さおりん引退。お疲れさまでした。AKIRAはずっと応援していましたよ。
少しばかりバレーと関わってきたので、しかもあの東京オリンピックの感激もあったので、女子バレーを応援し続けていましたよ。古賀選手がさおりんの望みをつないでくれると思いますが、まだまだ経験不足。・・・しかし、やってくれると信じます。
ああそうでした。SYOWAじゃないですね。ごめんなさい。
【ついに現役引退】木村沙織の最後の戦い2017年3月5日
木村 沙織(きむら さおり、1986年8月19日 - )は、日本のプロバレーボール選手。日本バレーボール協会アスリート委員会委員。
ニックネームはサオリ。マネジメント契約先はスポーツビズ。実妹の木村美里もバレーボール選手。
高校時代
2002年、バレーの名門として知られる成徳学園高校(現・下北沢成徳高等学校)に進学。高校2年生になるとライトで主力選手となり、2003年春高バレーで優勝を収め、成徳の2連覇に貢献した。同年8月開催のインターハイは3位に終わり連覇を逃したが、インターハイ閉幕と同時に全日本代表から強化合宿に招集され、同年9月のアジア選手権に出場。当初はセッター登録であった。そして11月開催のワールドカップに故障の鈴木洋美の代役として出場した。
12月の全国私学大会で下北沢成徳高は大会初の3連覇を達成。2004年春高バレーでは大会3連覇を目指し決勝に進出したが、第1セット、スパイクを決めた直後に味方選手である横山友美佳と接触し転倒、右足首を捻挫。応急処置を施したのちに足を引きずりながらプレーを続行したが、結局九州文化学園に1-3で敗戦し準優勝であった。
2004年アテネオリンピック最終予選で再度全日本代表に招集され、初戦のイタリア戦で代表初スタメン出場を果たし、14得点をマークすると共に持ち前の性格とあどけない笑顔で「スーパー女子高生」の呼び名でブレイクした。全日本女子チーム2大会ぶりのオリンピック出場に大きく貢献した。
2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された[3]。準々決勝の対中国戦では江畑幸子と共にチーム最多の33得点を叩き出す活躍で、これまでの五輪で1セットも取る事が出来なかった相手にフルセットの激戦の末勝利を収めた。3位決定戦で韓国をストレートで破り、日本女子バレーボール代表28年ぶりの銅メダル獲得の立役者となった。中心選手として全試合にフル出場し、北京オリンピックに引き続き日本人ベストスコアラーとなった。全体でもベストスコアラー部門3位にランクインし、ベストスパイカー12位、ベストレシーバー12位、ベストディガー部門で8位だった。(Wikiより)
少しばかりバレーと関わってきたので、しかもあの東京オリンピックの感激もあったので、女子バレーを応援し続けていましたよ。古賀選手がさおりんの望みをつないでくれると思いますが、まだまだ経験不足。・・・しかし、やってくれると信じます。
ああそうでした。SYOWAじゃないですね。ごめんなさい。
【ついに現役引退】木村沙織の最後の戦い2017年3月5日
木村 沙織(きむら さおり、1986年8月19日 - )は、日本のプロバレーボール選手。日本バレーボール協会アスリート委員会委員。
ニックネームはサオリ。マネジメント契約先はスポーツビズ。実妹の木村美里もバレーボール選手。
高校時代
2002年、バレーの名門として知られる成徳学園高校(現・下北沢成徳高等学校)に進学。高校2年生になるとライトで主力選手となり、2003年春高バレーで優勝を収め、成徳の2連覇に貢献した。同年8月開催のインターハイは3位に終わり連覇を逃したが、インターハイ閉幕と同時に全日本代表から強化合宿に招集され、同年9月のアジア選手権に出場。当初はセッター登録であった。そして11月開催のワールドカップに故障の鈴木洋美の代役として出場した。
12月の全国私学大会で下北沢成徳高は大会初の3連覇を達成。2004年春高バレーでは大会3連覇を目指し決勝に進出したが、第1セット、スパイクを決めた直後に味方選手である横山友美佳と接触し転倒、右足首を捻挫。応急処置を施したのちに足を引きずりながらプレーを続行したが、結局九州文化学園に1-3で敗戦し準優勝であった。
2004年アテネオリンピック最終予選で再度全日本代表に招集され、初戦のイタリア戦で代表初スタメン出場を果たし、14得点をマークすると共に持ち前の性格とあどけない笑顔で「スーパー女子高生」の呼び名でブレイクした。全日本女子チーム2大会ぶりのオリンピック出場に大きく貢献した。
2012年6月、ロンドンオリンピックの代表メンバーに選出された[3]。準々決勝の対中国戦では江畑幸子と共にチーム最多の33得点を叩き出す活躍で、これまでの五輪で1セットも取る事が出来なかった相手にフルセットの激戦の末勝利を収めた。3位決定戦で韓国をストレートで破り、日本女子バレーボール代表28年ぶりの銅メダル獲得の立役者となった。中心選手として全試合にフル出場し、北京オリンピックに引き続き日本人ベストスコアラーとなった。全体でもベストスコアラー部門3位にランクインし、ベストスパイカー12位、ベストレシーバー12位、ベストディガー部門で8位だった。(Wikiより)