ヨハネの福音書19:17
『彼らはイエスを受け取った。そして、イエスはご自分で十字架を負って、「どくろの地」という場所(ヘブル語でゴルゴタと言われる)に出て行かれた。』
イスラエルのエルサレム旧市街にあるヴィア・ドロローサ(悲しみの道)は、処刑宣告を受けたイエスが、十字架を担がされてゴルゴタの丘まで歩いた道です。
約1キロの道を自分がかかる十字架を背負って歩いたことは、とても過酷で辛かったと思います。
そしてゴルゴタの丘に辿り着いた後、ローマの兵士たちは長い釘でイエスの体を十字架につけました。
十字架がとどまる場所はいつも苦痛の場所になります。
しかしその苦痛を嘆きで終わらせず、神の御心として喜んで受け入れる時に、その十字架はその人の中で、神と人間が出会う至聖所になります。
至聖所で聞く神の声はすべての苦しみと絶望の中にいる者に力と慰めと希望の声になります。
【関連聖句】
ローマ8:18
『今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。』
《 3分バイブルボイス 》
【愛】キリスト者に足りない情熱:第2コリント5章