあったりして。

今までのばなな作品の中で、一番自分に近づいてくれたものだった気がします。
(なんか、上から目線的な言い方ですが)


例えば、
一応 “恋愛関係”を軸に語られたフレーズでありながら、
でもそうじゃない、仕事の関係、あるいは友人関係とかにも 当てはまるような
ハッとする名言があったりとかで、

とにかく、

“今の自分”に すんなりフィットするキーフレーズだらけだったのです。
(この、“今の自分”っていうのが、たぶん重要。8年前じゃ、まだまだだったはず。)

それで、
読みながらもう、
「これは、私のための物語だ。」なんて、何度も、うっかり、思い込めたほど。
「ばななさん、よくやった。」って、なんでか上から目線。


なんせね、
「庭」や「山」や「都市への違和感」なんかが出て来るんですもの!





人との出会いが一期一会であるように
『本との出会いも一期一会』と言いますが。

ほんとに、そうですね。

その瞬間だからこそ出逢えた ということに、
すでに意味がある。


たまたまその日、ちょっとお金もあって、
気持ちも、新しいことを求めて、上昇気味で、
でもたしか本当は、全然別の本を探しに 本屋に入ったはずだったんだけど、

向こう(本)も たまたま
新しく刊行されたばかりで 店先に広くどどーんと並んでたから、


運良く、ばったり 出逢えた。

「今の自分にぴったりだ、これ!」
っていう、絶妙なタイミングで。

たぶん
このタイミングを逃すと、どんな良作でもしっくり来ないっていう、
残念な出会いに終わってしまう場合もあるから、


まったく、ラッキーでした。
すれちがいにならなくて、よかった。


何か 答えが欲しいときは

外の世界に ちゃんと体を向けて
「自分はこういうものを望んでいる」という意思の目を光らせて、
能動的に 動けば動くほど、

ちゃんと答えは、返って来たりするもんだ。

スピリチュアルだね。





そして素敵なポイントがもう一点。

この『王国』の三部作は、全部足しても、1、048円!
良心的!


そういえばこのところ、とかく売り払う方、捨て去る方に
専念してた気がするけれど、

久しぶりに、ちゃんと“お買い求め”した本でした。

そして、良い出会いだった。
大事にしようと思います。




自然との付き合い方とか

人との付き合い方とか

仕事との付き合い方とか

都会、街との付き合い方とか

そういうものに ひとつ明るい道筋が欲しい人は、
読んでみて、損は無いと思います。下手なハウツー本とかより良い。
安いし!
野口は、おすすめします。


もちろん、趣味の違いとかあるから、私個人の意見ですが。

でも、「物語」というかたちで産み落とされたものは、
色んな普遍的なキーワードが含まれているから、

こちらにその意思さえあれば、何かを感じ取ることは出来るし、しやすいと思います。

よほどの駄作でない限り。(←辛口)





ネットで調べると あらすじとかも うっかり目に入って来てしまうので、
できれば、
本屋さんに行って、裏表紙の概要も見ないで、おそらく並んでるであろう三冊、
ぱぱっと重ねて、
一気にレジに行く事をおすすめします。



『王国 その1:アンドロメダ・ハイツ』




『王国 その2:痛み、失われたものの影、そして魔法』




『王国 その3:ひみつの花園』





そうそう、

今日は20度まで行くあたたかさでした。

突然あたたかすぎて、沈丁花だの、排気ガスだの 工事のけむりだの、
ペンキの香りだの、洗剤の芳香剤のにおいだの、
ファーストフードだの、

いろんなにおいがごっちゃになって、おかしな濃度になってた。


でも、
あたたかくって、よかった。





金色のライブ(本編)

2010年03月05日 | 遊興 -pleasure-
ずいぶん時間が経ってしまった気がします;

忘れた頃に、書きますよ。満を持して。

 *

先日。
下北沢の音楽食堂:"mona records"の とあるライブイベントに行きました。

先日、というか、、
「書く。」と宣言した予告編から、、えー、

なななんと、
2週間も経ってました!、、、時の流れ速すぎ!

