小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

明日にも成立する一体改革法案に国民は納得できるか?

2012-08-09 04:54:50 | Weblog
 昨夜食事の後NHKのオリンピック放送を見ていたら、午後8時半すぎ突然臨時ニュースが飛び込んできた。3党合意が成立したというのである。
 直近の読売新聞の記事(見出しのみ)を時系列で見てみよう。
① 「自民、不信任・問責案提出へ…解散確約ない限り」(7日朝刊1面トップ)
② 「首相手詰まり…輿石氏、党首会談認めず」(同日スキャナー)
③ 「党首会談で事態を打開せよ」(同日社説)
④ 「不信任・問責、谷垣氏一任」(同日夕刊1面)
⑤ 「一体改革成立に危機…自民きょう不信任・問責案」(8日朝刊1面トップ)
⑥ 「自民『強硬』一点張り…党内『主戦論』抑えられず」(同日スキャナー)
⑦ 「一体改革を党利党略で弄ぶな」(同日社説)
⑧ 「解散時期『近い将来』」…民主、3党首会談を打診」(同日夕刊1面トップ)
これらの見出しだけでもこの数日の政権党である民主党内部(首脳陣)の混迷ぶりが目に見えるようだ。特に首相である野田氏が党内リーダーシップを発揮できず、輿石幹事長の対自民強硬姿勢に振り回されている状況を明確にした記事が②である。同記事のリードを転記させていただく。
「自民党が、社会保障・税一体改革関連法案採決の条件として衆院解散の確約を求める強硬路線に転じた。野田首相は、自民党の出方を読み誤り、輿石幹事長ら党執行部の対応に任せてきた甘さがあった。事態打開の手立ても容易には見当たらない事態に追い込まれている」
 ここでちょっと解説しておく。輿石氏はもともとは、民主党とたもとを分かつことになる、いわゆる「壊し屋」の小沢氏に近い政治家であった。党内地盤がそれほど強固ではなかった野田氏が小沢氏の協力を取り付け党内の結束を固めるために、あえて小沢氏に近い輿石氏を党内ナンバー2の幹事長に登用せざるを得なかったという因縁があった。小沢氏が新党を結成することにしたとき輿石氏の動向が注目を集めたが、党内最大派閥を誇っていた小沢氏に同調する議員が予想をはるかに下回る規模にしかならなかったことを察知した輿石氏が小沢氏とたもとを分かち党に残って党内のリーダーシップを事実上握る方向に舵を切ったのが、そもそも民主党首脳部の混迷を招くことになった最大の要因であった。
その結果自公との協力関係を壊したくない野田首相の意向を輿石氏が全く無視し、野田首相の了解も得ず「党首会談を認めない」などという、あたかも自分が事実上のリーダーであるかのごとき振る舞いに出たのである。本来野田首相としてはこうした輿石氏の計算を見透かし「おれに従えないなら離党してくれ」と服従を迫るべきだった。それができないところに野田政権の党内地盤の脆さがあった。また輿石氏はそのことを見透かし「党首会談を認めない」などというのぼせ上った態度に出たのである。そのことを昨夜の党首会談がようやく実現した経緯の重要性を正確に認識するための前提としてご理解していただきたい。
念のため読売新聞には論説委員以下政治部の記者に至るまでそういう認識を持っている人はいないようだ。そのことは7日の社説「党首会談で事態を打開せよ」との同紙の主張にも表れている。記事の全文をこのブログに転記するのは消耗なので一部だけ紹介する。「そもそも、こうした状況を招いた一因は、首相と民主党執行部の不誠実さにある」と記し、野田・輿石体制に亀裂が生じていることに理解が及んでいない。
 しかし8日の採決を主張した自民党に対し、当初20日の採決を求めた民主党案を自民党に蹴っ飛ばされ、ようやく事態がただならぬところまで追い込まれたしまったことに気づいた野田首相が輿石氏の「了解」を得ず10日採決を再提案、さらにそれも自民党から拒否され、自民党案を丸呑みして8日採決に歩み寄った。が、民主党執行部の足並みの乱れを見透かしていた自民党の強硬派・石原幹事長から「もう遅い。ルビコンの川を渡ってしまった。衆院で内閣不信任、参院で問責の決議を行う」と突っぱねられ、8日に至ってようやく腹をくくった野田首相自らが自民党・谷垣総裁に党首会談を要請した。そこまで腹をくくって最後の勝負に出た野田首相の要請を谷垣総裁も受け入れざるを得ず、二人の会談で合意に達した場合、公明党の山口代表を会談の席に加えて同党の了解を得ることを条件に党首会談に応じたのである。
