最近私のブログ記事『緊急告発‼! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』の中のわずか1行半ほどの文章について読売新聞読者センターから厳しい抗議を受け、それまで営々として築き上げてきた読者センターとの相互信頼関係が一瞬にして崩壊してしまった経緯について、私は私のブログ読者の方々に報告する義務と責任があると思ったので、このブログで書くことにした。読者センターがこのブログ記事に反論がある場合はコメントを寄せていただきたい。いかなる批判であっても私は削除しないことを約束する。
実は仕事をしていたころは私は日経・朝日・読売の3紙を取っていた。情報源としてである。だから社説などの各紙の主張には目もくれなかった。
しかし漫画ブームによって活字離れが急速に進行し、私は50代前半で職を失うことになった。雑誌などでの執筆活動だったら続けられたはずだったが、単行本と違い、雑誌の場合はあらかじめ編集会議でテーマを決め(時にはタイトルまで決めてしまうこともある)、その後しかるべき筆者に原稿依頼をする。もちろん原稿依頼をする場合、それとなく(つまり露骨にではなく)編集部の意向を匂わせる。で、最初からそんな意向には総沿えないと思った時は「今忙しいので」とやんわり断る。これは面白そうだと思った時は引き受けるが、実際に取材してみると編集部の意向に沿った原稿は書けないという結論に至るケースがままあった。で、こういう時のフリージャーナリストのスタンスが問われることになるのだが、私は私が取材で得た情報に基づいて原稿を書くことにしている。当然編集部の意向に反した原稿になることが多くなる。そうした場合、編集部は勝手に原稿を大幅に変更したり、時にはほとんど全面的に書き直したり(そういう行為をこの世界では「リライト」という)することさえある。で、売らんがためには名誉棄損で訴えられかねないぎりぎりまでを勝手にきょよう範囲と「解釈」して元原稿をいじってしまうのだ(しかもゲラは絶対に筆者に見せない)。あまりにもひどかった場合に一度弁護士(役所が弁護士数人に依頼して無料法律相談の日を設けているときに相談に乗ってもらったのだが)にその雑誌の「販売停止の仮処分」をできないかを相談したことがある。弁護士は「著作権と編集権の問題ですね」と念を押したうえで「当然著作権は何人にも侵されないという非常に強い権利です。仮処分の申請をすれば、どの程度著作権が侵害された科の事実調査に基づいて仮処分を執行するかどうかを慎重に考慮します。いくら著作権のほうが法的権利が強いといっても、雑誌の販売差し止めは事実上その雑誌の廃刊を意味しますから、むやみやたらと仮処分を認めるわけにはいかないのです」と仮処分の難しさを説明してくれた上で、「もし仮処分が認められたとしたら大ニュースですからテレビや新聞も大きく取り上げるでしょうし、小林さんはおそらくこの世界から追放されるでしょうね。そういうリスクまで考えたら、無念でしょうけど諦めた方がいいと私は思います」と言われ、以来私は雑誌の原稿依頼はすべてお断りすることにした。
しかし出版社に恵まれたせいもあるが、10万部以上の大台に乗った本も4冊を数えた。
私の本を一番多く出版してくれたのは光文社で13冊を数えた。光文社がノンフィクション分野で最も多くの本を出版したのは学者の小室直樹氏で15冊出版している。私は光文社で小室氏に次ぐ位置を占めていた。次は講談社が5冊、祥伝社が3冊、青春出版社、リクルート出版、まったく無名の早稲田出版(同社社長が友人で、頼まれたら嫌と言えなかった)、の各3社がそれぞれ2冊。あとは各出版社1冊ずつで出版順に書くと、こう書房、サンケイ出版、コスモの本。かんき出版、実業之日本社で、計32冊を数えた。
22日にちょっとした用件があって、読売新聞の読者センターに電話をしたところ、いきなり「事実でないことをブログに書いたりしないでください」とクレームを付けられた。最初何のことかわからなかったので「何のことでしょうか」と尋ねた。相手は「読書センターの者とのやり取りです。本人に確認したらそんなことは言っていないと言っています」と返事が返ってきた。何のことかさっぱりわからない読者もいらっしゃると思うので、ざっと説明しておこう。
私は8月15日に投稿したブログ記事『緊急告発‼! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』の中で、米国防総省がなぜ今頃になって(8月9日)、A・B・Cの3クラスに分類したオスプレイと海兵隊所有の飛行機の事故件数(10万時間飛行したときの平均事故件数)を公表したのか、また公表せざるを得なくなった事情と、背後に秘められた「打算と欺瞞」について私なりの分析に基づく記事を書くことにした。が、私は軍事評論家でもなんでもないので、ジャーナリストとしての経験が豊富な読者センターの方にあらかじめ私の考え方に対すり意見をお聞きして参考にしたいと思ったのである。その時のやり取りを私はブログの中で書いた。そのことが読者センターの逆鱗に触れたようだった。その個所を述べておこう。
実は8月16日、『オスプレイ事故の「調査結果報告書」で米国防総省は 墓穴を掘った』と題したブログ記事を投稿したのだが、その記事を書くにあたって私の論理構成に誤りや偏見が混じっているとブログ読者に申し訳がないと思い、読売新聞の読者センターの方に(これから述べる)私の考えを申し上げたところ、担当者は「うーん。……おっしゃる通りだと思います」とお答えになったので、「読売さんの記者はまだ誰も米国防総省の打算と欺瞞にお気づきではないようですね」と言いつのった。「そのようですね」と誠に正直にお答えになったので「つまり記者としては失格だということですね。」とまで挑発してみたが、かえってきた答えは「その通りだと思います」だった。
