随分前の事になるが、関西の旅を初めてした時の事。
早朝、大阪行き夜行バスから降りた私は人影もまだまばらな阪神梅田駅へと向かった。初めて乗った関西の私鉄は阪神電車の各駅停車だった。
ジェットコースターとまではいかないが、その加速は初めてゴーカートに乗った時の事を思い出した。隣の駅までが近いため、勢いよく加速して瞬く間もなくブレーキがかかり駅に着く。その乗り味は私の地元を走っている赤い電車に似ていたが、乗り味だけでなく駅前から続く細い商店街、焼鳥屋の建ち並ぶ線路沿い。風景もなんとなく似ていた。
芦屋に差しかかる頃、前方右手に六甲山地が見えてきた。その整った山並みに息を飲んだ。都会の風景にこのような山の風景が重なる事に、新鮮さを感じたものだった。
その山々の中に入っていきたくなった私は、新開地という神戸市内の地下駅から、神戸電鉄という六甲を縦に貫いて走る電車に乗った。乗り換えて10分も乗ったかどうかで山間の無人駅へと降り立った。菊水山という名のその駅は神戸市内とは思えないほど静かで、しかも駅の周りに人家などは皆無であった。勿論降りたのは自分だけだった。
今からちょうど十年前に、私は神戸でサッカーを観た。スタジアムへと行く途中、私はあえて神戸へのルートを阪神電車にした。
大阪~神戸の間には海側から阪神、JR、阪急と三社の電車が走っている。阪急は山の手で阪神は下町。阪急の駅には花屋やケーキ屋があり、新幹線のホームによくあるような空調付きの待合室があったりする。
私は阪神電車に乗りながら車窓風景に思考回路を乱された。ねじ曲がるように崩れた阪神高速道路、仮設住宅の並ぶ公園。地下鉄に乗り換えるために降りた三宮では、変わり果てた阪急三宮駅の姿があった。ひび割れの残る歩道、プレハブの商店。だが、人々はその八ヶ月前以前までと同じように、会社学校からの帰路を急ぎ、商店の店頭は活気のある声が響き、そして私も周りの何割かの乗客も地下鉄に乗ってサッカーを観に行く。
神戸にプロサッカーチームを!という声に後押しされて「ヴィッセル神戸」が誕生したのは1995年の事であった。スタートとなるチーム練習初日が1月17日であった。そして、その日神戸を襲った出来事をきっかけにメインスポンサーの大手スーパーが経営から手を引き、チームカラーのオレンジはそのスーパーの色だから白紙に戻され、牛を連想する黒白の縦縞になった。
その出来てまだ八ヶ月のチームを観に私は、ホームスタジアムの神戸ユニバー競技場へと足を運んだのだった。隣の野球場はイチローブームの真っ只中であった。
対戦相手は富士通サッカー部(現・川崎フロンターレ)。試合はスイス代表の経験もあるトーマス・ビッケルの、自らの誕生日を祝うゴールで神戸が勝った。このスタジアムまでに辿り着く道中で見てきた風景などまるで別世界であるかのように、淡いカクテル光線に包まれたスタジアムは普通すぎるほどにありふれたサッカー場の風景を見せていた。
その試合から十年。ヴィッセル神戸はネット通販大手の会社がメインスポンサーに就き、ユニフォームの色も黒白の縦縞から、その会社の社長の出身大学の色だとかいうえんじ色のような色に変わった。その会社が運営するプロ野球チームと同じ色である。そして、チームのマークから創立年「1995」の文字は消えた。
そのヴィッセル神戸は今J1で最下位だ。このままだと来年はJ2に降格である。阪神タイガースの優勝を伝えるニュースを横目に、ふと久しぶりに神戸の街を歩きたくなった。北野坂、南京町、ハーバーランド、そういった観光地ではない場所をあてもなく歩いてみたい。夜はヴィッセル神戸の試合を観に行こう。神戸に行くのは来年になるだろうが、ヴィッセルはその頃J1だろうか?それともJ2にいるのだろうか?でも、山と海が折り重なる神戸の街の優しくも活気ある風景は変わらない。
今日のBGM:マイ・セレナーデ/平松愛理(神戸出身)
早朝、大阪行き夜行バスから降りた私は人影もまだまばらな阪神梅田駅へと向かった。初めて乗った関西の私鉄は阪神電車の各駅停車だった。
