Oregon on The Breeze ~ サトリの森

Yaplog時代のブログをこちらへ引っ越ししました。

嬉しい贈り物

2013-07-02 00:43:47 | 友人
今日も暑かった
最高気温37℃ 4:45pm
夕飯はやっぱり『サラダご飯』

毎度のことながら、熱帯雨林的湿気がないから凸凹凸も元気だけど、ペーハは生まれて初めての夏にハァハァしながら、走り回ってる。(やっぱり若い!!!)
人間は毛皮がないから半袖を着てるとジリジリ皮膚が焼け焦げていく感じがする
でも、こっちで、UVカットの為に、黒いジャケットを着てたりすると、Mama Susan や Aunt Diane は勿論の事、知らない人にまで
「暑くないの?」
って言われるのが煩わしいから、最近は日焼け止めを腕が白くなるほど塗ったくってる
私の古~~い友人とそんな暑いOregon事情を話してたらSkypeで心配してくれてた。
本当に友人はありがたい

友人はありがたい、と言えば今日、前に住んでいた所で仲良くしていた友人のテッコちゃんがドド~ンと送ってくれた業務用のカレーや海苔やふりかけ(これも業務用)を受けとりました!!
船便でいいと言ってたのに、航空便。しかもEMSです。(速達書留みたいなもんかな?)
早く着くからそれにしたと言ってましたが、郵送料は中身より高かった・・・って。
そうですよね、何しろ業務用のカレールーが3個も入っていましたから。

その前には、前述の『古~~い友人』とは別の『古~~い友人』が、私に合う日焼け止めがないとぼやいていたのを覚えていてくれて、私の肌になじむ日焼け止めを送ってくれました。

サトレペパパが一足先に渡米して、レイラと日本でビザの発給を待っている間も、どれだけ多くの友人達に助けてもらったか・・・・。

会社に勤めていた頃は、色々なしがらみや、その場のニーズに合わせて、自分を作っていかなくてはいけない場面も多く、徐々に偽りの自分が生まれてきて、いつか、それが自分だと思ってた時期もあった気がする。
でも、会社を辞めて・・・・つまり社会から一歩引き下がってから、あることがきっかけで、そう言う観念から解き放たれたとき、『自分』と向き合ったんだと思う。
そして、回りにいた人たちも自然淘汰されて、今私のまわりには心地よい人たちだけがいてくれる。

アメリカに渡っても、こうして心をかけてくれてる友人たちが居ることを私は今とても嬉しく、ありがたく心から感謝している。

今日は、何か真面目な話になっちゃったけれど、『自分』と向き合えたからいい友人がそばにいてくれる・・・だけじゃないと思ってる。
サトリレイラがいなかったら、知り合ってなかったろう友人達が、沢山いるからね。
サトリレイラにも感謝だね。
犬自身が社交的であってもなくても、犬を連れてると人が寄ってくるからね。
ただし、こちらでは、「犬の散歩」をする事がほとんどないので、犬を通じて・・・・って知り合う機会がないのが残念かな?

素晴らしい人たちに巡り会わせてくれたGreat Spiritのギフトに感謝します。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

誕生と旅立ち

2012-10-15 20:51:08 | 友人
2011年は、大震災と言う大きな出来事があり、多くの方がその犠牲になりました。
でも、そんな中、私の耳には、友人や後輩たちのおめでたの話が結構飛び込んできていました。
まだまだ、今年も、新しい命が生まれます。
嬉しい反面、バブルのいい時期を過ごしてきた私から見ると、地球温暖化だの、放射能汚染だの、地震だの、津波だの・・と、この厳しい世の中に生まれて来て、どんな大人になっていくのだろうか、と不安がよぎらないと言えば嘘になる。
もっとよく物事を知っていたら、こんな事になる前に原発事故に歯止めが出来たかもしれない、と思うと今まで無知なままに、恩恵を受けてきた事に申し訳なさすら感じてしまう。
だから、私たちが、これからの子供たちの為に何かしていかなくてはいけないと、心から思うのだけど・・・・。

おめでたい話から、暗い話になってしましました。
暗くなりついでに、お話します。

今年は、母が亡くなり、淋しい思いをしましたが、そんな中で追い打ちをかけるように、思いもかけない命が二つ、消えてしまいました。

一つは、サトリの同胎の「Gunner」の死です。
「Gunner」は、サトリの兄弟姉妹の中でも一番大きく、ハンサムで、ドッグショーでも1位の座を総なめにする勢いで、彼の血を引くシャイロ・シェパードが沢山います。
会った事はないのだけど、何気に自慢のきょうだいだったんだよねぇ。
ところが、何気にブリーダーのMLを久しぶりに読んだら、「Gunner」が突然死をしたと言うメッセージを見つけたわけです。飼い主さんとは時々メールをやりとりしてたので、急いでメールをしたら、死因は
「胃捻転」だったようです。病院へ連れて行ったけれど、駄目だったと言っていました。来年10歳のお誕生日を一緒に祝えると思ってたのに・・・・残念です。