そこで私は自信を持って米国防総省の欺瞞性を暴くことにしたというわけである(ブログ記事を書くに際して、情報源はいろいろあるが、他人に意見を求めたことは初めてである。実際オスプレイ問題についての第一弾のブログ記事『緊急告発‼! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』を書いた時はだれの意見も聞いていない。第2弾を書くに際して読売新聞読者センターの方に意見を求めたのは、私の考えが同盟国のアメリカに対し厳しすぎるかもしれないという不安感があり、ブログ読者から私の主張を誤解や偏見に基づいていると思われないか多少心配だったからである。。
そしてこの時の会話をブログに書いたところ、なんと読者センターは「犯人」探しを始めた。そして「犯人」を突き止めた結果、「当社にとって不利になる意見に対し同調するようなことは言わないように」と当人に注意するだけにとどめ、私には「犯人」探しをしたことを伏せていれば、この「事件」は闇から闇に葬ることができたのに、たまたま21日の夕方、別件で読者センターに電話をしたところ、いきなり「事実でないことをブログで書いたりしないでください」とクレームを付けられたのである。当然私は反論した。
「私がブログで読者センターの方とのやり取りについて仮にでたらめを書いたとして、何か私に利することがありますか。私にはプラスもなければマイナスもありません。むしろ読売は一枚岩ではない、自由に自分の良心にかけてものが言える新聞社だという印象を読者がお持ちになったら、メリットを得るのは読売さんのほうですよ」と。さらにこうも言った。「内部調査をしたら、私に対応された方が本当のことを言うわけないじゃないですか。仮にあなたがその時対応されて、内部調査の対象にされたら本当のことを言いますか。そんなことはジャーナリスト出身のあなた方は百も承知のはずでしょう」と。
当然その方は黙してしまった。再反論をできるわけがないからである。彼がその後言ったことは、「とにかく読者センターは読者の意見を聞き、それを担当者に伝えるだけです。読者の意見に対して私たちが自分の考えを述べるようなことはありませんので、ご承知おきください」と言うのが精いっぱいだった。私は「そんなことはない。何10分も、時には受付終了時の午後10時を過ぎても私との会話に夢中になられた方もいる。少なくとも私に対しては人間録音機のような方はいないはずだ」と申し上げた。こんな話を延々と続けても平行線をたどるだけだし、私もそんな無意味な会話に電話代を払わされるのは困るので「とにかく今日電話したのはさっき投稿したブログ記事の原本をFAXしましたので、それをお伝えしたかっただけです」と言って電話を切った。
私はNHKにも『ニュース7』や『クローズアップ現代』『ニュースウォッチ9』『NHKスペシャル』などについてもしばしば視聴者センター(NHKでの部署名は「ふれあいセンター」である)に電話するが、まず自動音声で「この電話は録音させていただきます」というアナウンスが流れた後視聴者センターにつながる。私が電話するようなとき(つまり上記の番組中か直後)は電話が殺到するようで、多少(せいぜい1~2分)待たされることもあるが、電話がつながったときはかなりの比率でチーフに代わってもらっている。その理由は、視聴者センターの担当者(コミュニケーターという)の持ち時間は視聴者一人につき最大10分とされているようで(結果的には15分くらい話を聞いてもらえるケースもないではないが、非常に込み合っているときはいきなり「5分以内でお願いします」と時間制限をかけられてしまうこともあり、そういう場合は「とても5分では話しきれないのでチーフに代わってほしい」と要求する。「では上司に伺ってきますので、簡単にご用件をお話しください」と言われ用件を述べると「しばらくお待ちください」といったん電話を保留にされ、結局は私の場合、これまでは100%上司(「チーフの○○です」と名乗ったり「責任者の○○です」と名乗ったりするが、これは別々の職位があるわけではなく、同一人物が状況によって使い分けているようだ)が代わってくれた。NHKの場合、コミュニケーターに放送内容について抱いた疑問を述べ、説明を求めても「自分の考えを申し上げることはできません。担当者にお伝えするだけです」と必ず拒否されるので、「では担当者から説明をいただけるのですか」と聞くと「そうした対応はしておりません」と冷たい返事が返ってくるだけである。で、やむを得ず「ではチーフに代わってください」と頼まざるを得なくなるのである。そしてチーフはかなり自由にものが言える(時にはこれは私個人の見解ですが、と断りを入れて自分の考えを述べる方もいる)。たとえばNHKは総合テレビで平日の昼間、時々『NHKアーカイブス』という番組名で、過去に放送されたコンテンツ(番組)を再放送されることがある。そのなかで「プロジェクトX」シリーズで放送されたコンテンツを再放送したのをたまたま見たことがあり、「あのシリーズがなくなったのは非常に残念だ。いっぱいいいコンテンツを放送され、一種の社会現象を作り出した番組だったのに」とチーフの方に申しあげたことがある。チーフは「私も同感です。NHKがあのシリーズを打ち切ったことで、担当プロジューサーがNHKを退職したぐらいで、彼は無念の思いを今でも引きずっていると思いますよ」と言ってくれた。で、私は「結局最後のほうはネタ切れになって中小企業のどこにでもあるような技術開発なんかをコンテンツのテーマにするようになり、あのシリーズの最大の魅力だった視聴者に与える感動性が薄らいできたことが視聴者離れを引き起こしたのだと思う。土台定期番組にしたことがコンテンツの質を低下させてしまったのだと思う。何とかあのシリーズの精神を受け継いで、視聴者に大きな感動を与えられるようなコンテンツを考えてもらえないか」と申し入れた。チーフは「私も大賛成です。今日もいろいろ提案が寄せられていますが、最重要提案として編成に伝えます」と言ってくれた。今NHKは「プロフェッショナル」という番組を放送しているが、私は私の提案がこういう形で実現したのではないだろうか、とひそかに自負している。
