マルコの福音書10:45
『 人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。』
程度の差はありますが、誰にも支配欲があります。
しかし、自分に与えられた権利の限界を超えてしまうと共同体の秩序を破壊してしまいます。
最近大きな問題となり、ますます増えているのがストーカーですが、それも相手に対する支配欲から出ています。
度を超えると相手を殺してでも自分のものにしたいと思って人の命を取ります。
信仰生活は支配欲を満たすためのものではありません。
牧会者が神のみこころを忘れ、支配欲に満たされると教祖になります。
そして人々を洗脳し、自分の思い通りに動かして支配します。恐ろしいことです。
イエス様は優れた権威を持って来られましたが、人々を支配したことがなく、いつも仕えていました。
D.L.Moody牧師は、“人の偉大さは、その人がどれほど多くの人を仕えさせているのではなく、かえってどれほど多くの人に仕えているかによって真価が問われる”と言われました。
与えられたポジションと地位、力を支配欲の道具としてではなく、仕える手段として使う人が一番美しい人です。
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※
◆ おすすめページ ◆
※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※‥※