いよいよ本編です。





下北沢の駅に ほど近い、
カフェとインディーズのレコードショップが付いてる ライブハウス。





今回お誘いしてくれたのは、

壱零base(イチゼロベース)こと、、十兵衛さん。

折しも、
まさにひと月後の、4月4日。

十兵衛さん主催のライブイベント:“ludens" にて、
不肖野口造園、
「庭的空間演出」をすることになってまして。
(詳しくは、右の→【NEWS】の→ “ludens” をクリックしてみてね。)



この前も、会場の曼荼羅で、打合せして来たところです。

とてもドキドキ。
なんせ、「歌庭:野口造園」のやりたい道・ど真ん中のことを、やらせて頂けるので。
十兵衛さんのメーリングリスト配信のたびに、どんどんハードルが上げられていて、ヒヤヒヤしていますが;
いや、とにかくやるしかないね!
喜びと、緊張と、冷静と、情熱のあいだ、的な気持ちで。

よかったら、4月最初の日曜の夜、ぜひ来てみてね!

お力添え役、頑張ります。


以上、告知。




さて、話は2週間前に戻りまして。


壱零baseさんは、
一説には「弁慶」と呼ばれる、まさに武士(サムライ)のような物腰の方ですが

その正体は:
「ハンマード・ダルシマー」という、
変わった楽器の、演奏家さんです。可愛いお子さんもいらっしゃる。
ちなみにそれ以外のデータは ほぼ謎。


このハンマードダルシマーっていう楽器、ピアノの祖先だそうですが、
チェンバロのような。琴のような。
これまた変わったバチではじいて、奏でます。

これがまた、
綺麗な音なんです!

メロディ云々以前に、ポン(というか、ビュィン、)と弾かれた瞬間に 立ちあらわれる
その“音”自体が、もはや、
耳慣れない不思議な感じで、でもなんか、すっと入って来る親しみ易さがあって。

その一瞬で、持ってかれます。心を。
それは、楽器本体の力なのか。
いくら説明してもわからないと思うので、ぜひ聴いてみてほしい。





最初に耳にしたのが、
"秋田 森のテラス"のオープニング祭でした。

出番前に、5月の春の、池のほとりで、
カエルの合唱と共に弾いていた、その音。
あまりにもしっくり 池の中、風の中に しゅーっと融けていくその音に、
とてもビックリして、
その時ばかりは しばし、立ち止まってしまったのを覚えています。


その時お世話になって以来、ちょこちょこどこかしらでお会いする機会が重なり。

森のライブで再会したりとか。

そして、

、、今に至る。

、、っていう、ご縁でございます。




十兵衛さんのブログにもあるように、


すとんと 容赦なく真っ暗になって、

ライブは始まりました。




背景に映し出された 空。

そこに、端から

ふら~~っと現れた ローマ字。


ふらふらと、浮遊する 文字。


(何だろう、何だろう、、、*)って、
この時一番ドキドキした。


 . . . t r  i  b e  w h  o   p .. .


