マルコの福音書4:36
『そこで弟子たちは、群衆をあとに残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。』
イエス様といつも一緒にいた弟子たちは、群衆から見たら羨ましかったと思います。
人となった神と共にいることは、どんなに素晴らしいことでしょうか。
弟子たちはこのことをどう思っていたでしょうか。
特別に恵まれた環境の中にいることをいつも喜んでいたでしょうか?
主を崇めていたでしょうか?
ほとんどの人間は恵みや祝福がずっと続くと、いつの間にかそれを当たり前のように思い、当たり前のようにいつも受け取るべき権利だと錯覚してしまいます。
群衆を残し、舟に乗って湖に出た時に激しい突風が起こり、舟は波をかぶって水でいっぱいになりました。
突然のことで慌てふためいた彼らは、疲れて寝ていたイエス様を起こして文句を言いました。
『先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないですか』と。
まるでイエス様が自分たちを困らせたかのような言い方でした。
それは無礼な言い方だと思いますね。
『助けて下さい』と言えば良いですが、とげのあることばを使いました。
しかしイエス様は心の広い方だと思います。
彼らのことばよりも彼らの信仰を心配しました。
突風と共にどこかに飛んで行ったのは彼らの信仰でした。
不信仰には恐れが付き物です。
ですから主は、彼らに『どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。』と言いました。
自分たちには信仰があると思っていたのに、信仰がないことがばれてしまいました。
主と共にいるからそれだけで信仰ある者になるのではないです。
主を崇める心と恵みに感謝する心がないと信仰は消えていきます。
弟子たちはそれを知らなかったです。
このことで彼らも少しは自分の信仰状態を知ったと思います。
【祈り】
主よ。いつも主に頼り、崇める信仰を持って歩みたいです。
【聖句をノ-トに書きましょう】
-知らない-
- マタイの福音書24:36
- ヤコブ3:14
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