いじめ事件が深刻化している。すでに社会問題としてマスコミも大きく取り上げ、文部科学省も本腰を入れて取り組んできた。特に滋賀県大津市の市立中学の2年男子生徒が自宅マンションから飛び降り自殺した事件は、日本中に大きなショックを与えた。
事前に生徒の父親が学校に訴え、学校側が何の対応もしてくれなかったため、3度にわたって大津警察署に被害届を出そうとしたが、警察も取り合ってくれなかった。そういう状況の中で父親が子供をほかの学校に転校させていれば悲劇は防げたかもしれない。だがそれは悲劇が生じた結果を知ってから言えることで、そこまで自分の子供が精神的に追い込まれていることを、父親の立場でも察知することは困難だろう。
この事件をマスコミが大きく取り上げたことで滋賀県警本部が動き出した。ひょっとしたら警察庁が滋賀県警本部に指示したのかもしれない。その結果大津警察署は加害者学生3人に対して逮捕あるいは少年院送致(その場合は家裁が決定する)も視野に入れ数十人規模の捜査態勢で事件の真相解明に取り組んでいる。
ここでこの事件を未然に防げなかった大津市立中学校名を明らかにしておこう。私のブログを読んでくださっている方たちはおそらく「とっくの昔に知っているよ」とおっしゃりたいだろうが、このブログでわざわざ皆さんがご存知であろう中学校の実名を明らかにすることの意味は最後まで読んでいただければご理解いただけると思う。
大津市立皇子山中学校
私はみなさんと同様加害生徒3人の実名もわかっているが、それは公開しない。いくら匿名で好き勝手に自分が知り得た情報をネットに流せるとしても、そこまで公表するのは行き過ぎだと思うからだ。
さて二十数年ほど前にも「いじめ」が社会問題化したことがある。多分このブログの読者の大半は当時の状況をご存じないだろう。
文部省(当時)がいじめについて本格的に調査に乗り出したのは昭和60年度(1985年4月1日~86年3月31日まで)からであり、いじめが社会問題化したのはその数年前からだ。きのう文部科学省児童生徒課に問い合わせたが、それ以前のデータは見当たらないということで、社会情勢の動向に当時の役所がいかに鈍感だったかを物語っている。
が、文科省の名誉のために言っておくが、今はマスコミよりはるかに鋭敏な感覚でいじめ問題に取り組んでいる。すでに2010年からいじめ問題の調査に取り組み、2011年8月4日には「平成22年度『児童生徒への問題行動の生徒指導上の諸問題に関する調査』結果について」と題する数十ページに及ぶ緻蜜な報告書を公開した。
同報告書によれば、前回のいじめ問題は、皮肉なことに調査を始めた昭和60年度を境に急激に減少を始めた。ちなみに今のいじめ問題と大きな違いの特徴は、当時のいじめは小学校が中心で、昭和60年のいじめ発生件数は小学校96,457件、中学校52,891件、高等学校5,718件であった。ところが調査を始めた翌年の61年度には小学校が26,306件と前年比72.2%の減、中学校が23,690件で55.2%の減。高校も2,614件で54.3%の減、といずれも大幅に減少した。その後も一時的にいじめが増えた年もあったが、調査を開始して以降平成21年度(2009年4月1日~2010年3月31日)までの25年間ほぼ毎年いじめの件数は前年比マイナスと続けてきた。
この間、前年比プラスに転じたのは小学校で平成(以下平成は略す)7年度の5.2%増と15年度の6.9%増の2回だけ、中学校は4年度の14.3%と7年度の8.4%及び15年度の4.1%のそれぞれ増加を記録しただけだったが、高校の場合だけ元年度14.1%、3年度12.5%、5年度2.8%、15年度からは3年連続で8.6%、2.5%、3.3%と、6回も増加した年があった。
だが、これらの増加した年がそろったのは15年度だけで、それもすべて1けた台の増加で、いじめ問題の再発とまでは言い切れない。むしろ偶然その年に重なっただけと解釈するのが妥当だろう。
問題は文科省の調査結果が公表された22年度である。この年に揃っていじめが増加したのである。だがまだこの年度は予兆にすぎず、いじめの復活とまでは予測できるような増加率ではなかったではなかった。すなわち増加率は小学校で3.5%、中学校で0.7%、高校だけが突出していて17.3%の増加率を示した。
結果的にはこの年がいじめ現象の再発になったと言えるのだが、実はその年の3年前からのいじめ発生率はすべて2ケタ台の減少を記録していたのだ。すなわち19年度以降、小学校が19.7%、16.5%、14.8%の減、中学校が15.2%、15.4%、12.7%の減、高校でさえ32.1%、19.4%、16.3%と大幅にいじめは減っていたのだ。いったい22年度以降教育環境にどのような、いじめを再発させるような事態が生じたのか。