もう一つ・・・。これも、サトリの関係。
サトリの幼馴染として、このブログにも時々登場してもらっていた、「Kahn」の死です。
7月には私より一足先に渡米をする、サトパパとサトリにわざわざ会いに来てくれて、一緒に散歩もしたんです。
「Kahn」は、大手術をして、しばらく自力ではまともに歩けなかったのに、「Kahn」パパ、ママの努力の成果で、散歩が出来るようになり、会いに来てくれた日は、うちの近所の広い公園を一回り出来たんです。
「よくなって、よかったよねぇ~」
って大喜びしてたのに・・。

「Kahn」との出会いは今も鮮明に覚えています。
サトリがまだ、日本に来て間もない頃、多摩川の河川敷を散歩している時に、声をかけてくれたのが、Kahnママでした。 お誕生日は、サトリの方が1ヶ月ほどお姉さんでした。
ご夫婦とも、気さくでいい方だったので、意気投合して、それから時々会うようになりました。おうちにも3回ほど遊びに行きました。
初めて遊びに行ったときは、サトリも緊張していたようですが、2回目は2頭で泥だらけになって遊び、帰ってから洗うのが大変でした。
3回目は、サトリは自分の家のごとく振る舞うので、可哀想にKahnは吠えながらも遠慮して部屋の隅の方へ行ってました。
それを見て、私は、Kahnの心情をおもんばかり以後、遊びに行っても家の中へサトリを連れて入るのをやめたんです。

その頃、私は、イアン・ダンバー博士考案の「K9ゲーム」を始めたのですが、我が家にがないと知ってたKahnパパとママは、快く車を貸し出してくれたのです。しかも、無償で・・・。K9ゲームの見学にも来てくれました。会うやいなや、すぐに遊びのモード全開の2頭でした。
遊ぶのは、ドッグランでだけよ!
と言うので、立川の昭和記念公園のドッグランへも遊びに行きました。狭いドッグランなのに、何をするのも、何処へ行くのも一緒に行動するんです。

友人、知人たちとキャンプへ行ったときも、一緒に行動してましたが

究め付け、びっくりしたのと同時におかしかったのは・・・
あのデカイ2頭が同じケージの中に入っていた事でした。
どちらかと言うと、いつも威張っているのがサトリなんですが、何でか、こんな狭い所に一緒に入っても唸りも、吠えもしないでいる・・・。一体、この2頭の関係ってなんなんでしょうね

そんなKahnが虹の彼方へ行ってしまったのは、サトリが無事にアメリカに着いてから16日目。
Kahnママからをもらい、いつもと変わらない様子で、

「今朝、Kahnが・・・・」
と、サラッと言った言葉の後ろに、彼女の大きな悲しみと落胆が隠れていた気がします。
その日は、たまたま何も予定がなかったので、レイラをサトリの臨時代理大使として一緒に霊園まで連れて行きました。レイラは、Kahnのそばに寄る事はなかったけれど、じっとそばに横になっていました。サトリと比べると、KYだと思っていたレイラが、高尾霊園へ行ったときには、いつもガウガウしちゃうKahnパパに対して、尻尾を振ってそばにいったのにはびっくりしました。
きっと、彼が一番気落ちをしていたんでしょうね。そんな空気を、レイラは感じたのだと思います。

別れは本当に辛いです。寝食を共にし、悲喜こもごもを分かち合い、9年も一緒にきたわけですから。
彼女は、火葬場の煙突が黒い煙を吐いたとき、ふっと言いました。
「あれが、Kahnなんだよね。まっすぐに空に昇っていってるね。」
「サトリの(血統書の)名前は”木の精”から取ったんだよね。サトリが迎えてくれてるんだよね」

と火葬場のそばの大木をかすめて立ち上る煙をずっと見ていました。
彼女にとって、Kahnは初めてのワンコでした。でも、小さくなったKahnを家に連れて帰り、私が去る時も、

「レイラが来てくれてよかったよ。本当にありがとう」
とレイラにまで気を遣って、気丈にふるまっていた姿が痛々しかったです。

Kahn、今まで本当にありがとう。これからはパパママ同様、サトリの事も見守ってて下さいね。



<おまけ>サトリが載った雑誌を見ているKahn

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

バタバタです

2012-07-14 10:40:13 | 友人
ああ、色々な事があったこの数ヶ月。走るように毎日が過ぎて行く
1月末に亡くなった母の納骨を家族だけで、ひっそりとしました。