まだある。フィギアスケートが国民的人気のスポーツになったきっかけは、浅田真央が15歳の時トリプルアクセスを成功させグランプリファイナルの出場資格がかかったNHK杯で見事に優勝したことだった。実はこの当時のNHK杯は昼間に行われていた。にもかかわらず放送は「ニュース7」が終わった後の7時30分からの開始だった。基本的にNHKだけは放送業界の中で唯一スポーツ放送の録画中継は新聞のラテ欄(ラジオ・テレビの番組表のこと)に「録画」と表記している。が、この年のNHK杯についてはラテ欄にその表記がなかった。が、NHK杯の放送直前の「ニュース7」の冒頭でアナウンサーが「浅田真央がショートプログラムをトップで通過しました」と結果を放送してしまったのである。
問題が生じたのはその翌日である。私はNHKの視聴者センターに昼間電話をして、「今日のフリーはナマですか、それとも録画中継ですか。もし録画中継なら「ニュース7」はパスするから」と聞いた。コミュニケーターは「しばらくお待ちください」といったん電話を保留にし、しばらく待たされたあと「今日はナマです」と答えた。で私は安心して「ニュース7』を見たのだが、とんでもないことにまたアナウンサーがニュースの冒頭で「浅田真央がNHK杯で優勝しました」と結果を明らかにしてしまったのだ。私は怒り狂った。直ちに視聴者センターに電話をして苦情を言った。その電話に出たコミュニケーターは「上司に代わりますので少しお待ちください」といったん電話を保留にし、「チーフの○○です。調べましたが、そのようにお答えしたことが判明しました。誠に申し訳ありませんでした。今後そのようなことがないよう注意しておきます」と平謝りだった。怒りがまだ収まらなかった翌日にも視聴者センターに電話し、チーフ(前日とは別人)に代わってもらって再びクレームをつけた。「しばらくお待ちください」と言った後、「確かにお客様にお謝りしたことが確認できました」と認めた。怒りはまだ収まっていなかったものの、多少は冷静さも取り戻していた私は「スポーツ放送はナマが原則です。放送前に結果を明らかにしてしまったら、推理小説の前書きであらかじめ犯人と犯行手口を暴露してしまうのと同じようなものです。そんな推理小説を誰が読みますか。現にNHKは昼間に行われている高校野球や大相撲はナマ中継しているじゃないですか」と申し上げた。チーフは「お怒りはもっともだと思います。今後何らかの対策をとるよう編成に申し伝えます」と誠実に答えてくれた。その翌年からNHK杯はゴールデンタイムの午後7時半から試合が始まることになった(ただし女子のみ)。実はグランプリファイナルに出場できる権利は日本をはじめ世界6か国で行われるグランプリシリーズに出場して獲得したポイントの累計で上位6人だけが得ることができる狭き門なのである。しかもすべての試合は昼間に行われるのが習慣化していた。この壁にNHKが穴をあけた意味は決して小さくない。
NHKについてはまだある。フィギュア日本選手権はフジテレビが独占放送権を持っていて、試合はやはり昼間に行われている。が、フジテレビの放送はゴールデンタイムの午後7時から始まった。その日、私はNHKの「ニュース7」を見てからチャンネルをフジテレビに変え、女子フィギュアの試合を見ていた。が、日本選手権だから、無名のまだ育成中の選手も出場する。で、そんな選手の競技を見ても面白くもなんともないので、ネットサーフィンしながらちらちらテレビに目を向けていた。が、ネット上にその日の結果が流れた。そこで私はフジテレビの視聴者センターに電話し、「今日の試合は何時から行われたんですか」と聞いた。視聴者センターの方は「担当者におつなぎします」と番組制作担当者に電話を回してくれた。私は電話に出た女性の制作担当者に同じ質問をぶつけた。彼女は「この放送はナマですよ」と平然と答えたので、「では、今競技を行っているということですか」と意地悪く念を押した、彼女はやはり平然と「そうです」と答えたので、「私は今ネットサーフィンをしながらフィギュアの放送を見ているんだけど、ネットにはもう今日の結果が流れていますよ。どういうこと?」と言ってみた。すると彼女はあわてて「ちょっとお待ちください」と電話を保留にしてしまった。しばらく待たされた後、今度は男性の担当者が電話口に出て「彼女はちょっと混乱したようですね。試合は○○時から始まり○○時に終わっています」というので、「だったらラテ欄に『録画』と表記するか、昼間の競技中にナマ中継すべきじゃないですか。現にNHK杯は今ゴールデンタイムに生中継していますよ」と苦言を呈した。
すでに結果がわかっていたのにNHKは「ニュース7」でフィギュア全日本選手権の結果を報道しなかった。NHKの視聴者センターのコミュニケーターは女性が大半を占めているが、男性も少数だがいる。その日はたまたま男性コミュニケーターが電話に出て、「なぜ女子フィギュアの全日本選手権の結果を報道しなかったのか?」と聞いたところ、そういう質問に答えるすべもないし、また自分の考えで答える権限も持っていないため、普通なら「上司に変わらせていただきます」とチーフに電話を回すのだが、ルールを無視して自分で問題を解決しようとしてしまった。彼が最初に答えたのは「放映権はフジテレビが持っており、NHKは放送できないんです」というありふれた答えだった。そこで私は「映像を放映することができないことくらい私も知っている。だけどニュースの後半で、映像なしでプロ野球全試合の結果や途中経過を文字だけで報道しているではないか。放映権と、映像なしで文字だけで結果をニュースとして報道することは別問題だ。それに今日のスポーツ関連のニュースでラクビー天皇杯の準決勝は映像付きで放送しているではないか。いったいあなたはどっちのほうがニュース性として重要か、また一般の視聴者の関心はどっちのほうにあると思っているのか」と問い詰めた。彼は居直ったかのように「私はラクビーのニュースのほうがスポーツニュースとしては重要だと思っています」と答えた。ちなみに当日の昼間、NHKはラクビーの試合を生中継していた。私は呆れかえって電話を切ったが、腹の虫がおさまらなかったので翌日チーフに電話に出てもらって、前日のコミュニケーターとの会話の内容を述べ、こんなおかしな考え方をしているコミュニケーターがいる、と苦言を呈した。チーフの第一声は「コミュニケーターが自分の考えを言ったのですか」だった。
私が延々とNHKの話を書いた理由は要するに読者センターの方たちはNMKのコミュニケーター並みの存在でしかなくなったのか、と改めて読者センターに問いたかったからである。
それならそれで私からも提案がある。読者とのやり取りで「言った、言わない」でこれほどの大騒ぎをされるくらいなら、NHKの視聴者センターのように、読者とのすべての会話を録音することだ。無数にかかってくる視聴者からの電話(読売新聞読者センターにかかってくる電話よりはるかに多いはずだ)を録音しても、すでに書いたように私が同じ問題を再度蒸し返した時、視聴者センターの方が即座に前回の電話の録音を検索(ただし個人情報の外部流出を防ぐため、おそらくコミュニケーターの方には検索できないようにしていると思う)できるシステムを構築していると思う。具体的には視聴者からの電話にコミュニケーターが出た瞬間、視聴者の電話番号をサーバーが記録し、録音内容を読者の電話番号で検索できるようなシステムではないかと思う。また視聴者センターの電話にナンバー・ディスプレーがついているのはチーフ以上の役職者だけで、視聴者の電話をコミュニケーターから受け継いだ瞬間、役職者の電話にだけ付いているナンバー・ディスプレイに視聴者の電話番号が表示され、同時にその電話と接続されたパソコンのモニターにいつ、どんな用件の電話があったかをキーワードで表示され、例えば私がかけたフィギュアNHK杯の放送に対する苦情の電話内容を直ちに検索できるようになっているのだと思う。しかも録音内容をいちいち再生していたら時間を無駄に消費するだけなので。おそらく音声認識のソフトで文字変換し、モニターに表示されたキーワードをクリックすれば文字化された録音内容が即座にモニターに表示されるようになっているのではないかと思う。これは私の推測にすぎないが、読売新聞の読者センターもこのようなシステムを導入すれば、今回のような大騒動にはならなかったはずだし、NHKのコミュニケーターと同様、人間録音機の機能しか持っていないかのような、元ジャーナリストの出身者としてのプライドを私ごとき者のために投げ捨ててまで自らを貶めるような行為に出ずに済んだはずだ。
確かに私が、オスプレイ事故件数を米国防総省が公表した件について読者センターに電話したとき、調子に乗りすぎて「つまり記者としては失格ですね」などという思い上がった質問をぶつけてしまったことは大いに反省しているが、読者センターの方も(たとえ同感していただけたとしても)苦笑いしながら「私にはその質問にはお答えできません」と大人の対応をしていただいていたら、私には事実上その方も私と同意見をお持ちのようだと推測できたし、それで充分だった。だから読者センターで大問題になったわずか1行半ほどの文章を書くことはなかったと思う。人のせいにするわけではないが、これまで営々と築き上げてきた読者センターと私との信頼関係がたった1行半のブログ記事によって崩壊してしまったことに思いをいたすと、無念でならない。
それにしても内部調査で「小林さんがブログに書いたことが事実ではないことが明らかになった」と極め付けられるのは日本最大級のマスコミとしてはいかがなものか、という苦言を呈さざるを得ない。読売に限らずジャーナリスト(この場合私はかなり広義な意味で定義している。駆け出しの取材記者も含めて言っているので)が取材先の言い分を鵜呑みにしていたら新聞の記事やテレビニュースは全く信用できなくなってしまう。だから内部調査で私の電話に対応された方の言い分を鵜呑みにして、私の「ブログ記事は事実ではないことを書かれた」と断定される以上。官公庁をはじめ学校などの公的機関に生じた不祥事に対する身内の内部調査に対して、読売新聞が厳しい批判をしてきたこと自体が間違っていたと「反省」されての上での、私に対する非難であったと私は受け止めざるを得ない。
なお私自身も反省すべき点はある。問題の電話の相手があまりにもすいすい私の考えや主張に同意されたので、調子に乗りすぎたと言うか図に乗りすぎたと言うべきか、「記者として失格ですね」とまで同意を求めるような言い方はすべきではなかったと思っている。せいぜい「担当記者にオスプレイ問題についての突っ込みが不十分だという読者からの指摘があったと伝えてください」くらいにとどめるべきだったと思っている。
もうブログ記事の文字数の限界になってしまった。というより限界をはるかに超えてしまったので、あまり重要でない部分は相当カットした。そういう作業にかなり手間取ったが、何とか制限内の文字数に収めることができた。今書きかけの原発問題を中断しての作業だった。原発問題についての問題提起は数日中に書き上げ投稿する予定であるが、読者諸氏も、もし原発「0」にしたら日本人の生活や日本の経済、特に日本のナショナル・アイデンティティと言えるハイテク産業はどうなるかを考えておいてほしい。
実は仕事をしていたころは私は日経・朝日・読売の3紙を取っていた。情報源としてである。だから社説などの各紙の主張には目もくれなかった。
しかし漫画ブームによって活字離れが急速に進行し、私は50代前半で職を失うことになった。雑誌などでの執筆活動だったら続けられたはずだったが、単行本と違い、雑誌の場合はあらかじめ編集会議でテーマを決め(時にはタイトルまで決めてしまうこともある)、その後しかるべき筆者に原稿依頼をする。もちろん原稿依頼をする場合、それとなく(つまり露骨にではなく)編集部の意向を匂わせる。で、最初からそんな意向には総沿えないと思った時は「今忙しいので」とやんわり断る。これは面白そうだと思った時は引き受けるが、実際に取材してみると編集部の意向に沿った原稿は書けないという結論に至るケースがままあった。で、こういう時のフリージャーナリストのスタンスが問われることになるのだが、私は私が取材で得た情報に基づいて原稿を書くことにしている。当然編集部の意向に反した原稿になることが多くなる。そうした場合、編集部は勝手に原稿を大幅に変更したり、時にはほとんど全面的に書き直したり(そういう行為をこの世界では「リライト」という)することさえある。で、売らんがためには名誉棄損で訴えられかねないぎりぎりまでを勝手にきょよう範囲と「解釈」して元原稿をいじってしまうのだ(しかもゲラは絶対に筆者に見せない)。あまりにもひどかった場合に一度弁護士(役所が弁護士数人に依頼して無料法律相談の日を設けているときに相談に乗ってもらったのだが)にその雑誌の「販売停止の仮処分」をできないかを相談したことがある。弁護士は「著作権と編集権の問題ですね」と念を押したうえで「当然著作権は何人にも侵されないという非常に強い権利です。仮処分の申請をすれば、どの程度著作権が侵害された科の事実調査に基づいて仮処分を執行するかどうかを慎重に考慮します。いくら著作権のほうが法的権利が強いといっても、雑誌の販売差し止めは事実上その雑誌の廃刊を意味しますから、むやみやたらと仮処分を認めるわけにはいかないのです」と仮処分の難しさを説明してくれた上で、「もし仮処分が認められたとしたら大ニュースですからテレビや新聞も大きく取り上げるでしょうし、小林さんはおそらくこの世界から追放されるでしょうね。そういうリスクまで考えたら、無念でしょうけど諦めた方がいいと私は思います」と言われ、以来私は雑誌の原稿依頼はすべてお断りすることにした。
しかし出版社に恵まれたせいもあるが、10万部以上の大台に乗った本も4冊を数えた。
私の本を一番多く出版してくれたのは光文社で13冊を数えた。光文社がノンフィクション分野で最も多くの本を出版したのは学者の小室直樹氏で15冊出版している。私は光文社で小室氏に次ぐ位置を占めていた。次は講談社が5冊、祥伝社が3冊、青春出版社、リクルート出版、まったく無名の早稲田出版(同社社長が友人で、頼まれたら嫌と言えなかった)、の各3社がそれぞれ2冊。あとは各出版社1冊ずつで出版順に書くと、こう書房、サンケイ出版、コスモの本。かんき出版、実業之日本社で、計32冊を数えた。
22日にちょっとした用件があって、読売新聞の読者センターに電話をしたところ、いきなり「事実でないことをブログに書いたりしないでください」とクレームを付けられた。最初何のことかわからなかったので「何のことでしょうか」と尋ねた。相手は「読書センターの者とのやり取りです。本人に確認したらそんなことは言っていないと言っています」と返事が返ってきた。何のことかさっぱりわからない読者もいらっしゃると思うので、ざっと説明しておこう。
私は8月15日に投稿したブログ記事『緊急告発‼! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』の中で、米国防総省がなぜ今頃になって(8月9日)、A・B・Cの3クラスに分類したオスプレイと海兵隊所有の飛行機の事故件数(10万時間飛行したときの平均事故件数)を公表したのか、また公表せざるを得なくなった事情と、背後に秘められた「打算と欺瞞」について私なりの分析に基づく記事を書くことにした。が、私は軍事評論家でもなんでもないので、ジャーナリストとしての経験が豊富な読者センターの方にあらかじめ私の考え方に対すり意見をお聞きして参考にしたいと思ったのである。その時のやり取りを私はブログの中で書いた。そのことが読者センターの逆鱗に触れたようだった。その個所を述べておこう。
実は8月16日、『オスプレイ事故の「調査結果報告書」で米国防総省は 墓穴を掘った』と題したブログ記事を投稿したのだが、その記事を書くにあたって私の論理構成に誤りや偏見が混じっているとブログ読者に申し訳がないと思い、読売新聞の読者センターの方に(これから述べる)私の考えを申し上げたところ、担当者は「うーん。……おっしゃる通りだと思います」とお答えになったので、「読売さんの記者はまだ誰も米国防総省の打算と欺瞞にお気づきではないようですね」と言いつのった。「そのようですね」と誠に正直にお答えになったので「つまり記者としては失格だということですね。」とまで挑発してみたが、かえってきた答えは「その通りだと思います」だった。
そこで私は自信を持って米国防総省の欺瞞性を暴くことにしたというわけである(ブログ記事を書くに際して、情報源はいろいろあるが、他人に意見を求めたことは初めてである。実際オスプレイ問題についての第一弾のブログ記事『緊急告発‼! オスプレイ事故件数を公表した米国防総省の打算と欺瞞』を書いた時はだれの意見も聞いていない。第2弾を書くに際して読売新聞読者センターの方に意見を求めたのは、私の考えが同盟国のアメリカに対し厳しすぎるかもしれないという不安感があり、ブログ読者から私の主張を誤解や偏見に基づいていると思われないか多少心配だったからである。。
そしてこの時の会話をブログに書いたところ、なんと読者センターは「犯人」探しを始めた。そして「犯人」を突き止めた結果、「当社にとって不利になる意見に対し同調するようなことは言わないように」と当人に注意するだけにとどめ、私には「犯人」探しをしたことを伏せていれば、この「事件」は闇から闇に葬ることができたのに、たまたま21日の夕方、別件で読者センターに電話をしたところ、いきなり「事実でないことをブログで書いたりしないでください」とクレームを付けられたのである。当然私は反論した。
「私がブログで読者センターの方とのやり取りについて仮にでたらめを書いたとして、何か私に利することがありますか。私にはプラスもなければマイナスもありません。むしろ読売は一枚岩ではない、自由に自分の良心にかけてものが言える新聞社だという印象を読者がお持ちになったら、メリットを得るのは読売さんのほうですよ」と。さらにこうも言った。「内部調査をしたら、私に対応された方が本当のことを言うわけないじゃないですか。仮にあなたがその時対応されて、内部調査の対象にされたら本当のことを言いますか。そんなことはジャーナリスト出身のあなた方は百も承知のはずでしょう」と。
当然その方は黙してしまった。再反論をできるわけがないからである。彼がその後言ったことは、「とにかく読者センターは読者の意見を聞き、それを担当者に伝えるだけです。読者の意見に対して私たちが自分の考えを述べるようなことはありませんので、ご承知おきください」と言うのが精いっぱいだった。私は「そんなことはない。何10分も、時には受付終了時の午後10時を過ぎても私との会話に夢中になられた方もいる。少なくとも私に対しては人間録音機のような方はいないはずだ」と申し上げた。こんな話を延々と続けても平行線をたどるだけだし、私もそんな無意味な会話に電話代を払わされるのは困るので「とにかく今日電話したのはさっき投稿したブログ記事の原本をFAXしましたので、それをお伝えしたかっただけです」と言って電話を切った。
私はNHKにも『ニュース7』や『クローズアップ現代』『ニュースウォッチ9』『NHKスペシャル』などについてもしばしば視聴者センター(NHKでの部署名は「ふれあいセンター」である)に電話するが、まず自動音声で「この電話は録音させていただきます」というアナウンスが流れた後視聴者センターにつながる。私が電話するようなとき(つまり上記の番組中か直後)は電話が殺到するようで、多少(せいぜい1~2分)待たされることもあるが、電話がつながったときはかなりの比率でチーフに代わってもらっている。その理由は、視聴者センターの担当者(コミュニケーターという)の持ち時間は視聴者一人につき最大10分とされているようで(結果的には15分くらい話を聞いてもらえるケースもないではないが、非常に込み合っているときはいきなり「5分以内でお願いします」と時間制限をかけられてしまうこともあり、そういう場合は「とても5分では話しきれないのでチーフに代わってほしい」と要求する。「では上司に伺ってきますので、簡単にご用件をお話しください」と言われ用件を述べると「しばらくお待ちください」といったん電話を保留にされ、結局は私の場合、これまでは100%上司(「チーフの○○です」と名乗ったり「責任者の○○です」と名乗ったりするが、これは別々の職位があるわけではなく、同一人物が状況によって使い分けているようだ)が代わってくれた。NHKの場合、コミュニケーターに放送内容について抱いた疑問を述べ、説明を求めても「自分の考えを申し上げることはできません。担当者にお伝えするだけです」と必ず拒否されるので、「では担当者から説明をいただけるのですか」と聞くと「そうした対応はしておりません」と冷たい返事が返ってくるだけである。で、やむを得ず「ではチーフに代わってください」と頼まざるを得なくなるのである。そしてチーフはかなり自由にものが言える(時にはこれは私個人の見解ですが、と断りを入れて自分の考えを述べる方もいる)。たとえばNHKは総合テレビで平日の昼間、時々『NHKアーカイブス』という番組名で、過去に放送されたコンテンツ(番組)を再放送されることがある。そのなかで「プロジェクトX」シリーズで放送されたコンテンツを再放送したのをたまたま見たことがあり、「あのシリーズがなくなったのは非常に残念だ。いっぱいいいコンテンツを放送され、一種の社会現象を作り出した番組だったのに」とチーフの方に申しあげたことがある。チーフは「私も同感です。NHKがあのシリーズを打ち切ったことで、担当プロジューサーがNHKを退職したぐらいで、彼は無念の思いを今でも引きずっていると思いますよ」と言ってくれた。で、私は「結局最後のほうはネタ切れになって中小企業のどこにでもあるような技術開発なんかをコンテンツのテーマにするようになり、あのシリーズの最大の魅力だった視聴者に与える感動性が薄らいできたことが視聴者離れを引き起こしたのだと思う。土台定期番組にしたことがコンテンツの質を低下させてしまったのだと思う。何とかあのシリーズの精神を受け継いで、視聴者に大きな感動を与えられるようなコンテンツを考えてもらえないか」と申し入れた。チーフは「私も大賛成です。今日もいろいろ提案が寄せられていますが、最重要提案として編成に伝えます」と言ってくれた。今NHKは「プロフェッショナル」という番組を放送しているが、私は私の提案がこういう形で実現したのではないだろうか、とひそかに自負している。