謎のホイッスルや オルゴールや
ロケット発射の合図の声や
謎のプチテレビや
謎の電子機器も多用して

不思議な音空間が くるくる展開されていく。

舞台は 暗黒と ほのかな金色の 明滅を 繰り返す。



暗黒と。




明滅を、繰り返す。


外の闇より真っ黒い 四角い線に切り取られた闇。

赤い玉。

昼の空のはずだけど 不思議と翳りがあるように感じる、蒼い空を、背景に。




音は
壱零baseのHP、あるいはその周辺で試聴できるはずなので、これはぜひ聴いてもらいたいのですが


私はいつも、
「風だ。」と想うんです。
池のほとりの第一印象が、影響してるかもしれないけれど。


金色の風が、
キラキラした静かな水色の上を すーっと通り抜ける感じが、
いつも、見える気がするのです。


ああそうだ、
カリンバ。あれに近い。

指で弾いて鳴らす、小さな鉄琴ピアノみたいな、アジアっぽい楽器。
カリンバに、似てるかもしれない。










音楽は




目に見えないし

撮る事も出来ない

掴む事も出来ない

けれど

確実に
何かが心に残る。

それは、

「風」と同じ。


ハンマードダルシマーの音は、
まさにそれ。
「風そのものを体現している、音」。そんな感じ。




なんていうか

とにかく いま ここにあるこの音に 純粋に シンプルに浸れさえすれば
もう完璧だ。と思えた。


「とりあえず 全身 この音に委ねてしまえばいいじゃない。」と

「説明する言葉も別にいらないし、見なくても、いいじゃない。」

って、思ったので、


眼鏡をはずして、ふうー、と ひとつ呼吸して、

眼を瞑ってみた。






そしたら 

やっぱり 心地好かった。

ただシンプルに、ストレートに。
音に心身をゆだねられたら、良い。

色々な御託は、別に要らない。


そういう、
シンプルな気持ちになった。


まさに
池のほとりに 静かになびく風に吹かれて、

さわさわそよぐ初々しい緑を、ただ、とろんとした目で、眺めているような。

そんな心地に。



そしたら、

なんか、目からウロコがはらはら剥がれ落ちて行くような感覚があった。


ここら辺の心中に起こったことの連関については、うまく説明できないけれど、
みるみるうちに、色んな事のつじつまが符合して行く感じがあった。

あえてあんまりわからないかもしれないけれど 率直なその時の感じを言い表すと、

「あーー!わかった!」っていう感じ。




「自分は『歌庭』をつくるんだ。」

っていう、
いまさらながらの、再認識の瞬間でした。





それで、
何か、未来への道筋の標識を見つけたような
知恵のかけらみたいなものを手にしたときのような
その「悟り」に近い瞬間特有の、
ものすごい ほっとしたような、幸せな気持ちに浸りつつ


いよいよ、
次回のライブは四月四日で。、、ってことになります。


この夜のMCで、これまただいぶ、ハードル持ち上げて下さいまして、

もうどうしようか、ほんとに、本気で、凄い事しなければ、やばい;
正直、ひえー;って、想うけども。

いやしかし、
目標の到達地点が高ければ、そのぶん背伸びしよう、ジャンプしようと頑張れるから、
有り難いっス。レベルアップのチャンスでもあります。
頑張りますっス。


ということなので、
良かったら、いったいどういうことになるか、見届けに来て下さい。


「野口造園」がいったい何をCREATEしたいのか、
「歌庭」って何なのか、
っていうのが、お目にかけられることと思います!



、、って、
自分でもハッパかけてみる。


ほんとは半分わかったようで、半分わかってないんだけど、きっと。





言霊と、つぶやき

2010年03月04日 | 徒然 -tzure-zure-
3月3日が、
特に何をするでもなく、終わっていました。


しかし
この前の お茶のお稽古が、ひな祭り仕様でした。
だから、ちゃんと何かをやった気もする。


干菓子は、ひなあられとか。菱餅とかでした。

キミドリと、桃、白の、
なんか 平安時代っぽい気分になる、あの三色の取り合わせ。


主菓子もそんな風。




特別に、
先生手作りの“甘酒”も 頂きました。
これは、有り難いぜいたくです。


市販のものじゃなくて、
酒粕を ごりごり摺るところから作った とのこと。

だから、その甘さは、甘くなくて、、、えーと、なんというか、

安っぽさが無くて、濃くて、
深くて、

一つの味のようで、でも色々な層があるようで、でも一つで、

清楚というか 大人っぽいというか、

辛口の吟醸酒の渋さ みたいなものがあるというか、、


、、なかなか、うまく言えない。


強いて言えば、
「人生そうそう甘くないわよ!、、と思いきや、案外しっかり甘さもあるの。」

と言っているような、
甘くない、甘酒でした。

わざわざ難しく言ってしまったようだけど、わかるかしら、このニュアンス。

甘酒、深いですね。


そうそう先日、私なんぞが申し訳ない事に、大変ぜいたくにも、
高級懐石料理を頂く機会がございまして。
そこで、また日本酒の美味しいのを傾けながら思ったんですが、

透明な 吟醸酒とか
透明な すまし汁とか、

一見 さりげなくて 澄んでいて モノトーンで シンプルであればあるほど、
相当、奥が深い。

多分それは、和食に限らない話だと思うけれど
和食を例にとるとそれは、とても分かりやすく現れる。
そんな気がします。



とりあえず
酒粕で、何か お料理に挑戦したくなりました。


そして
懐石、やばかった。もちろん、超良い意味で。
そのこともいずれ書きたいなあ。

つい、呑みすぎちゃった*





前回

「午前様は、やだなあ」なんて、
半ば愚痴めいたようなこと(自分では勿論そんなつもりじゃなかった)を書いてしまったら

その日、なんとほんとに、
“午後様”になってしまいました。

しかも
こつこつ作っていた模型が、完成目前にして “ボツ”になる
という
いわゆる「強制終了」によって。


プレゼン自体の方向性の見直しとか、まあ、諸事情があるのですが、
完成できなかったのは、無念としか言いようがありません。
自分はただのバイトだからまだいいけれど、バッサリ斬られてしまった担当の方が、
蒼白で、可哀想だった。。


そういう 残念無念なことも、避けられないこととして、時として、あるものだ。
それが、今回の学びだろうか。


幸か不幸か
“午後様になりたい”なんていう 自分勝手な ある種の「願い」が、
叶ってしまったわけ。しかも、即日。


そんなに強く念じたつもりは、なかったんだけど。
念じてたのかなあ。

ほんとに叶っちゃったりするんだなあ。


若干、畏れおののいています。
言霊(ことだま)のパワーに。




そういえば、ついちょっと前にも
『強く念(おも)えば願いは叶う。』って、確かに書きました。

しかし
「まさかそんなに?ほんとに?」っていうほど、
想いが本当に叶ってしまう。ということが、最近ちらほら、あるんです。

しかも、よりにもよって、即日、とか。

でも、大した事ではない、はず。今のところはね。

例えば:
「マックのポテトが一番好き。ポテトをとにかくたらふく食べたい。安くなんないかなー。」
って言ってたら、
それも即日、

『3月の一ヶ月間、ポテト全サイズ150円に!』
という、
まさに私のためのビッグニュースが飛び込んで参りました。

これは、ちょっとビックリしました。確かに、前々から内心、想ってはいたんだけど、
mixiかなんかで、ちょろっと書いたんです。そしたら、その途端に。

喜びの三月。
なんたらバーガーはともかく、ポテトをできればLサイズで食べたい私にとって、
これは最高の条件を揃えてくれました。

マックよありがとう!私のために!

って、
ほんとうに今、よろこんでいます。


、、、そういう、まあ、
とても些細な。一人遊び的な 日常的な ちっぽけな願望だったりするんだけど。


しかしこの早いサイクル、なんだろうか。願望の消化試合をしているような。





それで、今、

「とても恐ろしい。」と思うわけです。

畏(おそ)れ多い、といったほうがより正しいか。

言葉を遣う。言葉を発する。ということの、重みというものが。



特に、インターネット上で発言するということ。これは、実は、
相当、怖いこと。

だって、ひとたびポチッとクリックして発信してしまったら、
もう取り戻せない。

しかも、全世界の、お互いによく知らない、無数の人の目に飛びこんで行く可能性がある。
想定もしていなかったような、価値観の全く違う、色んな人にだって、届いてしまう。
可能性の話だけど。


