とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

無事でいて欲しい

2011-05-03 06:47:19 | 日記
無事でいて欲しい



 実は震災後私がずっと探している人がいた。
 その人(男性)とは島根県の西部の出身で今東北に住んでおられる。若い頃親しくしていたが、何十年も会ったことがなかった。その間年賀状の遣り取りで近況を知らせあっていた。私より数年若かった。
 東日本の太平洋側の海岸に近い町が巨大津波に襲われたニュースを見ていて、私は、確かあの町は海岸に近いところだ、もしや・・・、そういう思いが急に湧きあがって来て、心穏やかでなかった。すぐ電話しよう。そう思ったが、番号が分からない。(いや、番号が分かっていてかけても恐らく通じなかっただろう)
 やむなく私はネット情報で調べ始めた。グーグルの地図で確かめ、かなり海岸に近い地点だと分かり、不安な気持ちが増大してきた。死者、行方不明者の数が日増しに増えてきた。次に避難所の情報を検索した。伝言板も調べた。どこにも名前を見出すことは出来なかった。役場もまだ機能していなかった。私の焦りの気持ちは日増しに増幅して言った。
 日が経つにつれ、テレビ取材の範囲が広がっていった。テレビを見ながら、あの人が映っていないか注視していた。どこの避難所にも映像としては見つけることができなかった。
 そうこうしているうちに1カ月の時間がまたたくまに過ぎてしまった。亡くなったかも知れない。私は新聞の死亡者の記事を毎日見ていた。ない。もしかして流されて行方が分からないのでは。私は、そういう風に悪いほうにばかり考えていた。
 幹線道路も復旧した。鉄道も復旧した。そうだ、葉書を出してみよう!! 私は最後の手段に万感の思いをこめて短い手紙を書いた。「・・・無事でいることを祈っています」。
 昨日のことである。電話がかかった。妻が出た。○○さんから電話!! 私は慌てて受話器をとった。
 「そう、無事だったの!! よかった、よかった !!」
 私は元気そうな声を聞いて、体が震えるほど喜んだ。
 「津波は近くまできたんですが、ぎりぎり助かりました。地震で少し家が壊れたんですが、何とか住んでいます」
 私は、そうか、そうか、よかった、よかった、と繰り返して叫ぶように言った。
 「でも娘の嫁ぎ先が津波でやられました」
 私はまた不安がこみあげてきた。
 「で、家族の方は、・・・」
 「不幸中の幸いで助かりました」
 「そりゃよかった!!」
 私はほっとした。
 かくして、私は今気持ち的には少し楽になった。しかし、この度の震災の犠牲者、今もいろいろなことで苦しんでおられるお方のことを思うと、また、複雑極まりない気持ちになってきたのである。


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