 その結果はこのブログで繰り返すまでもないのだが、要点だけ述べると①早急に参院で一体改革の採決を行う②近いうちに国民の信を問う(衆院解散・総選挙を意味する)③自民党は不信任・問責を問わない、の3点である。
このうちジャーナリストの間で問題になったのは①の採決日、②の「近いうち」の時期である。昨夜読売新聞読者センターの方とこの問題について話し合ったが、私は「採決日は10日しか考えられない」と申し上げた。「理由は?」と問われたので「明日は各党が今日(昨夜)の3党合意について党内をまとめる必要があり、最短で考えると採決日は10日しかあり得ない」と応じた。結果から言うと今日の読売新聞朝刊1面のトップ記事の見出しは「一体改革あすにも成立」とある。私の読み通りであった。
次に「近いうち」の解釈である。解散権は総理の専権事項であり、あらかじめ野党の協力を取り付けるために日時を約束した例は憲政史上一度もない。しかし「近い将来」(昨日までの野田首相の公言)よりは多少具体性が帯びた表現だが、やはりあいまいさが残っている言い方ではある。これについては読者センターの方と読みが分かれた。読者センターの方は「今月中という感じがするが」と言われたので、「それでは『近いうち』の許容範囲を超えてしまう。いつから国会がお盆入りに入るかによるが、最短の場合週明けの13日になる。従来の慣行から考えると採決の翌日11日の土曜から19日の日曜までがお盆期間になるだろうからお盆明けの20日か翌日の21日が『近いうち』のギリギリの許容範囲だ」と主張した。読売新聞が「近いうち」の解散日をどう予測するか楽しみにして今日の朝刊を見たが、まるでトンチンカンな読みをしていた。同紙2面の見出し「解散時期で憶測…10,11月との見方も」の記事の中でこう述べている。
「自民党が早期解散を要求し、民主党が先送りを求める中での『玉虫色』の合意だが、『秋の臨時国会召集後の10月か11月が本線』との見方が出ている」さらに「自民党は、関連法案の参院での採決に応じる条件として、今国会期末(9月8日)までの解散確約を求めてきた。だが、谷垣氏は『近いうち』との文言について、8日の3党国会対策委員長会談で民主党が示した『近い将来』よりも早期解散の意味合いが強まったとして、受け入れた。自民党幹部は『早期解散』の範囲に、『秋の臨時国会での解散も入る』との解釈も示した」
 だが、自民党が当初3党合意を堅持する条件として当初求めていた「今国会期末(9月8日)までの解散」要求を民主党が突っぱねた時期から石原幹事長を筆頭とする強硬派が谷垣総裁に揺さぶりをかけ始め、野田氏と同様党内基盤が脆弱な谷垣氏が強硬派の揺さぶりに屈し、「8日採決、直後解散」要求に舵を切り替えたことを読売の政治部記者は忘れたわけではあるまい。その時点で「今国会末までの解散」要求は反故になっているのだ。いったいこの記事を書いた記者はどういうスタンスをとる自民党幹部の「(解散時期の許容範囲に)秋の臨時国会での解散も入る」というコメントを重視したのか。政治ジャーナリストとしてのセンスもなければ、昨夜の政局の劇的な一転がどうして可能になったのか、私がるる述べてきた経緯をまったくご存じないようだ。
民主党と同様自民党も一枚岩ではない。今や石原氏を筆頭とする強硬派が自民党の主流派をなしており、「近いうち」という文言は(日時に関する密約があったかどうかは忖度する以外に情報を得る手段はないが)強硬派を納得させるだけの意味合いを持っていると解釈するのが論理的である。だから谷垣総裁は会談後の記者会見で「「近いうち」とは重い言葉だ」とコメントしたのである。谷垣総裁が強調した「重い言葉だ」とは党内強硬派を説得できる、それなりの意思疎通が野田首相との間に成立したことを意味する。ということはきょう3党が首脳間で合意した内容について両院議員総会を開き、それなりの説明をして明日の法案成立について党内の一本化を図れるめどがついたことを意味する。
 しかしこの3党合意について、もう見苦しいとしか言いようがない抵抗をまだ試みようとしているのが民主党の輿石幹事長だ。今日の読売新聞朝刊1面トップ記事によれば、輿石氏は『近いうち』の解釈について、記者団から「今国会中か」と問われ、「そんなことはないだろう」と述べたようだ。特例公債法案など懸案が残っていることも指摘し「(早期に)解散できる状況ではない」と3党首会談の合意事項について反発したようだ。しかしここまで来たら輿石幹事長がいかに抵抗しようとも、もはや野田首相から党のリーダーシップを再び奪い返すことはだれの目にも不可能としか見えまい。