                      
 お天気が良くて、ちょっと暑いくらいの4月29日でした。
母も、やっと父と再会出来て安心したんではないかな?私たち家族を、いつも身をはって守ってくれた母でした。
お疲れ様でした・・・・

そんなこんなの中、6月初めに、住み慣れた立川を出て、私の移民ビザ取得を、杉並区の私の家で過ごすことにしたものだから、お友達たちが送別会してくれたり、会いに来てくれりしました。ありがとうございます。
でも、まだ、ビザ取得まで先が長くなりそうな事がわかったので、またみんなに会えそうです。

(差支えもある方もいるでしょうから、小さな写真で何人かのおともだちを紹介)

何故か女子会で唯一の男性
女子会メンバーと立川ショーパブ”杏門”のきれいで面白いお姉さま方とイケメンダンサーたち
CAPP(動物介在活動)の仲間と、K9ゲームの仲間私とサトパパのおともだちたち

久しぶりにレイラと広島へ行きました。
広島時代の友人たちにも会えました。

そうそう、会社の後輩たちが、ランチに誘ってくれたので、何年振りかに六本木に行きました。
勤めているときには営業でよく行ったけど、退職以来ほとんど足を向けなかったので、あまりの変わりように、周りを

後輩に思わず写真を撮ってもらっちゃいました。

 田舎者の気分です

あ、サトパパ、パソコン使いたいって言うから、今日はここで終わりです。
また、続けたいと思います





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

変わらないもの

2012-02-15 15:07:17 | 友人
理数系の友人の健ちゃんが、台湾へわたって・・・何年だ
ま、とにかく当時勤めていた会社の長期出張で台湾へ行ったのがきっかけで、会社までやめちゃって、お気にいりになった台湾で中国語を習い、今は学校へ通ったり、語学を教えたりしながら台湾で暮らしている。

インターネットのおかげで、遠くに住んでいる気はしないのだけど今回は一時帰国で会える事になったわけ。
実物にお目にかかるのは、何年ぶりかしら?
そもそも彼とは同じ先生の元で武道を学んだ同窓生?・・・みたいなもの。
今はお互いそこの道場を離れているのだけど、まだ残って続けている仲間も勿論います。
サトパパともそこで知り合ったわけで、彼も今回の健ちゃんの帰国を楽しみにしてました。
健ちゃんの一時帰国を理由に、昔の仲間にも声をかけてみました。
疎遠になってしまってる人もいるけれど、とりあえず連絡のつく人にコンタクトしたら、幸いその中の一人がちょうど時間がとれると言う事で、東京駅で待ち合わせをしました。

ン? サトパパが住職さんと談話中?

いえいえ、この方は、仲間の一人。いつも皆の事を気にかけて引っ張って言ってくれてた親分的な
'ゆきちゃん’です。道場へ通っている時には髪の毛がありました。でも、そう言えば道場では、「ダルマさん」って呼んでました。その時は、頭じゃなくて、体型がさんをイメージさせたからなんですが・・・。

東京駅の居酒屋に腰を据え、3時間はたっぷり昔話に花を咲かせました。
その日、来られなかった仲間の情報もいくつかゲットできました。
一番のビッグニュースは、もう一人いた仲間の女性(さんと呼ばれてましたが)が離婚をし、再婚をしたと言う事。新宿へ越したことはハガキで知っていましたが、その後何となく連絡がなくなって・・・。
でも、再婚の相手を聞いて、びっくり!!でした。
ゆきちゃんが、
さんが再婚したの知ってる?知ってる人だよ」
と言った時に私は迷いもなくある人の名前を言ったんですが、ゆきちゃんは大当たりぃ~!!だったんでびっくりしたようです。だって、知ってる人と再婚した、と聞いたらその人しかいないと思ってましたから。
健ちゃんなんかは、がその人に惹かれていた事すら気づいてなかったようですが・・・。
ン、モウ~・・。女心が読めないんだから・・・
健ちゃんはすっごく優しくていい人で女友達も多いのに、未だに独身なのはそこのところの問題かな?

私が初めて道場へ見学へ行った日の事を、今になっても二人はよく覚えていました。
稽古の最初から最後まで正座をして、両こぶしを腿の上において微動だにせず見学をしていたと・・・だってぇ~、
武道の見学をするって、そう言う事じゃないの?
私は、その前まで空手をやってました。『芦原会館』と言う、実戦空手をやっている所です。
そこの、指導員は当時西山さんと言う人でしたが、彼がかなり厳しい指導員で、そこで何年も鍛えられましたから

ゆきちゃんが何故、頭を剃ってしまったのかも聞きました。
来られなかった仲間のアカちゃんに彼女が出来てる事も、今武道のスランプ状態にある事も、私達の先生が今どうしているかも・・・色々な話をしました。サトパパも、当時よりずっと日本語が上手になったので楽しそうでした。