対面で(一対一程度で)ダイレクトに話してこそ伝わる なんとなくのニュアンスっていうのは
確実にある。
むしろ、そうでないと伝わりきれないことの方が多いと思う。

例えば、うっかり間違った事とか言ってしまっても、
会って話していた場合だったら、「ああ、あの時はごめん、」って、
事後修正が比較的、可能だと思う。

直接会う事によって、
“ことば”という文字記号のやりとり以外に発生した「関係性」が、
きっと、その失敗を補ってくれるから。

でも、

ネット上で、

いわば 世界じゅうに向けて発してしまうこと。

「自分は、そんなつもりはなかったのだけど。」
っていう、現実社会でもよくある、小さなすれ違いの
ちいさなフレーズだって、

一体どんなふうに受け止められ、
また、どんなにか傷つけることになるかも、わからない。


ぼそっと つい呟いてしまった恨み言だとか 愚痴だとかは
呪いのような、よくない「怨念」になって、
誰かの災いにつながってしまうということも、大いに有り得る。
悪口なんて、もってのほか。

そして、大概そういう良くないものは、“絶対に”、自分に返って来ます。


もちろん自分も、まったくもって聖人じゃない。弱い普通の人間だから、
うっかり言ってしまったりも、する。
申し訳ない。気をつけないとと、思います。




ことばには 軽い/重いの 差などなく

どんなちいさなつぶやきにすら、ちゃんと言霊は宿る、
と、いつも考えておかないと。

『一寸の虫にも五分の魂』という ことわざもあるし。(意味はちょっと違うかもしれないけど。)

どんなちいさなプランクトンにも、どんなちいさなコケにも、
ちゃんと「魂」があるように。

ことばには、言霊というものがある。


ネットという底の知れない大舞台で “ことばを発する””書き残す”ということをやるからには
本当に気をつけなければ。と、改めて、想っています。
だって、本当に叶ったりしてしまうんだもの!


だからさ、前々から想っていたんだけど、

「twitter」って、今流行っている、あれ。
小さなつぶやきを、どんどん垂れ流して行くやつ。
「なんとかかんとか なう」って。今やってることとかを逐一レポートするやつ。

あれって、
とても気楽なコミュニケーション・ツールなようで、
実は相当、危険だと想うんです。

まず、そもそもすでにネット上にあふれすぎている情報社会の渦に、
さらにどうでもいいバグが溢れすぎるだろう
っていうのが。

だいたい、毎日、秒刻みで、逐一、自分の行動を事細かに報告する必要は、無い。
と、私は思う。

また、それをいちいち知ろうとすがる必要も、無い。
と、自分は思う。


やりたい人は、やっていいと思います。
でも気をつけて欲しいと、思います。

その一言を、全世界に発信してしまうことが、今、ほんとに、必要なのかどうか。
誰かにどうしても伝えるべきことなのか、どうか。
確実に残ってしまうけれど、残っても大丈夫なことばなのか、どうか。

「あのときは軽い遊びのつもりで、つい、」
なんて、
後でどう言い訳しても もう、どうしようもない絶望的な事態になることだって、ありうる。
ことばは、そういう力を秘めている。


だから、

私は、あれを、やりません。


って、多分、個人の自由なので、わざわざ宣言することでもないけれど。
でも、「気をつけて欲しい」と言いたいから、今、書きました。


もちろん、人の意見や気持ちというのは 変わって行くものだから、
もしかしたら、いずれ、やってたりするのかもしれない。しれーっとね。
その時はもう、ごめんなさい。

でも、とりあえず、
「今」は、
絶対に、やる気はない。

よほどの事情にならない限り。


お前、これだって、それと似たようなもんじゃないか、ただ長いだけで。
と言われそうな このブログですが。

確かに、自分の想い事をつれづれ~っと書いていますが

少なくとも、
あまりにも身勝手な 思いの安い垂れ流しにはならないように!
という意識をもって、やっています。

これを書きたい、書こう、と決めるのは「直観」なんだけど、
これを今、書くべきかどうか、誰かに伝えるに値するかどうか、
それは、一応、自分なりにですが、
「理性」のフィルターを通して、書く前も、書きながらも、書いた後も、
ほんとにこれは意味があるのか と
クリックの最後の瞬間まで、悶々と、考えています。


後で何度読んでも、大丈夫なように。という意識をもって、
自分なりに、骨身を削る思いで、やっています。
って、
ちゃんとやれてるかどうかもわからないのに、そうやってますなんて、
言うのは、とってもみっともないことだけれど。
こういう裏的なことは、「秘するが花」なのかもしれないけれど。

あえて書きつける事で、刻み付ける事で、改めて自分の心意気になることもあるし
生き方や、仕事の方針(コンセプト)にも通じてゆくので。


だから
「良かったよ」と言われると、すごく嬉しいです。と同時に、恥ずかしくもあり。
「読んでるよ」と言われると、すごく有り難いですが、と同時に、やはり恐縮でもあり。


今後とも、
重々、気をつけながら、精進します。
道を踏み外さないように、見守って頂けると有り難いです。


いくら気をつけても、まちがえることもあるけれど。
すでに発したものは、もう取り返しがつかないけれど。
自分はそのつもりがなくても、何かのスイッチを入れてしまっているかもしれないけれど。
誰かの哀しみを突いてしまっているかもしれないけれど。

せめて、そのことは、気にしながら、
重々、気をつけながら。


ことばを 大切にしたいと思います。


ことばを 大切にしてほしいと想います。




午前様リズム

2010年03月03日 | 徒然 -tzure-zure-
最近、建築業界に再び 足を突っ込んでいます。
とはいえ、
ただのバイトの身ですが。




何をしてるのかというと、
模型を作っています。
今日はカスミソウで木を作ったりもしたよ。これはほぼ“本業”みたいなものなので、
本気モード。いや、楽しかった。


いま大急ぎで作っているのは
都市計画系の模型。「200分の1」という、大きなスケール。

その割には、
ミリ単位の繊細さが要求される、とても芸の細かい作業の数々。

建築って、
どんだけ大きかろうが小さかろうが、とにかくミリ単位。

ミクロに近づいたり、
マクロに遠のいたり を、
繰り返しては、繰り返し。

大胆 かつ 繊細な神経を要する。


そして、
長期戦。

進んでは、やり直して。

くたびれる仕事です。

特に今はもう、パソコンにらみっぱなしだったりするから、
なおさら、くたびれるでしょう。

(パソコンって、なんなんでしょうかね。あの疲れる感じ。なんか、吸い取ってるのかしら。)


いずれにしても
建築業界で働いている人って、本当にタフ。
自分はほんと無理だと思うので、リスペクトせずにいられない。


お疲れ様です。




模型を作ってると
いつの間にか あっけなく
一日が終わってしまいます。

仕事はなかなか終わらないのに。
時間の流れ方ばかりは、異様にスムーズ。


よりにもよって、地下室の、窓から遠い 奥の奥。
休憩も ほとんどとる事なく。(それは自分の責任でもあるけど。)


