とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 71 リンゴの唄~映画『そよかぜ』より

2017-01-07 23:35:55 | 日記
リンゴの唄~映画『そよかぜ』より


戦後の社会を明るくした唄です。

並木 路子(なみき みちこ、1921年(大正10年)9月30日 - 2001年(平成13年)4月7日)


(Wikiより)

本名は南郷 庸子(なんごう つねこ(旧姓:小林))。東京浅草出身、台湾育ち。
松竹歌劇団の娘役スターとして、戦前から戦中戦後と活躍。戦後の混乱期に主演した松竹映画「そよかぜ」の挿入歌として歌った「リンゴの唄」が爆発的なヒットとなり、日本の代表的歌手と評されている。「リンゴの唄」は、歌謡史のみならず日本の歴史に残る歌となった。
芸名の並木路子は、ミス・コロムビアの「並木の雨」と、歌詞に出てくる、並木の路に~の「路」に子を付けたもの。

1945年(昭和20年)3月9日、10日の東京大空襲で母親を亡くしている。彼女自身も、左目を痛め、後遺症となった。その他、次兄と父も戦争で、乗艦していた船がアメリカ軍の潜水艦に撃沈され死亡している。その上、立教大学の学生で初恋の人・上田四郎も学徒出陣による特攻隊出撃で亡くしている。よく「親類を戦争で全て亡くした」という記述を観ることがあるが誤りで、当時既に結婚していた姉と長兄(ただし東京大空襲当時は音信不通状態にあった。戦後しばらしてから復員)は無事であった。(Wikiより)

この唄の明るさの裏には悲惨な体験があったことを知り、Aはますますこの唄が好きになり、子どもの頃しきりに歌っていました。平成になってからNHKの懐メロ特集の番組で彼女の明るい歌声を聴いて涙が出てきました。この唄は不滅です。「青い山脈」とともに永遠に歌われ続けることでしょう。

『そよかぜ』

1945年10月10日に公開された佐々木康監督による日本映画作品。松竹大船撮影所製作。戦後のGHQ(連合国軍総司令部)の検閲を通った第1号映画として知られる。

みちは18歳の少女。母と一緒に劇場の裏方として働き、照明係を勤めながら歌手を夢見ている。楽団員たちはそんなみちの才能を見抜き、歌を教えていた。楽団リーダーの舟田や年長の平松はみちに優しかったが、横山とみちはお互い意識しながら、口を開けば憎まれ口の応酬になってしまうのだった。ある日、スター歌手の恵美が引退することになり、舟田はその後任にみちを推薦する。しかし劇場の支配人はいきなりの抜擢には難色を示し、みちはまずコーラスガールとして実績を積むことになった。バックコーラスとはいえ憧れのステージ、みちはより一層のレッスンに励む。
コーラスガール仲間の話題は結婚や恋愛についてが主流。ピアニストの吉美の新婚生活や、舟田と歌手桜山幸子の恋愛の話を聞くにつけ寂しい思いをしていたみちは、横山の何気ないからかいに傷つき、リンゴ畑を持つ実家に帰ってしまう。楽団員たちが頭を抱えていたところに吉報が舞い込む。みちの実力を認めた支配人が、新番組のスターとして抜擢することを決めたのだ。楽団員たちは総出でみちを迎えに行く。横山とのわだかまりも解け、みちはついに夢に見た歌手としてステージに立つ。(Wikiより)

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