 現在の政治状況を、そう解釈するのが、最も論理的整合性を満たした政治ジャーナリストのあるべきスタンスだろう。
 そういうスタンスに立って3党合意の意味をもう一度分析・評価してみたい。
 まず、当初野田政権がかげたスローガン(今日的状況の中での新マニフェストと言ってもいい)は「社会保障と税の一体改革」であった。つまりまずありきは「社会保障制度の改革」だったはずだ。
 「少子高齢化に歯止めがかからない(厚労省によれば16年前は現役世代4.8人でひとりの高齢者を支えていたが、現在は3.5人でひとりの高齢者を支えなければならなくなっており、さらに2025年には2人でひとりを支えなければならない状況を予測している)現状の中でどうやって社会保障制度の崩壊を防ぐか」が「社会保障と税の一体改革」という新マニフェストの最大の目的だったはずだ。だから衆参のねじれ現象が生じてさえいなければ、まず社会保障制度の崩壊を防ぐための政策を長期にわたって確立していくことが「まずありき」であったはずだ。
 実際「こども園」という新しい制度を作って子育て世代の若い母親が安心して子供を預け、現役世代に復帰できる環境を整えるという構想も打ち出したし(まだ必ずしも構想通りには進んでいないが)、定年制改革(現在は60歳を年金受給の資格が生じる65歳まで延長しようという計画も考えられている)も政府は視野に入れている。また医療費の増大を抑えるため現役並みの収入がある後期高齢者(75歳以上)の保険医療負担率を3割に引き上げることも考慮されている。また働く意欲さえあれば働くことが不可能ではない若年生活保護者に、働く意欲を持たせるための様々な構想も練られている。
 本来なら「少子高齢化」に歯止めがかからない状況を踏まえ、「社会保障制度」の崩壊を防ぐための長期にわたる政策を与野党が協力し合って構築し、若い人たちが自分の老後を安心して迎えられるという確信を持てるような社会システムを構築することが最優先の政治的課題だったはずだ。そしてそのための財源をどう確保するかが税制改革の課題になるべきだった。消費税増税も特別公債発行もそのための、とりあえずの財源確保策の一部にすぎないはずだ。いずれ次々に「社会保障制度」を構築していくに従って新しい財源をねん出していかなければならなくなる。逆進性の欠陥が前々から指摘されている消費税増税は、現在の若い人たちの就職難、収入減、高齢者を直撃した年金支給額の減額などを考えると消費税以外の財源確保を図らざるを得ない。具体的には高額所得者への累進課税の強化、固定資産税や相続税、贈与税、株式配当の源泉徴収税(かつては20%だった税率が現在は10%に減額されている)、さらに確定申告した場合の優遇税制など、特に高額所得者や資産家が優遇されている税制の見直しは避けて通れまい。
もちろん、「少子高齢化」に歯止めをかける方途も考えていかなくてはいけない。また日本の産業界に大打撃を与えたユーロ圏の国家財政危機に対しても日本が黙視しているわけにもいかない。すでに火の粉が日本にも降りかかってきているからだ、
 こうした時期に政権党の民主党は前回の参院選で大敗したため、衆参ねじれ現象が生じている中でのかじ取りをしなければならないという困難な事態を迎えたのである。野田政府が、前回の参院選で消費税増税をマニフェストに掲げて勝利を得た自民党の協力を得るため、「社会保障制度」の構築案件を後回しにして、とりあえず財源確保を先行させることにした背景にはそういう事情があったのだ。そういう意味では消費税増税はマニフェスト違反だと駄々っ子のような屁理屈を並べたてて民主党を飛び出し、新党「国民の生活が第一」を作って「反消費税増税」グループに加わった小沢氏は政治家としての見識も、また党名に採用した「国民の生活」を増税なしにどうやって守るのかの具体的政策も考えていない(少なくともそう言うしかない。もし「これから考える」というのなら、いったん野に下がって、増税なしに「国民の生活」を守れるマニフェストを掲げて出直すべきだろう。
 いずれにしても後先をひっくり返して、自公の協力を得て「社会保障制度」の安定化のための財源の一部は確保できることになった。そして私の予測によれば解散は遅くもお盆明けの8月20日か21日になるはずで、消費税増税で野田政権に協力した自公も、また自公の協力を得るため後先をひっくり返して財源確保を最優先させた民主党も、総選挙ではどのような「社会保障制度」を構築すべきかを争点にして戦ってほしい。それが税金の負担増に耐えなければならなくなる国民に約束すべき最低限の義務であり責任である。