夕飯は、ありがたいことにテンヤ物の出前をとってもらえるので、
おかげさまで、食費が浮いて、これ幸い*
なのですが
代わりに 一歩も外に出ることなく、

気づいたら、
夜になっている。

というか

気づかないうちに、
深夜になっている。


この事態はけっこう、
自分としては、ショッキング。
常日頃、なるべく、自然の流れに触れて生きていたいとおもっているから。


ああ、今日は、外の動きをほとんど見てないぞ。
あの木の冬芽や あの花のつぼみは、どこまでふくらんだろう。
沈丁花はどこだろう。

って、
ぼんやり想いながらの、帰り道になります。


じーっと凝らす気になれないほど くたびれて眠たい目を
無理に凝らしてみても
見えない。

すでに風景は 闇にすっかり落ちて、

樹々のさきっぽの 小さな変化の様は、
影のかたまりになって、
すっかり見えない。

この春先に。
ちょっと口惜しい。

仕事があるのは嬉しいし、大変有り難いけど、
なんだか損をしている気もしてしまう。
全くぜいたくだけど、もどかしい。


夕焼けを見たい。





帰宅するのは、やっぱり日をまたいでしまいます。
ここのところ、もっぱら午前様。

ほんのちょっとだけど、午前様。

「午後様」って、あまり聞きませんね、そういえば。

まあそれはさておき。

ほんと、数分から一時間にも満たない程度なんだけど、
午前様。
でもその ちょっとだけですら、

「ああ、“今日”のうちに帰れなかった。」
「ああ、もう“明日”になってしまった。」

って、
なんか 残念な気持ちになるのは、
やっぱり、
一日の締めとしては、締まりが悪いものです。

「あと数時間後に起きて、また出社するために、とにかくもう何もせず、
とにかくさっさと寝なければ、、」
って、
思わさせられる。


一日が
終わるようで何も終われない、終わらない終わり方。

ずぶずぶと泥沼を廻っているような、
終わりの無い感じ。

これって、、、
なんだかなあ。。。




願わくば:

一日の終わりに
眠りに就く前に

ほっとするためのお茶タイム や

ちょっと本を読んだり ぼーっとしたり
音楽を聞いたりする
そんな ゆとりは、やっぱり 欲しい。

(ああ、そういえばこの前、やたら忙しくなった友人も、そう言ってた。)


一日という ごく限られた時間の中でも、
張りつめた緊張感を要する“仕事”というものに費やす時間と

ほどよいバランスで

色々な楽しみや慰みのために費やす時間は、
必要だと想います。

単純に、時間量で決まるバランスではなく、
たとえば:本を数ページでもめくる、10分でもあれば、
だいぶ良いと思う。それは、きっと、人それぞれ。
その“ほどよいバランス”は、自分の満足度で測るもの。

でも
そういうゆとりタイムを 極力ゼロに抑えなければならない、
ゆとりをおろそかにしなければならない、
っていう、
その 忙(せわ)しなさ。それって、どうなんだろうか。



それは、やっぱり、
気づかないうちに からだも心も消耗してしまう。
そして、後が続かない。


今日と明日が割り切れない、
余裕の無い、そんな生活。


そういうのが平気な人も、もちろん居るんだろうし。  
仕事大好き、それだけでいい、っていう人も居るだろうし。
夜型のバイオリズムの人もいるだろうし。

だけど、

自分には、そういう生活は、
ぜったい無理だな。

というか、

イヤだな。


そういう確たる気持ちもあって。
よりにもよって、その最たる職業だと見えた建築から道を逸れて、
“庭”という世界に行ったのでした。そもそも。

建築という世界は、とても面白いし、今でも大好きなんだけど。
そこで自分は生きられるか、となると。

やっぱり違う。

自分のバイオリズムが合う望ましい流れとは、ちがう。


一方、

造園という世界のバイオリズムは、フィットした。

造園屋での生活 & 秋田の森での生活で、
すっかり身に付いた、
お天道さま主体のバイオリズム。

朝8時:スタート
10時:休憩
12時:昼食
15時:休憩
夕方17時:仕事 強制終了


陽が昇ったら起きて、
陽が落ちたら終了。
夜は、完全プライベートな時間。

しっかりとからだに染み付いた、バイオリズム。
しっかり組み込まれた体内時計。
いまでも 12時きっかりにお腹がすきます。
いまでも 17時きっかりに、集中力が途切れます。


このバイオリズム。
一度身に付いたら、とても、楽だった。

自然のリズムに準じた生活。
季節のながれに準じた生活。
理想はやっぱり、そこだと思います。

人それぞれだけど。
自分の望むバイオリズムは、このリズム。
このリズムを狂わされると、調子が悪くなったり、イライラしてしまったりする。


だけど、
自分のリズムを守りぬくことって、
なかなか難しい。
都会というところで生きるには。

都会で廻っている、いろんな仕事というものをやりくりしながら、
ただ生きる、それだけでも。


都会っていうのはやっぱり、どんなに街路樹や庭があっても
それにふれているか?って言われたら、そういえば直に触れてるわけじゃないし。
一方
流れている時間の速さは しっかりと“不自然”なので、

