姿三四郎ゆかりの神社・霊山神社
霊山神社の祭神は北畠親房と北畠顕家。
創建は明治14年。
霊山神社の祭神は北畠親房と北畠顕家。
創建は明治14年。
北畠家は南北朝の時代に活躍した武将で、ここ霊山町が本拠地。
北畠親房は学者でもあり、官僚としても優秀で、さらに武将としても実力もあって、つくば市の小田城、筑西市の関城、伊佐城を拠点に戦った人物なので、茨城県南部在住の自分にはなじみのある存在。
その息子の北畠顕家はある種の英才教育が生んだ天才児で、12歳で参議に昇進。
これは現代の内閣でいえば主要閣僚というポジション。15歳で陸奥守に任じられて東北に下向し、陸奥の統治を開始。
これも現代でいえば、道州制の知事と、軍司令官を同時に任されたような地位。
その後5年間、21歳で戦死するまで、大軍を動かしながら足利尊氏と互角に戦っていて、もし30代まで生きていれば歴史は大きく変わったと惜しまれる人物。
北畠親房が著した『神皇正統記』が明治政府で評価されることにより、明治14年に霊山神社として創建されることに。
余談ながら、スホ根ものストーリーの元祖といえば小説の「姿三四郎」。
この主人公のモデルといわれているのが、西郷四郎で、彼の養父にあたる人物が霊山神社の神職だった西郷頼母。
治療室「サン光」webページ http://sankoseitai.han-be.com/
北畠親房は学者でもあり、官僚としても優秀で、さらに武将としても実力もあって、つくば市の小田城、筑西市の関城、伊佐城を拠点に戦った人物なので、茨城県南部在住の自分にはなじみのある存在。
その息子の北畠顕家はある種の英才教育が生んだ天才児で、12歳で参議に昇進。
これは現代の内閣でいえば主要閣僚というポジション。15歳で陸奥守に任じられて東北に下向し、陸奥の統治を開始。
これも現代でいえば、道州制の知事と、軍司令官を同時に任されたような地位。
その後5年間、21歳で戦死するまで、大軍を動かしながら足利尊氏と互角に戦っていて、もし30代まで生きていれば歴史は大きく変わったと惜しまれる人物。
北畠親房が著した『神皇正統記』が明治政府で評価されることにより、明治14年に霊山神社として創建されることに。
余談ながら、スホ根ものストーリーの元祖といえば小説の「姿三四郎」。
この主人公のモデルといわれているのが、西郷四郎で、彼の養父にあたる人物が霊山神社の神職だった西郷頼母。
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