さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

60年前 子供の遊びいろいろ(5)

2018-03-20 | 日記
仲良しのときも



いさかうときも



負けん気いっぱいに闘うときも



昭和の子らは精一杯に生きていました。


60年前の写真ですちょっと色あせてセピア色に変わっています
この子たちの今は髪も少し薄くなってお孫さんもいるおじさんになっているはずなんです。人生長いようで短いなと思う私です。

60年前 子供の遊びいろいろ(4)

2018-03-19 | 日記
この写真は子供を撮った写真じゃありませんけど懐かしい思い出の写真ですので取上げてみました。
残雪の残る四月集落をあげての作業「肥引き(こえひき)」です 
 


写真は[写真アルバム昭和の会津]からお借りしました


当時私の住んでいた集落小川の農家の水田は一戸当たり約7反前後だったとように思います。金肥の少ない時代でしたからその水田の肥料は馬肥の堆肥が重要でした。

水田はそれぞれの農家から600mから700mくらい離れた場所にありました。そこに馬肥の堆肥を運ぶのは大変な作業だったのです。

春四月、広い水田地帯には残雪が1m近くもあり入り組んだ水田地帯は一面の雪原でした。毎年集落では寄り合って大きな橇に堆肥を積んで自分の水田に運ぶ日を決め肥引き作業をしたのです。自然と雪原には往復二筋の橇道が出来その橇道を堆肥をいっぱい積んだ橇を引く人が行き交うのです。肥引きの日は数日続きました。

苦しい作業でした。でも集落をあげての作業ですからどこかお祭りめいた雰囲気もありあました。一年の農作業初めの予祝みたいな明るさもあったのです。

苦しい労働の肥引きです。それを支えるためにそれぞれの家では「こびる」(休憩時の食事)には贅を尽くしたご馳走をつくりました。

また若者たちにとっては別な楽しみもありました。橇を引きながら意中の人と行き交い気兼ねなく声をかけ笑顔を交わしあったら肥引きの疲れなど吹き飛んで明日の肥引きが楽しみなったでしょうし、

そうです、肥引きは苦しい作業でしたけど華やかな一年の農作業始めの余祝行事でもあったんです。

60年前 子らの遊びいろいろありました(3)

2018-03-18 | 日記
嬉しそに子供が箱橇押してます



遠い昔、雪国の子供のいる家にはみんなこの箱橇がありました。今の子供たちがみんなきれいな変速機つきの自転車を持って楽しんでいるように、遠い昔の雪国の子供たちはみんなこの箱橇をとても大事にして楽しんでいたんです。

小さな子供用の橇は村の橇つくり職人さんの家に頼んで作ってもらいます。その橇にどこかのお店から商品の空箱をもらってきて小さな子供用の橇につけるのです。これを箱橇と言っていました。

幼い兄が弟を箱橇に乗せて雪の道を引いて遊んだり、親に頼まれてお店から買った品物を箱橇に積んで運んだりしていたのです。


豪雪地帯の奥会津只見では4月になっても中旬頃までは残雪が1m近く残っていたんです。その雪は堅くしまっていて朝の10時頃までは凍っていてぬからずに自由に歩くことが出来るんです。堅雪(かたゆき)渡りといいました。堅雪渡りは子供たちにとって広い雪原を自由に歩き回ることの出来る遊びですからとても楽しい遊びでした。子供たちみんなで箱橇を山の斜面に持っていって変わりばんこに斜面を滑って遊ぶのです。



箱橇は遠い日の雪国の子供にとってはとてもとても大事な遊び道具だったんです。

60年前 子らの遊びいろいろありました(2)

2018-03-17 | 日記
雪国の子が楽しい笑顔見せてます



昭和33年2月と記録してありました。昭和33年は1958年今からちょうど60年前になります。60年前頃の豪雪地帯の奥会津只見地方は毎年2m前後の雪が降り積もっていました。それでも雪国の子たちは家の中などに閉じこもってなどいませんでした、子供たちは寄り集まっては雪遊びを楽しんでいたんです。大きな雪のかたまりを投げつけあって遊んでいたんでしょうね、服に雪がついて真っ白です。

わたしはこの写真を撮った日は奥会津只見の人たちが驚天動地した日だったように思えるんです。

その頃の奥会津只見地方の冬の道は深い雪に閉ざされ車はもちろん馬橇さえ通らぬ雪原の中の細い一本道でした。その道の処々の片側に人一人が避けることが出来るよう踏み固めた場所がありました。雪の一本道を通る時の暗黙のルールがありました。それは二人が向かい合ってあるってきて出合ったとき、その避ける場所に近いほうの人がその場所に避けて待つというルールです。それは誰かが決めたものではなくてごく自然認めあっていて、たとえどんな偉い人でもそれにしたがっているルールでした。

豪雪地帯の奥会津の道は遠い昔から「12月から4月までの5ヶ月間」は雪原に踏み固められて出来た人一人が通れる細い道だったのです。

この写真を見るとまだ雪深い2月というに道が除雪されていることが分かります。しかも除雪されて間もないと見えてよく見るとキャタビラの跡があります。除雪された道は狭くて車は通れそうには見えません。これは小型ブルドーザーが試験的に除雪しながら通った跡だと思います。これは当時の人にとっては歴史的な驚天動地の出きごとでした。

私もかすかな記憶があります。田島方面から駒止峠を越えて颯爽とした技師二人が小さなブルドーザーを運転して集落の中の道を除雪しながら通りすぎて行ったんです。ほんとに見事なものだと感動したんです。

今は国道になったこの道はどんな大雪のときでも大型の除雪車が何台も除雪して通り車の通行が閉じられたことなどないのを思うと隔世の感があります。