よほど意識して
自分のバイオリズムやバランスを、可能な限り大切に護っておかないと、

あっさり呑まれてしまう。
その“不自然”の大きな流れの、圧倒的な力に。

そして、
崩れてしまう。
からだか、こころが。

より正確に言えば、
からだも、こころも。


都会に居ると、
“自然”は、ほんとに遠くなる。

しっかり意識して、離れないようにしておかないと。

そこらじゅうにあるようで、やっぱり、無い。



ちなみに
自分がとりあえずとっている具体的な方法は というと、

植物を、自分で育てる、ということ。
花の鉢物や、ハーブや、観葉植物。


最近、
アスパラガスが枯れてしまった。
すごく申し訳なくて、哀しい。
まだまだ力不足だ。





やっぱり
午前様とか、やだなあ。

自分の生きたい流れは、
こっち(庭)であって、
そっち(建築)ではないんだなあ。


っていうのを
今回も、何度目かの再確認をさせてもらいながら

でも
おそらく 今の自分にとって必要だから現れた“修練”だと思って

淡々と、頑張っています。


ただ、
バランスを崩さないように、気をつけながら。

自分のバイオリズムを黙殺するほどに 頑張りすぎないように。

からだの声を、意識しながら。


とにかく今は、修練の時。

明けて、今日も。

頑張ります。


みんなも、頑張ってね。
なんて、
軽々しく言えないけど。



「自分を大切に」
「自分にやさしくね」って言われたりするけど、

それじゃあ、

「要するに、何をどうすればいいの?」って、前から首を傾げてた。
けど、

要するに

「自分のバイオリズムを大切にしなさい」
ってことなんじゃないかなと、

今なんとなく、思っています。


自分のバイオリズムの流れとちがう“波”に乗らされた時は、
とにかく、
無理しない。

流れにはとりあえず乗るけれど、
絶対、無理はしないように。


逆に、

乗るべき波が来たら、ちゃんと乗れるように。

その来るべき波が いざ来た時には、
ちゃんと乗りこなせるほどの“元気”が、しっかり貯えられているように。


っていうのを、気をつけようかなと。


今、思っています。


one of 午前様s として。




そんなわけで、

まだしばし続きそうな、修練の日々。

午前様デイズも、もうちょい続きそう。



春一番は向かい風

2010年03月01日 | 徒然 -tzure-zure-
“春一番” が吹きました。

もうだめです。

すでに手おくれです。



春になってしまいました。


さんざん待たされたようで
ここに来て、怒濤の勢い。




春一番の その夜は、
朧月夜でした。ご覧になりました?

夜空に滲んで融けて、きれいだった。



深夜に、
久しぶりに長い仕事を終えて、
ふーー、、っと見上げた 真っ黒な帰り道に。


うすぼんやりと、



かすみにとけた、おぼろ月。


月は静かで

一方 下界は 荒々しくて、あたたかな風が吹いていて。

でも、あたたかい。
マフラー要らない。セーター要らない。
もう夜も、あたたかい。



そんな帰り路。
いきおいよく、向かい風。

疲れているのに追い打ち掛けられて、進まないったら。


でもその風の中に

沈丁花の香りが 混ざっていました。

姿は見えざれど
あたたかい闇と風にまぎれこんで。

確かに、
このあたたかさなら、咲きたいだろう。



ようこそ沈丁花。
何処に居るのか、沈丁花。見えないけれど。

ああ、いよいよ咲いたんだ。


それなら、
良い。

向かい風でも、全然、良い。


向かい風、どんと来い。
香りもまぜて、おしよせて来い。

この際、あせらず。ちんたら帰ってやろうじゃないか。


見上げれば、朧月夜。

帰りはひたすら、向かい風。

春一番は、向かい風。


、、、ああ、

そうか。


いま、“南”に向かって走ってるんだ。自分は。


そういえば。
春一番は、南から吹く 恵みの風だった。


そして、
自分の帰る道は、
ひたすら南へ向かう路なんだった。


南へ、南へ。




春一番が吹く頃は

だいたい
無性に 旅したくなります。


遠く 遠く。


南へ、南へ。









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