実はこれらの数字の根拠に問題があったということが文科省児童生徒課への問い合わせで明らかになった。いじめ現象が再発したのでは、という危惧を文科省が抱き始めたのは平成17年ごろだったようだが、それまでもそれ以降も、いじめ調査の方法は、基本的には学校あるいは教育委員会からの報告と少数のスクール・カウンセラーの学校への聞き取り調査に頼ってきた。
そして昭和60年度以降平成17年度までと調査方法は基本的に変わっていないのだが、「実際にいじめが発生した件数」を正確に把握することは難しい。学校や教育委員会が報告しなければ、実際にいじめがあったとしても「発生件数」としてカウントするには無理があるとの指摘が有識者会議の結論であった。その指摘を受け、平成18年度以降は「いじめを学校側が認知していたかどうか」を基準に、「認知(した)件数」と表記することにしたのだ(実態数字には変化はない)。その結果、17年度までの調査結果には「「いじめの発生学校数・発生件数」と題して調査結果を発表してきたが、18年度以降「いじめの認知学校数・認知件数」と題することにしたのだ。しかし調査方法を変えたわけでもなければ、実態数字が表記の変更で変わったわけでもないので、18年度以降も「発生件数の増減率」(実際には「認知件数の増減率」と表記すべきだが)という欄はそのまま残されている。つまり実際にいじめがあったとしても学校や教育委員会にいじめがあったとは「認識していなかった」と言い張れば、いじめ件数にカウントされず、結局文科省の調査結果は氷山の一角でしかなかったのだ。だから文科省がいじめ社会の復活を危惧するようになった17年度以降、「認知していたことを認めるのはやばい」と危機感をつのらせだした学校や教育委員会が19~21年度にかけての3年間、スクール・カウンセラーの聞き取り調査は「いじめがあった(あるいは『あったようだ』)」という情報が匿名も含め「関係者」と想定できる人からの情報提供(あやふやなケースも含め)が寄せられた場合にのみ行われている。
つまり文科省が独自の調査網を全国的規模で構築しているわけではなく(限られた予算の中では「いじめ調査」が後追いになるのは仕方がないだろう)、何らかの情報が寄せられなければ動けないのである。ただ文科省の調査方法の欠陥(かなり重要な欠陥)は、「教育委員会や学校」が自ら認めない限り(つまり「いじめがあったことを認知していた」ことを認めない限り)「いじめの認知件数」にカウントできないこと、いじめの被害にあった生徒の被害度を区分してカウントしていないことの2点である。
後者について言えば①最悪な事態(自殺および自殺未遂)②仙台育英高校の加害生徒が被害生徒に対して行った「根性焼き」のような日常的な暴力行為③被害生徒が恐怖感に駆られ登校しなくなったケース④被害生徒が転校することによっていじめから逃れたケース、など少なくとも一過性とは言えない4つのケースに分けて、教育委員会や学校が認知していたか否か(「認知していた」にもかかわらず事件化した後の聞き取り調査で「認知できなかった」と主張されたら、「認知していたはずだ」と立証することはほとんど不可能である)のいかんを問わず、警察と連携して強制調査を行う体制を敷いたうえでスクール・カウンセラーの聞き取り調査を行うようにすべきだった(文科省に強制調査権が付与されていない以上、警察との連携関係を構築し、その威力をバックにカウンセラーが聞き取り調査を行えるようにすれば、かなり「いじめ社会の実態」を把握できたはずだし、また最悪の事態に至る前にいじめを防ぐ手段(例えば加害生徒を退学あるいは強制転校させる)が取れていたはずだ。
文科省の「いじめ対策」の不備に対する指摘はこのくらいにして、このブログの最大のテーマである「いじめ社会の復活に手を貸した大手マスコミの大罪」に焦点を移そう。
私が2年半に及ぶ沈黙から脱してブログ活動を再開した第一弾は「根性焼き」などのリンチを繰り返してきた4人の加害生徒を処分せず、むしろ被害生徒に自主退学を迫った仙台育英高校の悪質さを弾劾する前に、NHK、朝日新聞、読売新聞に「なぜ学校名を公表しないのか」と苦情を述べたことはすでに書いた。そして、なぜ仙台育英があくまでいじめを否定し続けたのかは、同校が宮城県代表として甲子園大会への出場を最重要視したためだったことも指摘した。実際甲子園大会に限らず大学なども含めアマチュアスポーツ界においては必ずしも当該スポーツの選手が直接関与していなかったケースでも、目に余る校内暴力事件や性犯罪事件などが生じた場合、一定期間公式試合への出場を自粛するというのが事実上の慣行だった。当然仙台育英は、宮城県大会で優勝し、甲子園大会の出場権を獲得していたため、このいじめ事件をうやむやに葬り去ることを決断、加害生徒4人をひそかに県外の高校に転校させる一方、被害生徒には自主退学を強要したのである。
