とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」697 モンテカルロで乾杯 庄野真代

2020-11-02 16:31:02 | 日記
関連して思い出した曲です。「飛んでイスタンブール」とともにヒットしました。今は国際貢献もなさっているとか。どうか末永くご活躍ください。・・・こういう曲、ほんとに聞かれなくなったですね。

モンテカルロで乾杯 庄野真代



庄野 真代(しょうの まよ、1954年12月23日 - )は、日本の歌手・作詞家・作曲家(シンガーソングライター)である。本名、庄野 眞代(読み同じ)。大阪府大阪市西淀川区出身。ルフラン所属。NPO法人国境なき楽団理事(現代表)。血液型B型。


来歴

少女時代は病弱な少女で、オルガン教室に通うなどしていた。小学校高学年から活発になり、中学時代は生徒会活動に没頭。大阪府立東淀川高等学校への入学と同時に演奏活動を始め、以後はオーディションへの参加に明け暮れていた。大学受験に失敗して浪人することになった後も音楽活動を続け、ヤマハボーカルオーディションに合格。合歓音楽院にて研修を受けることになった。

音楽活動をやめることを考えていた20歳のときに、最後に何か音楽活動の証になることをしようと思って「フォーク音楽祭」に参加したところ、予選を次々と突破。関西四国決勝大会でグランプリを獲得し、全国大会にてスカウトされた。1976年、コロムビアからデビューLP「あとりえ」が発売され、都会派ニューミュージックの歌手として注目されるようになる。2年後の1978年には代表曲「飛んでイスタンブール」が大ヒットとなり、同年大晦日の『第20回日本レコード大賞』中山晋平賞(のち作曲賞)を受賞、及び『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たした。ほか庄野のヒット曲には、1978年の「モンテカルロで乾杯」「マスカレード」、1980年の「Hey Lady 優しくなれるかい」などがある。

1980年には世界一周の旅に出て、1年間で28か国を渡り歩いた。歌手活動のほか、講演・司会・リポーターなどを務め、ミュージカルやテレビドラマに出演するなど精力的に活動した。1991年にはシンガポール・マレーシア・香港でCDデビューし、アジアでの活動を開始した。

2000年、法政大学人間環境学部に入学。1年間の英国留学などを経て2004年に卒業。同年9月、早稲田大学大学院アジア太平洋研究科国際関係研究科に入学。

2002年、中森明菜が庄野の楽曲「Adieu 〜アデュー」をカバーした。庄野は中森の8枚目のシングルにあたる「サザン・ウインド」のB面曲「夢遙か」の作詞も手掛けている。

2006年、かねて続けていた音楽を通したボランティア活動を組織化して、NPO法人国境なき楽団を設立。フィリピンで楽器支援活動。独立行政法人JICAのプログラム「世界の笑顔のために」に参加。以降、継続参加中。

2007年、マレーシアでの障がい児施設支援・交流コンサート。

2008年、トルコ国内で、障がい者施設支援チャリティコンサートツアー。

2009年、インドネシア、ケニアで施設交流コンサート。

2010年、第22回参議院議員通常選挙に民主党から比例区で立候補した。しかし、結果は落選に終わった。 ベトナムで交流コンサート。

2011年、カンボジアで楽器支援活動。東日本大震災チャリティコンサート「SHARING」をスタート。

2013年、タイ王国で楽器支援活動。孤児施設支援コンサート。スリランカ南部・北部で、国際NGO Music Projectとの協働による音楽教育支援活動。

2014年、法政大学人間環境学部 非常勤講師として、特論「アーチストと社会貢献」を担当。

2015年、ミャンマーで楽器支援活動。叶高(サーカス)、坂本洋らとベルボトムズを結成。タイ王国第10回ラグーナ・プーケット国際マラソン大会で部門3位入賞。

2016年、ネパールで楽器支援活動。4月より、法政大学人間環境学部 講師。タイ王国第13回コーンケーン国際マラソン大会で部門5位入賞。

私生活では1977年に作曲家の小泉まさみと結婚し、2女を儲けたが、小泉とは後に離婚している。

同時期デビューの渡辺真知子、叶正子(サーカス)とは友人関係にあり共演する事も多い。(「Wikipedia」より)