ジェットコースターとまではいかないが、その加速は初めてゴーカートに乗った時の事を思い出した。隣の駅までが近いため、勢いよく加速して瞬く間もなくブレーキがかかり駅に着く。その乗り味は私の地元を走っている赤い電車に似ていたが、乗り味だけでなく駅前から続く細い商店街、焼鳥屋の建ち並ぶ線路沿い。風景もなんとなく似ていた。
芦屋に差しかかる頃、前方右手に六甲山地が見えてきた。その整った山並みに息を飲んだ。都会の風景にこのような山の風景が重なる事に、新鮮さを感じたものだった。
その山々の中に入っていきたくなった私は、新開地という神戸市内の地下駅から、神戸電鉄という六甲を縦に貫いて走る電車に乗った。乗り換えて10分も乗ったかどうかで山間の無人駅へと降り立った。菊水山という名のその駅は神戸市内とは思えないほど静かで、しかも駅の周りに人家などは皆無であった。勿論降りたのは自分だけだった。
今からちょうど十年前に、私は神戸でサッカーを観た。スタジアムへと行く途中、私はあえて神戸へのルートを阪神電車にした。
大阪~神戸の間には海側から阪神、JR、阪急と三社の電車が走っている。阪急は山の手で阪神は下町。阪急の駅には花屋やケーキ屋があり、新幹線のホームによくあるような空調付きの待合室があったりする。
私は阪神電車に乗りながら車窓風景に思考回路を乱された。ねじ曲がるように崩れた阪神高速道路、仮設住宅の並ぶ公園。地下鉄に乗り換えるために降りた三宮では、変わり果てた阪急三宮駅の姿があった。ひび割れの残る歩道、プレハブの商店。だが、人々はその八ヶ月前以前までと同じように、会社学校からの帰路を急ぎ、商店の店頭は活気のある声が響き、そして私も周りの何割かの乗客も地下鉄に乗ってサッカーを観に行く。
神戸にプロサッカーチームを!という声に後押しされて「ヴィッセル神戸」が誕生したのは1995年の事であった。スタートとなるチーム練習初日が1月17日であった。そして、その日神戸を襲った出来事をきっかけにメインスポンサーの大手スーパーが経営から手を引き、チームカラーのオレンジはそのスーパーの色だから白紙に戻され、牛を連想する黒白の縦縞になった。
その出来てまだ八ヶ月のチームを観に私は、ホームスタジアムの神戸ユニバー競技場へと足を運んだのだった。隣の野球場はイチローブームの真っ只中であった。
対戦相手は富士通サッカー部(現・川崎フロンターレ)。試合はスイス代表の経験もあるトーマス・ビッケルの、自らの誕生日を祝うゴールで神戸が勝った。このスタジアムまでに辿り着く道中で見てきた風景などまるで別世界であるかのように、淡いカクテル光線に包まれたスタジアムは普通すぎるほどにありふれたサッカー場の風景を見せていた。
その試合から十年。ヴィッセル神戸はネット通販大手の会社がメインスポンサーに就き、ユニフォームの色も黒白の縦縞から、その会社の社長の出身大学の色だとかいうえんじ色のような色に変わった。その会社が運営するプロ野球チームと同じ色である。そして、チームのマークから創立年「1995」の文字は消えた。
そのヴィッセル神戸は今J1で最下位だ。このままだと来年はJ2に降格である。阪神タイガースの優勝を伝えるニュースを横目に、ふと久しぶりに神戸の街を歩きたくなった。北野坂、南京町、ハーバーランド、そういった観光地ではない場所をあてもなく歩いてみたい。夜はヴィッセル神戸の試合を観に行こう。神戸に行くのは来年になるだろうが、ヴィッセルはその頃J1だろうか?それともJ2にいるのだろうか?でも、山と海が折り重なる神戸の街の優しくも活気ある風景は変わらない。
今日のBGM:マイ・セレナーデ/平松愛理(神戸出身)
菊水山には、その後友人とも行ったので計二回行きました。ああいう駅を秘境駅と呼ぶ事は当時は知りませんでしたが、本当に周りには人家がない駅でした。関西はああいう山間を走る通勤線がいくつかあるのが羨ましいです。
ちなみに今、菊水山駅は営業停止中で営業再開のめどは、全く立っていないようです。
よほど利用者がいないというか、なにもないというかといった具合です。