結果的には被害生徒が仙台警察署に被害届を出したことをいち早くキャッチしたNHKが6日の『ニュース7』でこの事件をスクープ報道し、他のマスコミも翌日には後追い報道した。事ここに至って仙台育英も8日には河北新報の取材に応じ、「根性焼き」だけでなく校内調査した結果明らかになった他のいじめも公表、被害学生に強要した「自主退学」も取り消したことを明らかにした。翌9日には今度はNHKが『ニュース7』で後追い報道したが、ここまで来ても仙台育英の校名は明らかにしなかった。
すでにこのブログで書いたが、文科省のいじめ対策に限界が(現状では)ある以上、大手マスコミにはすでに社会問題化し、学校も教育委員会も手が付けられないところまで来てしまったいじめ社会の根絶に腹を据えて取り組む責任と義務がある。被害学生に対する配慮も大切だが、もう大半の日本人がネットで「根性焼き」のいじめ事件を生じた学校が仙台育英であることを知っており。そのことを前提に仙台育英も河北新報の取材に応じ、それまでの「われ関せず」の態度を堅持することはかえって学校の立場を不利にしかねないという判断に傾いた結果、被害学生への「自主退学要請を取り消した」ことを明らかにしたのである。
つまり、NHKが6日の『ニュース7』でスクープしたとき、25年間教育問題に取り組んできたという視聴者センターのチーフが、校名を明らかにしなかった理由について「校名を明らかにすることによって被害学生がかえって学校に戻れなくなる可能性が高い」といった判断方法(NHKに限らず、朝日新聞や読売新聞も同じスタンスをとっている)はもはや完全に時代遅れになったと認識すべきなのだ。現在のネット社会が持っている社会的影響力が、もはや大手マスコミの思惑やマスコミ社会にしか通用しなくなった自主規制を完全に過去のものにしてしまったことに、そろそろ気づいてもいいころだ。
あえて言う。いじめ事件の増大にストップをかけ、被害学生を守る最善の手段はニュース報道で学校名を明らかにしてしまうことだ。ここまで私がいじめ問題についての私論を展開しても、依然として従来のスタンスから脱皮できないようなら、もはや日本人とくに若い人たちのマスコミ離れはとどまるところがないだろう。最近読売新聞は高率の付加価値税を導入しているヨーロッパ先進国が、新聞については軽減処置をとっていることを唯一の根拠として消費税の増大を支持しながら、新聞に対しては非課税もしくは軽減税率を例外的に認めるよう社説で主張したが、従来のように自分たちのマスコミ社会でしかもはや通用しなくなった論理から自らを開放しない限り国民のマスコミ離れはとどまることがないことを知るべきだ。
実は大手マスコミの読者や視聴者の意見を聞く窓口担当者の大半は「ネット社会下におけるマスコミが果たすべき役割と権利・義務・責任」についての私の主張を理解・支持してくれているのだが、肝心の現場が窓口担当者が伝えてくれた私の「マスコミ論」を全く理解してくれないようなのだ。現に仙台育英の校名を公表すべきだという私の主張に対して「校名を公表するとかえって被害学生が不利になる」と当初反論していたチーフも最後まで私の主張に耳を傾けてくれ、「貴重なご意見として必ず担当部門に伝えます」と言ってくれたのだが、仙台育英がいじめがあったことを認め、被害学生に強要した自主退学を取り消したことを後追い報道した9日の『ニュース7』でも、依然として校名を明らかにしなかった。
このブログの冒頭でいじめ自殺があった大津市立皇子山中学校の校名を明らかにしたのは、早い段階で校名を明らかにしていれば大津市教育委員会や皇子山中学校の見苦しいとしか言いようのない責任逃れの言い訳を事前に防止できていたはずだ。そして校名が明らかにされていれば、全国の学校が一斉に襟を正し、皇子山中学校の二の舞はすまいと、いじめの防止に総力を挙げて取り組むようになっていたはずだ。
なおかなりの方が(マスコミ界も含め)この事件で「調査をしたが(全校生徒へのアンケートなどを含む)、いじめと自殺との因果関係はないとの結論に達した」という大津市教育委員会の発表について委員長の責任は大きいと考えていらっしゃるようだが(読売新聞の読者センターの方も「委員長は校長経験者だから、どうしても学校寄りのスタンスをとる」と述べられたが、実態は違う。教育委員会委員長はいわば名誉職で、社会的地位が高くそれなりの権威が一般的に認められている人が就く。それに対して事実上の実務のトップは教育長で、この職には原則として校長経験者が就く(例外も多少あるようだが、文科省も全国の教育委員会の人事をすべて把握しているわけではないようだ)。つまり実務上のトップが校長経験者で、その立場にある教育長が調査を指揮し、結果を独断で判断するといった態勢が、教育委員会の現状と言っていいだろう。それが教育委員会と、不祥事を起こした学校との癒着体質が今日まで堅持されてきた最大の要因である。こうした癒着体制によって多くのいじめが闇から闇に葬られてきたことを考えると、不祥事についての教育長の下した決定については、弁護士などフェアな立場でチェックできる第3者委員会をあらかじめ設けておく必要があるのではないか。そういう委員会が設置されているだけでも、教育長にとってはかなりのプレッシャーになり、学校側との癒着体質に一石を投じることができるはずだ。
