宝篋山の大展望
別名は小田山。古くは三村山と呼ばれていたとか。
筑波山から南東に連なる筑波連山の支峰の一つ。
宝篋山という聞きなれない名前の由来は、鎌倉時代の中期に宝篋印塔が建立されて以来のことらしい。
宝篋印塔という言葉も聞いたこと名がなかったので調べてみると、おおもとは、紀元前3世紀のインドのアショーカ大王までさかのぼるみたい。
「仏舎利をさらに分割して、84000基を建立し、これを世界に分置した」
という途方もない事業を行ったらしく、伝説では鑑真和上も1基もっていたとか。
10世紀の中国では呉越王銭弘俶という人物が、この事業をまねて、84000基を建立、うち、10基ほどは日本でも現存しているとのこと。
宝篋山の宝篋印塔は、そのまたコピー版ということだろうか?
コピー版としても、この時代にとっては、大切な信仰の証しだったのだろうし。
別名は小田山。古くは三村山と呼ばれていたとか。
筑波山から南東に連なる筑波連山の支峰の一つ。
宝篋山という聞きなれない名前の由来は、鎌倉時代の中期に宝篋印塔が建立されて以来のことらしい。
宝篋印塔という言葉も聞いたこと名がなかったので調べてみると、おおもとは、紀元前3世紀のインドのアショーカ大王までさかのぼるみたい。
「仏舎利をさらに分割して、84000基を建立し、これを世界に分置した」
という途方もない事業を行ったらしく、伝説では鑑真和上も1基もっていたとか。
10世紀の中国では呉越王銭弘俶という人物が、この事業をまねて、84000基を建立、うち、10基ほどは日本でも現存しているとのこと。
宝篋山の宝篋印塔は、そのまたコピー版ということだろうか?
コピー版としても、この時代にとっては、大切な信仰の証しだったのだろうし。
ロマンがあるねー。
中世のつくば市周辺は、仏教の一大先進地帯だったのかも。
知らなかった-。
かなりの壮大な物語!
登山としての宝篋山は6つのコースが推奨されていて、どれも90分くらいで頂上にたどり着けるファミリー向けの山。
滝もあったりして、マイナスイオンも充分だし、ちょっとした尾根歩きも楽しめる。
標高は461メートル。頂上は広々としていて、ベンチもたくさん設置していて、お弁当タイムも楽しめそう。
実際、年間10万人の登山客が訪れるという。
この日は快晴で、富士山とスカイツリー、日光男体山と白根山、そして真正面には筑波山がどかんと見えて凄い迫力。
人生で同じ山を登ることはほとんどないのだけれど、宝篋山は、もう一度来てもいいかな-。
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