創世記22:8
『 アブラハムは答えた。「イサク。神ご自身が全焼のいけにえの羊を備えてくださるのだ。」
こうしてふたりはいっしょに歩き続けた。 』
アブラハムが100歳の時に、息子イサクが生まれました。
神様が息子を与えると約束したのは彼が75歳の時でした。
それから25年後に生まれたイサクは、アブラハムにとっては宝そのものでした。
しかしある日、とんでもない神の命令がありました。
「全焼のいけにえとしてイサクをわたしにささげなさい。」
アブラハムは神に対して何も言わず、言われた通りに息子イサクを連れ出しました。
イサクにたきぎを負わせ、自分は火と刀を持って進んでいく時に、
いけにえがないことに対してイサクは「全焼のいけにえのための羊はどこにあるのですか。」と聞いた時、
アブラハムはそれがイサクであるにも関わらず、神ご自身が羊を備えてくださると答えました。
皆さんならばどのように答えますか?
神のことばに従って出掛けはしますが、胸がいっぱいになって涙が溢れて何も言われないでしょうね。
ある人たちは最初から従わないと思います。
信仰は神様がどういう方かを信じることです。
神が理由もなく、自分に与えた息子をいけにえにささげなさいとは言わないと思ったアブラハムは神を信じ、
神に期待し、信仰告白として本文のことばを語りました。
そして彼の信仰は正しかったのです。
アブラハムの信仰を認めた神様は一頭の羊を本当に備えていました。
私たちの問題は、神に対する信仰、信頼が足りないので、心配、恐れ、不安になって神の命令に従うことができません。
信じましょう。
「主の山の上には備えがある」ことを。
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