事実は小説より奇なり
小説、いや、小説らしきものを長年書いてきた私ですが、ほんとに現実は遥かに小説を超えています。これは正直な実感で、今小説を書くことの意味を自身に問いかけています。大学でも文学部なるものの存在価値が云々されています。
震災の悲惨さ、犠牲者・被災者の現実、被災地の苦悩、政治・行政の苦悩、復旧・復興の困難さ・・・等々。これを小説に書けといわれると私は逡巡します。とても書けません。小説は無力です。大きく文学は無力です。こういう現実だからこそ人々は言葉を求めているとか言うお方もおられます。でも、今は全く書けないと思います。今後、何年か経てば書こうという意欲を持ったお方が出てくると思います。しかし、今はダメです。だから私はこういう現実のできるだけ明るい部面を書きつづけたいと思ってこうして書いているのです。
今となると、非被災者の関心が少しずつ薄れてきつつあるのではと思います。義捐金のぺースがややダウンしてきています。ボランティアの数も少しずつ減りつつあります。
そうです。こういう時期が恐ろしいのであります。忘却への入り口にさしかかっています。今、あの衝撃的な天災、阪神淡路大震災のことでさえもう頭からほとんど消え去りつつあります。こういう時期だからこそ私は書き続けていきたいと思います。
次の資料は現地のニーズが何に集中しているかがよく分かります。
地域の声分析レポート
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今となると、非被災者の関心が少しずつ薄れてきつつあるのではと思います。義捐金のぺースがややダウンしてきています。ボランティアの数も少しずつ減りつつあります。
そうです。こういう時期が恐ろしいのであります。忘却への入り口にさしかかっています。今、あの衝撃的な天災、阪神淡路大震災のことでさえもう頭からほとんど消え去りつつあります。こういう時期だからこそ私は書き続けていきたいと思います。
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