とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 232 三田明=美しい十代=

2017-10-08 07:40:32 | 日記
三田明を思い出すとすっと素直になる。何故だろうか。「ごめんねチコちゃん」の唄を下宿で口遊みながら自然に涙が出てきたこともありました。下記の三島由紀夫の発言も素直に理解できました。不思議な魅力の持ち主だと思います。ここには出ていませんが、和泉雅子の演技力にも私は注目していました。

三田明=美しい十代=


三田 明(みた あきら、1947年6月14日 - )は、日本の演歌歌手、俳優。東京都出身。本名・辻川 潮(つじかわ うしお)。太陽企画所属。
清純な風貌と美声で1960年代を中心にヒットを飛ばした。また、『長七郎江戸日記』など時代劇を中心に俳優としても活動している。

1962年、日本テレビ系のオーディション番組『味の素ホイホイ・ミュージック・スクール』で作曲家・吉田正に認められ、芸能界入り。翌1963年に『美しい十代』で日本ビクターから歌手デビューするとともに、さらに翌1964年には同名の映画で映画初主演。同曲は、往時を知る多くの者達に歌い継がれている青春歌謡であり、代表曲である。
御三家(橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦)に比べると後発のイメージがあるが、全国歌謡ベストテンでは10曲以上の1位をもつなど御三家以上に大健闘した。また当時、この3人に彼を加え「四天王」とも呼ばれた。

1964年から1969年まで6年連続で紅白歌合戦に出場。三島由紀夫は三田のファンであり、昭和天皇について「彼にはエロティシズムを感じない、あんな老人のために死ぬわけにはいかない」とこき下ろした一方、「三田明が天皇だったらいつでも死ぬ」と発言したことがあったという。

1971年に所属事務所である東洋企画が倒産、マネージャーが勝手に三田名義で多額の借金を作り失踪、その返済の為に日本全国への巡業を余儀なくされる。
1972年11月に発生した日本航空351便ハイジャック事件に乗客として、江利チエミらと共に遭遇している。事件発生中に三田は熟睡中で、事件のことを語れず、マスコミから「スチュワーデスと付き合いたい」と、事実無根のことを書かれる。
1970年代、三田を支えていたものとして、バラエティ番組での活躍が挙げられる。もともと「ものまね上手」で知られた三田は自身のショーにも「ものまねコーナー」を作っていたほどだったので、NETテレビの『象印スターものまね大合戦』など、当時全盛の「スターが他のスターの物真似をする番組」では、五木ひろし、森昌子らとともに大賞の常連だった。

1979年12月、自宅火災で顔面に大火傷を負う。
1985年、結婚。
2001年、萬成プライムキャピタル証券(現・ばんせい証券)のCMに平安貴族のスタイルで出演。
2004年、第46回日本レコード大賞功労賞を受賞。
2012年10月10日にデビュー50周年を迎えた。
妹の夫は元プロ野球選手で、現:福岡ソフトバンクホークス二軍バッテリーコーチの森浩之。(Wikiより)