第1ペテロ2:20
『罪を犯したために打ちたたかれて、それを耐え忍んだからといって、何の誉れになるでしょう。けれども、善を行っていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。』
不当な苦しみを受けながら、神の前に悲しみをこらえているならば、それは神に喜ばれることですが、罪を犯して懲罰を受けながら耐え忍ぶことは信仰に何の益ももたらしません。
罪を犯して受ける懲罰は当然受けるべきものです。
以前、韓国で財閥の奥さんが政治献金をして、そのことで捕まりました。
その人は教会でも色々な奉仕をしている人ですが、公然の場で「私はいま迫害を受けています」と訴えました。
しかし多くの人から非難されました。
それは彼女の大きな勘違いでした。
彼女は法に違反することをしたので裁判を受けているのに、自分には罪がないかのように振る舞っていました。
それは処罰されないといけないことで、教会に対しても迷惑行為でした。
その中で耐えていると言われても同情することも出来ません。
【祈り】
主よ。神と福音のために受ける苦難以外の苦難を造り出すようなことを私自身がしないように助けて下さい。罪から離れ、みことばに従う者になりたいです。
【聖句をノートに書きましょう】
-忍耐-
- 詩篇37:7
- 箴言25:15
- 伝道者の書7:8
- 第1コリント13:7
- 黙示録13:10
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