すっかり秋の気配を感じる今日この頃。「夏の旅エッセイ」も今回が最終回です。
2004年の夏の終わり、中国地方~福岡佐賀を旅した。呉、佐賀、宇部、津山と四泊五日の旅だった。
初日の昼下がり、快晴の姫路を歩いた私は夕方、広島県へとやってきた。広島は曇り空であった。
糸崎という古びた長いホームを持つ駅で呉線の各駅停車に乗り換え、海が見える進行方向左側の席に座った。空は陽がとうに傾き、鮮やかな青色に染まっている。水色ではなく青色だ。車窓から見える瀬戸内海はその青色を映しだし、その海面には大小様々な形の島々が浮かぶ。その手前にはややくたびれた大型クレーンがそびえる造船所や、屋根の錆びた港湾施設が建つ。更に手前には、「昭和」の香りが色濃く残る街並みが点在する。
私は真っ直ぐ呉には行かず、どこかの駅で途中下車しようと思い立ち、仁方(にかた)という駅で降りた。かつて、ここ仁方から愛媛県の堀江という所までを国鉄の連絡船が結んでいたという。
こぢんまりとした駅を出て、いかにも埠頭の近くといった風情の場所に真っ直ぐ延びた駅前の道を10分ほど歩くと、仁方港に着いた。連絡船はもうないけれど、瀬戸内海をゆくフェリーが出ている港には、小さな待合所があった。海の近くまで迫る山々に遮られてすでに空は夜の準備を始め、青色から紺色へと変わり始めている。私は持参のAPSフィルムコンパクトカメラ「ミノルタ ベクティス2000」を構え、海を撮り始めた。すると、突然フィルムが巻き戻されてしまった。仕方がないので、用意していたデジカメ「ミノルタ ディマージュXi」で撮り直し、駅へと戻る。
仁方からは呉線で16分で呉に着いた。呉はかつて、戦艦大和などを造っていた実績もある造船の町。中規模の駅前ロータリーに、駅前の百貨店。交通量がなかなか多い駅前通りを歩き、本日の宿泊地である街中の温泉ホテルを目指す。しかし、街中にあるが故に、場所がわかりにくく、聞いて回る事になった。一軒目の酒屋は、元東京パフォーマンスドールの米光美保(広島県出身)に似た店員のお姉さんが広島の言葉全開で、親切に店の外まで出て方向を教えてくれた。二軒目、ホテル近くのガソリンスタンドのお兄さん達は、みんなで道順を考えてくれた。呉はいい町の予感。
ホテルに荷物を置いた私は、ひそかに呉名物である屋台を目指して出かけた。呉は市の協力で屋台に水道を通していて、店のジャンルも和洋中エスニックと様々な店が並んでいる。どの店に入るか悩んだあげく、気さくな雰囲気の主人のいるラーメン屋に入って「テールラーメン」というのを食べた。美味だった。
夜の呉は港町だけあって飲み屋が目につく。川沿いには、屋形船風に川を眺めながら飲める店があったり、色々な店が建ち並んでいる。その中から、一軒の地鶏屋が気になって入ってみた。
その店は、小さな店内に所狭しとテーブルの並んだ店で、元気な主人と店員の人達の活気で明るい店だった。壁には軽く百を超える焼酎の瓶が並んでいる。
地鶏盛り合わせを頼むと、店員のお姉さんは親切に、タレの味わい方を教えてくれた。味は大変美味で、幸せな気分になって店をあとにした。夜風が心地よい呉の夏の夜。いい町だと思った。
翌日、九州入りした私は夜、佐賀県の鳥栖でサッカーJ2リーグの試合、サガン鳥栖対アビスパ福岡の試合を観た。いわゆる九州ダービーマッチ(同一地域対決)に、ホームの鳥栖のサポーターも燃えているが、アウェー福岡も、博多から電車で30分ほどで着く鳥栖だけに、大勢のサポーターが紺色のチームシャツを着て乗り込んできていた。
意地を賭けた一戦を前に鳥栖のサポーターは、スタンドにピンク(鳥栖のチームカラーは、ブルーとピンク)のサイリウムを配って盛り上げた。サイリウム祭をやるのは、ハロプロのヲタだけではないのだなと妙な事に感心しながら彼らを見ると、着ていたブルーのオリジナル鳥栖Tシャツの袖には「正直 田舎モン」と縫い込まれていた。
選手入場の際、ピンクのサイリウムが、(アウェー福岡の居る場所を除いた)スタンドで一斉点灯された。試合は、そんな鳥栖サポーターの「都会福岡」に対する意地が選手に伝わったかのような激しい試合で、鳥栖が1-0で粘り勝ちした。10,000人を超すJ2としては大観衆となるスタンドは熱気に包まれ、試合後は鳥栖サポーター達の歌う「翼をください」がスタジアムの屋根に大きくこだました。
おじさんも、お姉さんも、お母さんも、男の子も、女子高生も、おじいさんも、佐賀の人達は胸を張って選手に拍手を送った。聞けば、鳥栖が福岡に勝ったのは、久しぶりの事だという事だった。
今回のBGM 浪漫 ~MY DEAR BOY~ / モーニング娘。