マスコミが果たすべき責任と義務は、まさにそうした問題にメスを入れることにあり、「少子高齢化」に歯止めがかからない状況と同じく、ネット社会がますます影響力を持っていく今後のことを考えると、「ネット社会の中でマスコミはいかなるスタンスで読者や視聴者に情報を提供していくべきか」を真摯に考えるべき時期に差し掛かっているのではないか。
そうした反省に踏まえて今日の様々な社会現象を、それこそ各マスコミが独自の視点で分析・評価して読者の信を問うという確固たる信念を持って報道・提言に徹するといったスタンスを確立しないと、読者・視聴者のマスコミ離れに歯止めをかけることはできまい。
さて本題から多少ずれるが、今回のいじめ現象は背景として少子高齢化の進行と無関係ではない。これは一人っ子政策を続けている中国で生じている問題ときわめて似た現象でもある。つまり中国で生じている子育ての状況を分析すれば、それがそのまま日本での子育ての状況と重なっていることに気づくはずだ。つまり同じ少子化の中で子育てが日本も中国も2極分化していることを理解しないと、第2次いじめ時代の背景を分析することはできない。
第1次いじめ時代は昭和の50年代半ばから始まったが、そのころはまだ日本では少子化は始まっていない。文科省のデータによれば、学校内の暴力行為発生件数と発生率についての調査は1983年(昭和58年)から行われてきたが、当初は中学校と高校のみが調査対象とされ、小学校の暴力事件も無視すべきでないということで小学校も調査対象に加えられたのは1997年(平成9年)からである。そのデータによれば第1次いじめ時代は。実は現在のいじめ状況と比べればそれほど深刻な状況とは言えなかった。一つには少子化がまだ始まっていなかったため、親だけでなく兄弟姉妹の存在が大きかったのではないかと思われる。また教師に大きな影響を与えたTBSの『金八先生』(武田哲也主演)の最初のシリーズが始まったのが1979年(昭和54年)であり、2008年(平成20年)まで8回に及ぶシリーズが放映された(シリーズとシリーズの間の間隔も含む)。このドラマが教師だけでなく学生に与えた影響も無視できないほど大きく、生徒と教師のコミュニケーションが頻繁に行われるようになり、いつの間にかいじめが減少していった。
ここで中国の子育て状況を見てみよう。先ほど「2極分化」と書いたが、一人っ子を甘やかし、わがままのし放題といった育て方(共産党幹部や富裕層などに多く見られる)と、とにかく将来成功できるように教育に大きな力を注ぐ育て方(中間層に多い)の2極分化である(そのほかに貧困層が中国にはあるが、日本の子育て状況とは無縁なので無視した)。
こうした中国の子育ての2極分化を見ると、日本と同じじゃないか、と読者の皆さんはお気づきだろう。まさにそうなのだ。私はスキャンダルを書くことは原則として自己規制しているが、これだけは書いておきたい。皇子山中学の加害生徒の保護者を学校に集めて事情を聞こうとした時、一人の母親が「私の子供を加害者扱いしないでください」と抗議しただけでなく「自殺した子はもう戻らないけど、私の子供はこれからも生きていかなければならないんです」と叫び、さらに校門で「私の子供こそ被害者です」というビラをまいたという。その母親はこともあろうに人権保護団体の「大津市地域女性団体連合会」の会長を務めているというから恐れ入る。
ところで最後にもう一つだけ文科省の調査データを紹介しておこう。このデータは「学年別いじめの認知件数」を調査したもので小学校では学年が上がるにつれごくなだらかな増加傾向がみられるが、中学1年生になった途端小学校6年生のいじめ認知件数の2倍超に激増し、2年生になると40%減少し、3年生になると2年生の半分以下に大幅減し、以降はなだらかに減少している。このデータの意味することは、いじめが激増した中学1~2年生は(個人差はあるにしても)一般的には子供が反抗期に入る年代であり、従来は反抗の矛先が親に向けられていたのが、少子化の結果、親が子供に甘くなったため反抗のし甲斐がなく、矛先がいじめやすい同級生に向かったのではないかと私は推測している。どなたか教育問題の研究者が私の推測を裏付ける研究をしていただければと願っている。