まだある。フィギアスケートが国民的人気のスポーツになったきっかけは、浅田真央が15歳の時トリプルアクセスを成功させグランプリファイナルの出場資格がかかったNHK杯で見事に優勝したことだった。実はこの当時のNHK杯は昼間に行われていた。にもかかわらず放送は「ニュース7」が終わった後の7時30分からの開始だった。基本的にNHKだけは放送業界の中で唯一スポーツ放送の録画中継は新聞のラテ欄(ラジオ・テレビの番組表のこと)に「録画」と表記している。が、この年のNHK杯についてはラテ欄にその表記がなかった。が、NHK杯の放送直前の「ニュース7」の冒頭でアナウンサーが「浅田真央がショートプログラムをトップで通過しました」と結果を放送してしまったのである。
問題が生じたのはその翌日である。私はNHKの視聴者センターに昼間電話をして、「今日のフリーはナマですか、それとも録画中継ですか。もし録画中継なら「ニュース7」はパスするから」と聞いた。コミュニケーターは「しばらくお待ちください」といったん電話を保留にし、しばらく待たされたあと「今日はナマです」と答えた。で私は安心して「ニュース7』を見たのだが、とんでもないことにまたアナウンサーがニュースの冒頭で「浅田真央がNHK杯で優勝しました」と結果を明らかにしてしまったのだ。私は怒り狂った。直ちに視聴者センターに電話をして苦情を言った。その電話に出たコミュニケーターは「上司に代わりますので少しお待ちください」といったん電話を保留にし、「チーフの○○です。調べましたが、そのようにお答えしたことが判明しました。誠に申し訳ありませんでした。今後そのようなことがないよう注意しておきます」と平謝りだった。怒りがまだ収まらなかった翌日にも視聴者センターに電話し、チーフ(前日とは別人)に代わってもらって再びクレームをつけた。「しばらくお待ちください」と言った後、「確かにお客様にお謝りしたことが確認できました」と認めた。怒りはまだ収まっていなかったものの、多少は冷静さも取り戻していた私は「スポーツ放送はナマが原則です。放送前に結果を明らかにしてしまったら、推理小説の前書きであらかじめ犯人と犯行手口を暴露してしまうのと同じようなものです。そんな推理小説を誰が読みますか。現にNHKは昼間に行われている高校野球や大相撲はナマ中継しているじゃないですか」と申し上げた。チーフは「お怒りはもっともだと思います。今後何らかの対策をとるよう編成に申し伝えます」と誠実に答えてくれた。その翌年からNHK杯はゴールデンタイムの午後7時半から試合が始まることになった(ただし女子のみ)。実はグランプリファイナルに出場できる権利は日本をはじめ世界6か国で行われるグランプリシリーズに出場して獲得したポイントの累計で上位6人だけが得ることができる狭き門なのである。しかもすべての試合は昼間に行われるのが習慣化していた。この壁にNHKが穴をあけた意味は決して小さくない。
NHKについてはまだある。フィギュア日本選手権はフジテレビが独占放送権を持っていて、試合はやはり昼間に行われている。が、フジテレビの放送はゴールデンタイムの午後7時から始まった。その日、私はNHKの「ニュース7」を見てからチャンネルをフジテレビに変え、女子フィギュアの試合を見ていた。が、日本選手権だから、無名のまだ育成中の選手も出場する。で、そんな選手の競技を見ても面白くもなんともないので、ネットサーフィンしながらちらちらテレビに目を向けていた。が、ネット上にその日の結果が流れた。そこで私はフジテレビの視聴者センターに電話し、「今日の試合は何時から行われたんですか」と聞いた。視聴者センターの方は「担当者におつなぎします」と番組制作担当者に電話を回してくれた。私は電話に出た女性の制作担当者に同じ質問をぶつけた。彼女は「この放送はナマですよ」と平然と答えたので、「では、今競技を行っているということですか」と意地悪く念を押した、彼女はやはり平然と「そうです」と答えたので、「私は今ネットサーフィンをしながらフィギュアの放送を見ているんだけど、ネットにはもう今日の結果が流れていますよ。どういうこと?」と言ってみた。すると彼女はあわてて「ちょっとお待ちください」と電話を保留にしてしまった。しばらく待たされた後、今度は男性の担当者が電話口に出て「彼女はちょっと混乱したようですね。試合は○○時から始まり○○時に終わっています」というので、「だったらラテ欄に『録画』と表記するか、昼間の競技中にナマ中継すべきじゃないですか。現にNHK杯は今ゴールデンタイムに生中継していますよ」と苦言を呈した。
すでに結果がわかっていたのにNHKは「ニュース7」でフィギュア全日本選手権の結果を報道しなかった。NHKの視聴者センターのコミュニケーターは女性が大半を占めているが、男性も少数だがいる。その日はたまたま男性コミュニケーターが電話に出て、「なぜ女子フィギュアの全日本選手権の結果を報道しなかったのか?」と聞いたところ、そういう質問に答えるすべもないし、また自分の考えで答える権限も持っていないため、普通なら「上司に変わらせていただきます」とチーフに電話を回すのだが、ルールを無視して自分で問題を解決しようとしてしまった。彼が最初に答えたのは「放映権はフジテレビが持っており、NHKは放送できないんです」というありふれた答えだった。そこで私は「映像を放映することができないことくらい私も知っている。だけどニュースの後半で、映像なしでプロ野球全試合の結果や途中経過を文字だけで報道しているではないか。