第1ヨハネ3:21-22
『愛する者たち。もし自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ、
また求めるものは何でも神からいただくことができます。なぜなら、私たちが神の命令を守り、神に喜ばれることを行っているからです。』
アダムとエバに罪がない時は、エデンの園で神と仲良く歩みました。
裸であっても恥ずかしくありませんでした。
しかし罪を犯した後、状況が変わりました。
裸であることが恥ずかしくなりました。
それでいちじくの葉で腰の覆いを作りました。
その後、神の前に出ることが出来ず、隠れました。
自分たちの姿を見せたくなかったです。
神との良い関係が壊れてしまいました。
悪いことをすると良心の呵責があるので、大胆に振る舞うことが出来ないです。
神様はうわべよりも心を見る方ですから、心に責められるものがあると、無意識的に神の前で隠れます。
ですから神様は、罪は神との間に仕切りを作ることであるから、罪を隠さず、神の前に来て罪を悔い改めて赦してもらいなさい、と言われました。
罪が赦されると神の前に大胆に出ることが出来ます。
神の命令を守り、神が喜ぶことをする人は、神と仲が良いのでいつでも神の前に大胆に出ることが出来ます。
【関連聖句】
ヨハネの福音書9:31
『神は、罪人の言うことはお聞きになりません。しかし、だれでも神を敬い、そのみこころを行うなら、神はその人の言うことを聞いてくださると、私たちは知っています。』
【聖書通読】
-大きな魚-
- ヨナ書1-2章
《 3分バイブルボイス 》