事前に生徒の父親が学校に訴え、学校側が何の対応もしてくれなかったため、3度にわたって大津警察署に被害届を出そうとしたが、警察も取り合ってくれなかった。そういう状況の中で父親が子供をほかの学校に転校させていれば悲劇は防げたかもしれない。だがそれは悲劇が生じた結果を知ってから言えることで、そこまで自分の子供が精神的に追い込まれていることを、父親の立場でも察知することは困難だろう。
この事件をマスコミが大きく取り上げたことで滋賀県警本部が動き出した。ひょっとしたら警察庁が滋賀県警本部に指示したのかもしれない。その結果大津警察署は加害者学生3人に対して逮捕あるいは少年院送致(その場合は家裁が決定する)も視野に入れ数十人規模の捜査態勢で事件の真相解明に取り組んでいる。
ここでこの事件を未然に防げなかった大津市立中学校名を明らかにしておこう。私のブログを読んでくださっている方たちはおそらく「とっくの昔に知っているよ」とおっしゃりたいだろうが、このブログでわざわざ皆さんがご存知であろう中学校の実名を明らかにすることの意味は最後まで読んでいただければご理解いただけると思う。
大津市立皇子山中学校
私はみなさんと同様加害生徒3人の実名もわかっているが、それは公開しない。いくら匿名で好き勝手に自分が知り得た情報をネットに流せるとしても、そこまで公表するのは行き過ぎだと思うからだ。
さて二十数年ほど前にも「いじめ」が社会問題化したことがある。多分このブログの読者の大半は当時の状況をご存じないだろう。
文部省(当時)がいじめについて本格的に調査に乗り出したのは昭和60年度(1985年4月1日~86年3月31日まで)からであり、いじめが社会問題化したのはその数年前からだ。きのう文部科学省児童生徒課に問い合わせたが、それ以前のデータは見当たらないということで、社会情勢の動向に当時の役所がいかに鈍感だったかを物語っている。
が、文科省の名誉のために言っておくが、今はマスコミよりはるかに鋭敏な感覚でいじめ問題に取り組んでいる。すでに2010年からいじめ問題の調査に取り組み、2011年8月4日には「平成22年度『児童生徒への問題行動の生徒指導上の諸問題に関する調査』結果について」と題する数十ページに及ぶ緻蜜な報告書を公開した。
同報告書によれば、前回のいじめ問題は、皮肉なことに調査を始めた昭和60年度を境に急激に減少を始めた。ちなみに今のいじめ問題と大きな違いの特徴は、当時のいじめは小学校が中心で、昭和60年のいじめ発生件数は小学校96,457件、中学校52,891件、高等学校5,718件であった。ところが調査を始めた翌年の61年度には小学校が26,306件と前年比72.2%の減、中学校が23,690件で55.2%の減。高校も2,614件で54.3%の減、といずれも大幅に減少した。その後も一時的にいじめが増えた年もあったが、調査を開始して以降平成21年度(2009年4月1日~2010年3月31日)までの25年間ほぼ毎年いじめの件数は前年比マイナスと続けてきた。
この間、前年比プラスに転じたのは小学校で平成(以下平成は略す)7年度の5.2%増と15年度の6.9%増の2回だけ、中学校は4年度の14.3%と7年度の8.4%及び15年度の4.1%のそれぞれ増加を記録しただけだったが、高校の場合だけ元年度14.1%、3年度12.5%、5年度2.8%、15年度からは3年連続で8.6%、2.5%、3.3%と、6回も増加した年があった。
だが、これらの増加した年がそろったのは15年度だけで、それもすべて1けた台の増加で、いじめ問題の再発とまでは言い切れない。むしろ偶然その年に重なっただけと解釈するのが妥当だろう。
問題は文科省の調査結果が公表された22年度である。この年に揃っていじめが増加したのである。だがまだこの年度は予兆にすぎず、いじめの復活とまでは予測できるような増加率ではなかったではなかった。すなわち増加率は小学校で3.5%、中学校で0.7%、高校だけが突出していて17.3%の増加率を示した。
結果的にはこの年がいじめ現象の再発になったと言えるのだが、実はその年の3年前からのいじめ発生率はすべて2ケタ台の減少を記録していたのだ。すなわち19年度以降、小学校が19.7%、16.5%、14.8%の減、中学校が15.2%、15.4%、12.7%の減、高校でさえ32.1%、19.4%、16.3%と大幅にいじめは減っていたのだ。いったい22年度以降教育環境にどのような、いじめを再発させるような事態が生じたのか。
実はこれらの数字の根拠に問題があったということが文科省児童生徒課への問い合わせで明らかになった。いじめ現象が再発したのでは、という危惧を文科省が抱き始めたのは平成17年ごろだったようだが、それまでもそれ以降も、いじめ調査の方法は、基本的には学校あるいは教育委員会からの報告と少数のスクール・カウンセラーの学校への聞き取り調査に頼ってきた。
そして昭和60年度以降平成17年度までと調査方法は基本的に変わっていないのだが、「実際にいじめが発生した件数」を正確に把握することは難しい。学校や教育委員会が報告しなければ、実際にいじめがあったとしても「発生件数」としてカウントするには無理があるとの指摘が有識者会議の結論であった。その指摘を受け、平成18年度以降は「いじめを学校側が認知していたかどうか」を基準に、「認知(した)件数」と表記することにしたのだ(実態数字には変化はない)。その結果、17年度までの調査結果には「「いじめの発生学校数・発生件数」と題して調査結果を発表してきたが、18年度以降「いじめの認知学校数・認知件数」と題することにしたのだ。しかし調査方法を変えたわけでもなければ、実態数字が表記の変更で変わったわけでもないので、18年度以降も「発生件数の増減率」(実際には「認知件数の増減率」と表記すべきだが)という欄はそのまま残されている。つまり実際にいじめがあったとしても学校や教育委員会にいじめがあったとは「認識していなかった」と言い張れば、いじめ件数にカウントされず、結局文科省の調査結果は氷山の一角でしかなかったのだ。だから文科省がいじめ社会の復活を危惧するようになった17年度以降、「認知していたことを認めるのはやばい」と危機感をつのらせだした学校や教育委員会が19~21年度にかけての3年間、スクール・カウンセラーの聞き取り調査は「いじめがあった(あるいは『あったようだ』)」という情報が匿名も含め「関係者」と想定できる人からの情報提供(あやふやなケースも含め)が寄せられた場合にのみ行われている。
つまり文科省が独自の調査網を全国的規模で構築しているわけではなく(限られた予算の中では「いじめ調査」が後追いになるのは仕方がないだろう)、何らかの情報が寄せられなければ動けないのである。ただ文科省の調査方法の欠陥(かなり重要な欠陥)は、「教育委員会や学校」が自ら認めない限り(つまり「いじめがあったことを認知していた」ことを認めない限り)「いじめの認知件数」にカウントできないこと、いじめの被害にあった生徒の被害度を区分してカウントしていないことの2点である。
後者について言えば①最悪な事態(自殺および自殺未遂)②仙台育英高校の加害生徒が被害生徒に対して行った「根性焼き」のような日常的な暴力行為③被害生徒が恐怖感に駆られ登校しなくなったケース④被害生徒が転校することによっていじめから逃れたケース、など少なくとも一過性とは言えない4つのケースに分けて、教育委員会や学校が認知していたか否か(「認知していた」にもかかわらず事件化した後の聞き取り調査で「認知できなかった」と主張されたら、「認知していたはずだ」と立証することはほとんど不可能である)のいかんを問わず、警察と連携して強制調査を行う体制を敷いたうえでスクール・カウンセラーの聞き取り調査を行うようにすべきだった(文科省に強制調査権が付与されていない以上、警察との連携関係を構築し、その威力をバックにカウンセラーが聞き取り調査を行えるようにすれば、かなり「いじめ社会の実態」を把握できたはずだし、また最悪の事態に至る前にいじめを防ぐ手段(例えば加害生徒を退学あるいは強制転校させる)が取れていたはずだ。
文科省の「いじめ対策」の不備に対する指摘はこのくらいにして、このブログの最大のテーマである「いじめ社会の復活に手を貸した大手マスコミの大罪」に焦点を移そう。
私が2年半に及ぶ沈黙から脱してブログ活動を再開した第一弾は「根性焼き」などのリンチを繰り返してきた4人の加害生徒を処分せず、むしろ被害生徒に自主退学を迫った仙台育英高校の悪質さを弾劾する前に、NHK、朝日新聞、読売新聞に「なぜ学校名を公表しないのか」と苦情を述べたことはすでに書いた。そして、なぜ仙台育英があくまでいじめを否定し続けたのかは、同校が宮城県代表として甲子園大会への出場を最重要視したためだったことも指摘した。実際甲子園大会に限らず大学なども含めアマチュアスポーツ界においては必ずしも当該スポーツの選手が直接関与していなかったケースでも、目に余る校内暴力事件や性犯罪事件などが生じた場合、一定期間公式試合への出場を自粛するというのが事実上の慣行だった。当然仙台育英は、宮城県大会で優勝し、甲子園大会の出場権を獲得していたため、このいじめ事件をうやむやに葬り去ることを決断、加害生徒4人をひそかに県外の高校に転校させる一方、被害生徒には自主退学を強要したのである。
結果的には被害生徒が仙台警察署に被害届を出したことをいち早くキャッチしたNHKが6日の『ニュース7』でこの事件をスクープ報道し、他のマスコミも翌日には後追い報道した。事ここに至って仙台育英も8日には河北新報の取材に応じ、「根性焼き」だけでなく校内調査した結果明らかになった他のいじめも公表、被害学生に強要した「自主退学」も取り消したことを明らかにした。翌9日には今度はNHKが『ニュース7』で後追い報道したが、ここまで来ても仙台育英の校名は明らかにしなかった。
すでにこのブログで書いたが、文科省のいじめ対策に限界が(現状では)ある以上、大手マスコミにはすでに社会問題化し、学校も教育委員会も手が付けられないところまで来てしまったいじめ社会の根絶に腹を据えて取り組む責任と義務がある。被害学生に対する配慮も大切だが、もう大半の日本人がネットで「根性焼き」のいじめ事件を生じた学校が仙台育英であることを知っており。そのことを前提に仙台育英も河北新報の取材に応じ、それまでの「われ関せず」の態度を堅持することはかえって学校の立場を不利にしかねないという判断に傾いた結果、被害学生への「自主退学要請を取り消した」ことを明らかにしたのである。
つまり、NHKが6日の『ニュース7』でスクープしたとき、25年間教育問題に取り組んできたという視聴者センターのチーフが、校名を明らかにしなかった理由について「校名を明らかにすることによって被害学生がかえって学校に戻れなくなる可能性が高い」といった判断方法(NHKに限らず、朝日新聞や読売新聞も同じスタンスをとっている)はもはや完全に時代遅れになったと認識すべきなのだ。現在のネット社会が持っている社会的影響力が、もはや大手マスコミの思惑やマスコミ社会にしか通用しなくなった自主規制を完全に過去のものにしてしまったことに、そろそろ気づいてもいいころだ。
あえて言う。いじめ事件の増大にストップをかけ、被害学生を守る最善の手段はニュース報道で学校名を明らかにしてしまうことだ。ここまで私がいじめ問題についての私論を展開しても、依然として従来のスタンスから脱皮できないようなら、もはや日本人とくに若い人たちのマスコミ離れはとどまるところがないだろう。最近読売新聞は高率の付加価値税を導入しているヨーロッパ先進国が、新聞については軽減処置をとっていることを唯一の根拠として消費税の増大を支持しながら、新聞に対しては非課税もしくは軽減税率を例外的に認めるよう社説で主張したが、従来のように自分たちのマスコミ社会でしかもはや通用しなくなった論理から自らを開放しない限り国民のマスコミ離れはとどまることがないことを知るべきだ。
実は大手マスコミの読者や視聴者の意見を聞く窓口担当者の大半は「ネット社会下におけるマスコミが果たすべき役割と権利・義務・責任」についての私の主張を理解・支持してくれているのだが、肝心の現場が窓口担当者が伝えてくれた私の「マスコミ論」を全く理解してくれないようなのだ。現に仙台育英の校名を公表すべきだという私の主張に対して「校名を公表するとかえって被害学生が不利になる」と当初反論していたチーフも最後まで私の主張に耳を傾けてくれ、「貴重なご意見として必ず担当部門に伝えます」と言ってくれたのだが、仙台育英がいじめがあったことを認め、被害学生に強要した自主退学を取り消したことを後追い報道した9日の『ニュース7』でも、依然として校名を明らかにしなかった。
このブログの冒頭でいじめ自殺があった大津市立皇子山中学校の校名を明らかにしたのは、早い段階で校名を明らかにしていれば大津市教育委員会や皇子山中学校の見苦しいとしか言いようのない責任逃れの言い訳を事前に防止できていたはずだ。そして校名が明らかにされていれば、全国の学校が一斉に襟を正し、皇子山中学校の二の舞はすまいと、いじめの防止に総力を挙げて取り組むようになっていたはずだ。
なおかなりの方が(マスコミ界も含め)この事件で「調査をしたが(全校生徒へのアンケートなどを含む)、いじめと自殺との因果関係はないとの結論に達した」という大津市教育委員会の発表について委員長の責任は大きいと考えていらっしゃるようだが(読売新聞の読者センターの方も「委員長は校長経験者だから、どうしても学校寄りのスタンスをとる」と述べられたが、実態は違う。教育委員会委員長はいわば名誉職で、社会的地位が高くそれなりの権威が一般的に認められている人が就く。それに対して事実上の実務のトップは教育長で、この職には原則として校長経験者が就く(例外も多少あるようだが、文科省も全国の教育委員会の人事をすべて把握しているわけではないようだ)。つまり実務上のトップが校長経験者で、その立場にある教育長が調査を指揮し、結果を独断で判断するといった態勢が、教育委員会の現状と言っていいだろう。それが教育委員会と、不祥事を起こした学校との癒着体質が今日まで堅持されてきた最大の要因である。こうした癒着体制によって多くのいじめが闇から闇に葬られてきたことを考えると、不祥事についての教育長の下した決定については、弁護士などフェアな立場でチェックできる第3者委員会をあらかじめ設けておく必要があるのではないか。そういう委員会が設置されているだけでも、教育長にとってはかなりのプレッシャーになり、学校側との癒着体質に一石を投じることができるはずだ。
マスコミが果たすべき責任と義務は、まさにそうした問題にメスを入れることにあり、「少子高齢化」に歯止めがかからない状況と同じく、ネット社会がますます影響力を持っていく今後のことを考えると、「ネット社会の中でマスコミはいかなるスタンスで読者や視聴者に情報を提供していくべきか」を真摯に考えるべき時期に差し掛かっているのではないか。
そうした反省に踏まえて今日の様々な社会現象を、それこそ各マスコミが独自の視点で分析・評価して読者の信を問うという確固たる信念を持って報道・提言に徹するといったスタンスを確立しないと、読者・視聴者のマスコミ離れに歯止めをかけることはできまい。
さて本題から多少ずれるが、今回のいじめ現象は背景として少子高齢化の進行と無関係ではない。これは一人っ子政策を続けている中国で生じている問題ときわめて似た現象でもある。つまり中国で生じている子育ての状況を分析すれば、それがそのまま日本での子育ての状況と重なっていることに気づくはずだ。つまり同じ少子化の中で子育てが日本も中国も2極分化していることを理解しないと、第2次いじめ時代の背景を分析することはできない。
第1次いじめ時代は昭和の50年代半ばから始まったが、そのころはまだ日本では少子化は始まっていない。文科省のデータによれば、学校内の暴力行為発生件数と発生率についての調査は1983年(昭和58年)から行われてきたが、当初は中学校と高校のみが調査対象とされ、小学校の暴力事件も無視すべきでないということで小学校も調査対象に加えられたのは1997年(平成9年)からである。そのデータによれば第1次いじめ時代は。実は現在のいじめ状況と比べればそれほど深刻な状況とは言えなかった。一つには少子化がまだ始まっていなかったため、親だけでなく兄弟姉妹の存在が大きかったのではないかと思われる。また教師に大きな影響を与えたTBSの『金八先生』(武田哲也主演)の最初のシリーズが始まったのが1979年(昭和54年)であり、2008年(平成20年)まで8回に及ぶシリーズが放映された(シリーズとシリーズの間の間隔も含む)。このドラマが教師だけでなく学生に与えた影響も無視できないほど大きく、生徒と教師のコミュニケーションが頻繁に行われるようになり、いつの間にかいじめが減少していった。
ここで中国の子育て状況を見てみよう。先ほど「2極分化」と書いたが、一人っ子を甘やかし、わがままのし放題といった育て方(共産党幹部や富裕層などに多く見られる)と、とにかく将来成功できるように教育に大きな力を注ぐ育て方(中間層に多い)の2極分化である(そのほかに貧困層が中国にはあるが、日本の子育て状況とは無縁なので無視した)。
こうした中国の子育ての2極分化を見ると、日本と同じじゃないか、と読者の皆さんはお気づきだろう。まさにそうなのだ。私はスキャンダルを書くことは原則として自己規制しているが、これだけは書いておきたい。皇子山中学の加害生徒の保護者を学校に集めて事情を聞こうとした時、一人の母親が「私の子供を加害者扱いしないでください」と抗議しただけでなく「自殺した子はもう戻らないけど、私の子供はこれからも生きていかなければならないんです」と叫び、さらに校門で「私の子供こそ被害者です」というビラをまいたという。その母親はこともあろうに人権保護団体の「大津市地域女性団体連合会」の会長を務めているというから恐れ入る。
ところで最後にもう一つだけ文科省の調査データを紹介しておこう。このデータは「学年別いじめの認知件数」を調査したもので小学校では学年が上がるにつれごくなだらかな増加傾向がみられるが、中学1年生になった途端小学校6年生のいじめ認知件数の2倍超に激増し、2年生になると40%減少し、3年生になると2年生の半分以下に大幅減し、以降はなだらかに減少している。このデータの意味することは、いじめが激増した中学1~2年生は(個人差はあるにしても)一般的には子供が反抗期に入る年代であり、従来は反抗の矛先が親に向けられていたのが、少子化の結果、親が子供に甘くなったため反抗のし甲斐がなく、矛先がいじめやすい同級生に向かったのではないかと私は推測している。どなたか教育問題の研究者が私の推測を裏付ける研究をしていただければと願っている。