tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

終戦そして苦難の茶杓「円能斎」は・・・

2013-08-15 18:29:37 | 道具は語る
8月15日(木)終戦記念日
今日も暑い暑い一日でしたが、68回目の終戦記念日です。

戦争を知らない世代のひとりですが、戦争の悲惨さは映画やテレビ、そして読み物等で知っております。
何と無謀な事をしたのか・・・そして、犠牲になり苦しむのは、いつの世もそこに生活している人々です。

今日は、そんな終戦にちなんだ道具の事を書いて見ようと思っております。



円能斎作

裏千家のお茶を習っている方であれば、写真を見ただけで円能斎の茶杓だと、直ぐにお分かりだと思います。

この茶杓には、映画やドラマのような物語がありました。

朝鮮で料亭を営み生活をしていた父母が敗戦となった時、たくさんあった道具や着物などは、進駐して来たロシア軍にほとんど没収されてしまったそうですが、わずかに隠し持っていた物を売って飢えをしのぎながら、やっとの思いで日本に辿りついたそうです。

そんな中でも、最期まで手放さず懐深く偲ばせて朝鮮から持ち帰った茶杓が、円能斎の茶杓です。



特攻隊員の記

父母は大きな料亭をしていたため、終戦が近くなるにつれ特攻の出陣をする若者が多くなり、その前日には料亭に来て飲んで食べて出陣していったそうです。

普段は、料亭などに来る事は無い若者ですから、「ああ、この人も明日出撃だな」と解るそうで、食事の終わったあとで、この円能斎の茶杓でお抹茶を入れてお茶を飲んでいただいたそうです。

母はポツリと言いました。「何人の若者が、お茶を飲んで出陣していった事か・・・」

箱に書かれた「茶心是仏心」・・・特攻隊の最期の記録だそうで、出撃の前夜、いつものように食べて飲んで、そしてお抹茶を飲んだあとに、箱の蓋に「茶心是仏心」と書いて出撃していったそうです。

そんな思いの詰まった茶杓ですが、あるべき茶杓を保護をするための筒はありません。
茶杓はむき出しで懐に入れ、箱は別のところに入れて持ってきたそうです。
一緒にして置くと、一緒に無くなってしまいますから・・・



この茶杓も、母の懐に忍ばせて日本に持ち帰り68年になります。

今では穏やかな平和の中でお茶会や、自宅でのお茶事の時に使っております。

平和のありがたさをしみじみと実感し、そして、母に感謝をしながら・・・



コメント (5)
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