マルコの福音書10:45
『人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」』
言語一致がないならば、それは嘘をついたことになります。
私たちは軽々しく誓願を立てたり、約束をしたりします。
しかし守らない時も多いです。
ですから『私を信じて』とは、なかなか言えないです。
自分も自分を信じることが出来ないです。
意図的ではなくても自分が言ったことばに責任を取れない時があります。
しかしイエス様は一度も偽りを言った時がありませんでした。
その口から出たことばはすべて真実でした。
言語一致があったからです。
生きている時に、何度も自分は多くの人のための贖いのために命を与えると言われました。
そして言った通りに命を与えました。
キリストの死は、ただの死ではないです。
計画された死でした。
罪人を贖うために天から遣わされて、自分のいのちを惜しまずに捧げました。
預言通りの死でした。
【関連聖句】
ガラテヤ1:4
『キリストは、今の悪の世界から私たちを救い出そうとして、私たちの罪のためにご自身をお捨てになりました。私たちの神であり父である方のみこころによったのです。』
【聖書通読】
-善と悪-
- 箴言15-17章
《 3分バイブルボイス 》