理数系の会社にいて、初対面から
「俺ってどうしてこんなに頭がいいんだ!」
と真顔で言って私をびっくりさせた健ちゃんは語学の先生
お国の為に働いていたゆきちゃんは警備の仕事をしながら、日本伝統文化を教授
大手貿易会社の子会社で人材関係のサービス業の仕事をしていた私は、犬のトレーニングと高齢者へのお弁当運びのパート

みんな進む道は変わってしまってるけれど、会えばまたあの時の自分たちに戻ってる。

サトパパは、学ぶ場所は変わっても、日本の武道をアメリカで指導するために師範免状取得に向けて精進。
大手研究所に勤めていたえいちゃんは、相変わらず忙しいらしいけど、道場の仲間と結婚し、今は一人娘のお父さん。

変わってない道を進んでいる人もいるけれど、またみんなで会ったらきっと心はあの頃に戻ると思う。
男も女も、年上も年下も関係ないこんな素晴らしい付き合いを、これからも大事にしていきたいと思う。

疎遠になってしまったさんも、私とサトパパが渡米する前に今度は、旦那さまとなったKちゃんと一緒に会えたら嬉しいな。Kちゃんは、何か弟みたいに感じる人だった。考え方の違いで対立した事もあったけど、そんな事はきょうだいげんかみたいなものだと水に流してまた楽しく会えたら素敵だな。

お互い生き方、考え方が違っても尊重し合ってつきあっていける、気づけばそんな人たちだけがいつのまにか私の周りにいてくれる。
別に私がそれを選んでいるわけでもなく、そのように働きかけているわけでもなく・・・・、
いつも会えるわけでもなくても、やっぱり、相手を思いやって、尊重し合える人たちが、私の宝になってる。
ありがとう、みんな。また、会おうね




<今日のおまけの凸凹@昭和記念公園>



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遠くで祈るまだ見ぬ友人一家の幸せ

2010-10-21 13:44:04 | 友人
日本の秋は、『立秋』(8月7日頃)に始まります。
でも、8月と言えばまだまだ暑く、今年はついこの間まで25℃を超す暑い日がありました。

『秋』になって、嬉しい事がありました。
ある朝、ポストをのぞいたら何やらきれいな袋の郵便がありました。

送り主は・・・・

知り合って、4年ほどたったのでしょうか?(え?もうそんなにたったのかしら?)
アメリカで、コーギーちゃんと旦那さまと生活をしているピアニスト、Aka(またの名) アナベルさんです。
でも、実は一度もお目にかかった事がないんです。

4,5年まえに、ある会社が管理していた仲間のブログがありました。
そこで、知り合った何人かの方が今もMixiのマイミクさんになってくれてます。
その中のお一人が アナベルさんです。

彼女は、とても器用で、芸術家なので、美的センスも申し分なし。
彼女のブログを見て頂くとわかります。(ここの「リンク集」にあります『アナベルちゃんEvery Day』)
優しい旦那さまとウェルシュ・コーギーのアナベルちゃんとワシントン州に住んでます。

アナベルちゃんに手作りの首輪を作ってあげてるのを、ブログで見ていて
アナベルちゃんは幸せだよねぇ~」
って思っていたら、なんと、多忙な中、うちの凸凹に首輪を作って下さったんです。
しかも、例のブログつながりのワンコたちとおそろいの・・・。

 
素敵でしょう?
手作りです。

こればかりは、自信を持って言えます。

私には絶対に作れません

サトパパは、私のそう言う発言にいつも

「やりたいと思ってるなら、絶対に出来るんだ。今すぐに上手に出来なくても」

って言うんだけど、今までそう思って色々作ったけどどれ一つとして人にお見せできるものは作れなかったから、サトパパの言葉は慰めにも励ましにも聞こえてこない私なのです

そんな訳で、『手作り』と言う言葉に弱く頂いたものが勿体なくてすぐに使えず、しまいこむ方なんです
でも、それじゃ頂いた意味がないじゃない・・・と言われるので、今回は使わせて頂きました。

友人と昭和記念公園へコスモスを見に行きました。
 

その時、凸凹はその首輪をして行ったのですが・・・ 長毛なのでどうしても首輪がすぐに隠れてしまうんです
気を取り直して、もう一枚パチリ!!

なんとかサトリだけですが、つけてるのがわかりますよね

レイラは後日、CAPPの施設訪問活動の時に、つけて行って写真撮りました。
ほうら、ステキでしょ?

まだ、一度も会ったことのない、サトレラにこんな素敵なプレゼントを下さったアナベルさんが、な毎日をご家族で過ごされる事を東の彼方よりお祈りしています
mama記)





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする