どうやら私の読みは外れたようだ。
8月9日に投稿したブログ記事『あすにも成立する一体改革法案に国民は納得できるのか?』での政局分析のことである。
3党合意によって8月10日に消費税総勢案が参議院を通過し成立したことは私の読み通りだった。読み間違えたのは民・自のトップ会談で、自民の谷垣総裁が「参議院での問責決議」と「衆議院での不信任案提出」を見送り、参議院での消費税増税案に賛成票を投じる方針に転換することの見返りに、野田総理から解散時期について「近い将来」から「近いうち」という表現に変えさせたことによる。で、「近いうち」とはいつごろまでを指すのか、マスコミの間で様々な憶測が飛び交っていたが、解散時期について私はお盆明けの21日か翌22日がぎりぎりの許容範囲だと読んだ。その理由は8月9日に投稿したブログ記事で詳しく述べているが、その読みが見事に外れてしまった。
私がどうしてそう読んだのか。その読みを書いたブログ記事の要点を集約して述べておこう(ただし結果論になるが⑤の前半部分はこの記事で付け加えた)。
①当初参院での採決日について自民が8月8日を主張したのに対し、民主は8月20日を提案した。自民はそれを民主の延命策として一蹴した。
②民主に対する不信感を募らせた自民は6日に野田総理に対する「不信任・問責案提出」に踏み切ることを表明する。
③民主は10日採決に大幅な歩み寄りを示したが自民は拒否。民主は輿石幹事長が「党首会談は認めない」と発言、民主首脳部の足並みの乱れが表面化。
④民主はついに自民に屈し、自民が提案していた8日採決を改めて自民に申し入れたが、自民の強硬派・石原幹事長に「すでにルビコンの川を渡ってしまった。いまさら後戻りはできない」と一蹴される。
⑤一見誠実そうに見えて政局についてこれほど鈍感な総理はかつていただろうか、と言いたくなるほどの野田氏だが、ここに至ってようやく事態がただならないところまで追い込まれてしまったことに気づき、自民・谷垣総裁に直談判してトップ会談に持ち込み、すでに述べたように早急な参院採決の確約を取り付けた。その時野田総理が解散時期についての表現を「近い将来」から「近いうち」に変えたことで、マスコミがてんやわんやする騒ぎになったのである。
こうした経緯から、「近いうち」という多少あいまいな日本語の許容範囲について、私はせいぜいお盆明けの21日か22日が解散時期になると読んだのである。実は『広辞林』など何冊かの辞書をめくったのだが、「近いうち」と「近い将来」はほとんど同義語として扱われている。私は参考までにと思い朝日新聞のお客様センターの方にこの二つの表現についてどう感じるかを聞いてみた。彼は予想していた通り、「近い将来というと1~2年ぐらい先まで範囲に入ると思うが、近いうちというと10日かせいぜい長くても1ヶ月以内でしょうね」という解釈を示した。また読売新聞読者センターの方は8月9日に投稿したブログ記事の中で書いたが「今月中という感じがする」と言われた。私は状況にもよるが、自民党内の強硬派(石原幹事長を筆頭とする)を説得できるだけの根拠を谷垣氏が確信したこと(「近いうちとは重い言葉だ」との発言を再三繰り返したこと、さらに民主・輿石幹事長が参院採決の合意ができた当日に記者から「近いうちとは今国会中か」との質問に対して「そんなことはないだろう。特例公債発行や選挙制度改革などの重要法案がまだ残っている」と発言したことを聞き谷垣総裁が「こんな幹事長が与党にいるなんて信じられない」と激怒したこと、また肝心の野田総理が繰り返し「私は社会保障と税の一体改革に自らの政治生命をかけている」と耳にタコができるほど聞かされてきたことの3点)に重点を置いて、私はおそらくお盆明け早々の解散を野田総理がそれとなく示唆したか、あるいは密約をしたかのどちらかだと今でも思っている。だが、そうした事実上の約束を、輿石幹事長が再び民主党の実権を野田総理から奪い返したことによって反故にされたとしても、谷垣総裁は密約を明らかにすることはできない。そんなことをしようものなら密室政治に対する国民の怒りが爆発し、野田総理ともども谷垣総裁も政治生命を完全に失うことになるからだ。
そこまで輿石幹事長が読み切って、絶対に参院で否決されて廃案になることを百も承知で今国会に特例公債発行や選挙制度改革法案を衆院に提出して自公ボイコットの中で単独強行採決に踏み切ったということは、解散時期を引っ張れるだけ引っ張って、うまくいけば衆議院議員の任期満了まで政権を維持しようという作戦に出たと解釈するのが妥当だろう(その間に選挙基盤がまだ弱い元小沢チルドレンに地元に確固たる基盤づくりをする時間的余裕を与えるのが目的と思われる)。
私氏が解散時期を読み誤ったのは、輿石氏の党内基盤が野田総理よりはるかに強固だったということに思いが至らなかったことによる。先のブログで書いたように、輿石氏は小沢氏に近いと見られていた実力者である。その輿石氏を野田総理が重用し総理に次いで党内に大きな影響力を発揮できる幹事長という要職につけたのは、ひとえに党内融和をすべてに優先したからだ。そして小沢氏の離党に際し、小沢氏と行動を同じくしなかった元小沢チルドレンは当然輿石氏を頼る。選挙活動を差配するのは幹事長の専権事項だからだ。つまり大派閥の領袖ではない野田総理の党内基盤が予想していたよりかなり脆弱で、小沢チルドレンの残党を一手に握った輿石の権力基盤のほうが強かったということを証明したのが、現在の民主党の内実だったのだ。
一方自民党の谷垣総裁も、私と同様輿石氏の党内基盤の強固さを見抜けなかったことで墓穴を掘ってしまった。輿石発言に憤る前に総理の約束を無視できるほどの党内基盤を輿石氏が固めていることに気づくべきだった。だからいったん成立した参院での採決の3党合意は、野田総理が解散時期を今すぐ明確にするか、それとも総理の約束をひっくり返した輿石幹事長の職を解くかしないと3党合意を白紙に戻す、と野田総理に迫るべきだった。それを怠った谷垣総裁が自民党強硬派の協力を今後得ることは極めて難しい状況になったと言えよう。
8月9日に投稿したブログ記事『あすにも成立する一体改革法案に国民は納得できるのか?』での政局分析のことである。
3党合意によって8月10日に消費税総勢案が参議院を通過し成立したことは私の読み通りだった。読み間違えたのは民・自のトップ会談で、自民の谷垣総裁が「参議院での問責決議」と「衆議院での不信任案提出」を見送り、参議院での消費税増税案に賛成票を投じる方針に転換することの見返りに、野田総理から解散時期について「近い将来」から「近いうち」という表現に変えさせたことによる。で、「近いうち」とはいつごろまでを指すのか、マスコミの間で様々な憶測が飛び交っていたが、解散時期について私はお盆明けの21日か翌22日がぎりぎりの許容範囲だと読んだ。その理由は8月9日に投稿したブログ記事で詳しく述べているが、その読みが見事に外れてしまった。
私がどうしてそう読んだのか。その読みを書いたブログ記事の要点を集約して述べておこう(ただし結果論になるが⑤の前半部分はこの記事で付け加えた)。
①当初参院での採決日について自民が8月8日を主張したのに対し、民主は8月20日を提案した。自民はそれを民主の延命策として一蹴した。
②民主に対する不信感を募らせた自民は6日に野田総理に対する「不信任・問責案提出」に踏み切ることを表明する。
③民主は10日採決に大幅な歩み寄りを示したが自民は拒否。民主は輿石幹事長が「党首会談は認めない」と発言、民主首脳部の足並みの乱れが表面化。
④民主はついに自民に屈し、自民が提案していた8日採決を改めて自民に申し入れたが、自民の強硬派・石原幹事長に「すでにルビコンの川を渡ってしまった。いまさら後戻りはできない」と一蹴される。
⑤一見誠実そうに見えて政局についてこれほど鈍感な総理はかつていただろうか、と言いたくなるほどの野田氏だが、ここに至ってようやく事態がただならないところまで追い込まれてしまったことに気づき、自民・谷垣総裁に直談判してトップ会談に持ち込み、すでに述べたように早急な参院採決の確約を取り付けた。その時野田総理が解散時期についての表現を「近い将来」から「近いうち」に変えたことで、マスコミがてんやわんやする騒ぎになったのである。
こうした経緯から、「近いうち」という多少あいまいな日本語の許容範囲について、私はせいぜいお盆明けの21日か22日が解散時期になると読んだのである。実は『広辞林』など何冊かの辞書をめくったのだが、「近いうち」と「近い将来」はほとんど同義語として扱われている。私は参考までにと思い朝日新聞のお客様センターの方にこの二つの表現についてどう感じるかを聞いてみた。彼は予想していた通り、「近い将来というと1~2年ぐらい先まで範囲に入ると思うが、近いうちというと10日かせいぜい長くても1ヶ月以内でしょうね」という解釈を示した。また読売新聞読者センターの方は8月9日に投稿したブログ記事の中で書いたが「今月中という感じがする」と言われた。私は状況にもよるが、自民党内の強硬派(石原幹事長を筆頭とする)を説得できるだけの根拠を谷垣氏が確信したこと(「近いうちとは重い言葉だ」との発言を再三繰り返したこと、さらに民主・輿石幹事長が参院採決の合意ができた当日に記者から「近いうちとは今国会中か」との質問に対して「そんなことはないだろう。特例公債発行や選挙制度改革などの重要法案がまだ残っている」と発言したことを聞き谷垣総裁が「こんな幹事長が与党にいるなんて信じられない」と激怒したこと、また肝心の野田総理が繰り返し「私は社会保障と税の一体改革に自らの政治生命をかけている」と耳にタコができるほど聞かされてきたことの3点)に重点を置いて、私はおそらくお盆明け早々の解散を野田総理がそれとなく示唆したか、あるいは密約をしたかのどちらかだと今でも思っている。だが、そうした事実上の約束を、輿石幹事長が再び民主党の実権を野田総理から奪い返したことによって反故にされたとしても、谷垣総裁は密約を明らかにすることはできない。そんなことをしようものなら密室政治に対する国民の怒りが爆発し、野田総理ともども谷垣総裁も政治生命を完全に失うことになるからだ。
そこまで輿石幹事長が読み切って、絶対に参院で否決されて廃案になることを百も承知で今国会に特例公債発行や選挙制度改革法案を衆院に提出して自公ボイコットの中で単独強行採決に踏み切ったということは、解散時期を引っ張れるだけ引っ張って、うまくいけば衆議院議員の任期満了まで政権を維持しようという作戦に出たと解釈するのが妥当だろう(その間に選挙基盤がまだ弱い元小沢チルドレンに地元に確固たる基盤づくりをする時間的余裕を与えるのが目的と思われる)。
私氏が解散時期を読み誤ったのは、輿石氏の党内基盤が野田総理よりはるかに強固だったということに思いが至らなかったことによる。先のブログで書いたように、輿石氏は小沢氏に近いと見られていた実力者である。その輿石氏を野田総理が重用し総理に次いで党内に大きな影響力を発揮できる幹事長という要職につけたのは、ひとえに党内融和をすべてに優先したからだ。そして小沢氏の離党に際し、小沢氏と行動を同じくしなかった元小沢チルドレンは当然輿石氏を頼る。選挙活動を差配するのは幹事長の専権事項だからだ。つまり大派閥の領袖ではない野田総理の党内基盤が予想していたよりかなり脆弱で、小沢チルドレンの残党を一手に握った輿石の権力基盤のほうが強かったということを証明したのが、現在の民主党の内実だったのだ。
一方自民党の谷垣総裁も、私と同様輿石氏の党内基盤の強固さを見抜けなかったことで墓穴を掘ってしまった。輿石発言に憤る前に総理の約束を無視できるほどの党内基盤を輿石氏が固めていることに気づくべきだった。だからいったん成立した参院での採決の3党合意は、野田総理が解散時期を今すぐ明確にするか、それとも総理の約束をひっくり返した輿石幹事長の職を解くかしないと3党合意を白紙に戻す、と野田総理に迫るべきだった。それを怠った谷垣総裁が自民党強硬派の協力を今後得ることは極めて難しい状況になったと言えよう。