放映権と、映像なしで文字だけで結果をニュースとして報道することは別問題だ。それに今日のスポーツ関連のニュースでラクビー天皇杯の準決勝は映像付きで放送しているではないか。いったいあなたはどっちのほうがニュース性として重要か、また一般の視聴者の関心はどっちのほうにあると思っているのか」と問い詰めた。彼は居直ったかのように「私はラクビーのニュースのほうがスポーツニュースとしては重要だと思っています」と答えた。ちなみに当日の昼間、NHKはラクビーの試合を生中継していた。私は呆れかえって電話を切ったが、腹の虫がおさまらなかったので翌日チーフに電話に出てもらって、前日のコミュニケーターとの会話の内容を述べ、こんなおかしな考え方をしているコミュニケーターがいる、と苦言を呈した。チーフの第一声は「コミュニケーターが自分の考えを言ったのですか」だった。
私が延々とNHKの話を書いた理由は要するに読者センターの方たちはNMKのコミュニケーター並みの存在でしかなくなったのか、と改めて読者センターに問いたかったからである。
それならそれで私からも提案がある。読者とのやり取りで「言った、言わない」でこれほどの大騒ぎをされるくらいなら、NHKの視聴者センターのように、読者とのすべての会話を録音することだ。無数にかかってくる視聴者からの電話(読売新聞読者センターにかかってくる電話よりはるかに多いはずだ)を録音しても、すでに書いたように私が同じ問題を再度蒸し返した時、視聴者センターの方が即座に前回の電話の録音を検索(ただし個人情報の外部流出を防ぐため、おそらくコミュニケーターの方には検索できないようにしていると思う)できるシステムを構築していると思う。具体的には視聴者からの電話にコミュニケーターが出た瞬間、視聴者の電話番号をサーバーが記録し、録音内容を読者の電話番号で検索できるようなシステムではないかと思う。また視聴者センターの電話にナンバー・ディスプレーがついているのはチーフ以上の役職者だけで、視聴者の電話をコミュニケーターから受け継いだ瞬間、役職者の電話にだけ付いているナンバー・ディスプレイに視聴者の電話番号が表示され、同時にその電話と接続されたパソコンのモニターにいつ、どんな用件の電話があったかをキーワードで表示され、例えば私がかけたフィギュアNHK杯の放送に対する苦情の電話内容を直ちに検索できるようになっているのだと思う。しかも録音内容をいちいち再生していたら時間を無駄に消費するだけなので。おそらく音声認識のソフトで文字変換し、モニターに表示されたキーワードをクリックすれば文字化された録音内容が即座にモニターに表示されるようになっているのではないかと思う。これは私の推測にすぎないが、読売新聞の読者センターもこのようなシステムを導入すれば、今回のような大騒動にはならなかったはずだし、NHKのコミュニケーターと同様、人間録音機の機能しか持っていないかのような、元ジャーナリストの出身者としてのプライドを私ごとき者のために投げ捨ててまで自らを貶めるような行為に出ずに済んだはずだ。
確かに私が、オスプレイ事故件数を米国防総省が公表した件について読者センターに電話したとき、調子に乗りすぎて「つまり記者としては失格ですね」などという思い上がった質問をぶつけてしまったことは大いに反省しているが、読者センターの方も(たとえ同感していただけたとしても)苦笑いしながら「私にはその質問にはお答えできません」と大人の対応をしていただいていたら、私には事実上その方も私と同意見をお持ちのようだと推測できたし、それで充分だった。だから読者センターで大問題になったわずか1行半ほどの文章を書くことはなかったと思う。人のせいにするわけではないが、これまで営々と築き上げてきた読者センターと私との信頼関係がたった1行半のブログ記事によって崩壊してしまったことに思いをいたすと、無念でならない。
それにしても内部調査で「小林さんがブログに書いたことが事実ではないことが明らかになった」と極め付けられるのは日本最大級のマスコミとしてはいかがなものか、という苦言を呈さざるを得ない。読売に限らずジャーナリスト(この場合私はかなり広義な意味で定義している。駆け出しの取材記者も含めて言っているので)が取材先の言い分を鵜呑みにしていたら新聞の記事やテレビニュースは全く信用できなくなってしまう。だから内部調査で私の電話に対応された方の言い分を鵜呑みにして、私の「ブログ記事は事実ではないことを書かれた」と断定される以上。官公庁をはじめ学校などの公的機関に生じた不祥事に対する身内の内部調査に対して、読売新聞が厳しい批判をしてきたこと自体が間違っていたと「反省」されての上での、私に対する非難であったと私は受け止めざるを得ない。
なお私自身も反省すべき点はある。問題の電話の相手があまりにもすいすい私の考えや主張に同意されたので、調子に乗りすぎたと言うか図に乗りすぎたと言うべきか、「記者として失格ですね」とまで同意を求めるような言い方はすべきではなかったと思っている。せいぜい「担当記者にオスプレイ問題についての突っ込みが不十分だという読者からの指摘があったと伝えてください」くらいにとどめるべきだったと思っている。
もうブログ記事の文字数の限界になってしまった。というより限界をはるかに超えてしまったので、あまり重要でない部分は相当カットした。そういう作業にかなり手間取ったが、何とか制限内の文字数に収めることができた。今書きかけの原発問題を中断しての作業だった。原発問題についての問題提起は数日中に書き上げ投稿する予定であるが、読者諸氏も、もし原発「0」にしたら日本人の生活や日本の経済、特に日本のナショナル・アイデンティティと言えるハイテク産業はどうなるかを考えておいてほしい。