第1テサロニケ5:9
『神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。』
最初の人間が神の命令に逆らって堕落した時に、神様は色々な選択が出来たと思います。
一番簡単な選択は、彼らから命を取って新しい人間を造れば悩むこともなかったと思います。
なぜなら最初の人間も神様が造ったので、彼らから命をとっても誰も何も言うことがないです。
しかし神様はその選択をせず、とんでもない救いの計画を立てました。
その計画は神様がとんでもない犠牲を払わないと成立しない計画でした。
人間が堕落した後に神様が打ち出した人間を救う計画が創世記にあります。
創世記3:15
『わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」』
「女の子孫」とはイエス・キリストのことで、「おまえ」はサタンのことです。
イエス・キリストの十字架は、かかとにかみつくということばで表現されてあります。
キリストは神のひとり子で神なのに、人間を罪から救うために人間として生まれ、人間の罪を背負って十字架にかかりました。
しかし三日目によみがえったことで死の力を持つサタンに勝利しました。
キリストの十字架には人間に対する神の深い愛と犠牲、そして救いがあります。
ヨハネの福音書3:16
『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。』
【祈り】
罪を犯した人間に対する神の深い悲しみと怒りがそのまま人間に下らず、イエス・キリストを通して救いの道を開いて下さった神様には感謝だけです。
《 3分バイブルボイス 》
【ディボーション】神のみこころを行うため:ヨハネの福音書6章38節