「彩湖の会」の設立
「浦安の舞」名古屋市東文化小劇場公演(2012年)
1940年(昭和15年)11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝臨時祭を行うに当たり、祭典中に奉奏する神楽舞を新たに作ることが立案され、当時の宮内省楽部の楽長である多忠朝が国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した神楽舞である。
1933年(昭和8年)の昭和天皇御製
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
が神楽の歌詞となっている。
「うら」は心を指す古語であり、「うらやす」で心中の平穏を表す語であるとされる。また、『日本書紀』に「昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。」とあり、他の文献にも日本国の別称として「浦安国」とあることから、神祇の安寧慰撫と国の平穏無事が、題名である「浦安」の語に込められている。(以上by「Wiki」)
ご縁市場で私と治子が始めた子ども絵画教室を久しぶりに再開しました。集まってくれた子どもたちは20人でした。
会を終えると、治子が私に話したいことがあるというので誘われるままご縁美術館に入りました。坂本学芸員が待ち構えていたという感じで二人を迎えてくれました。
お父さん、ご免なさいね、訳も話さないで・・・。
畝本さん、私からもっと早くお話しすべきでした。
何の事でしょう。
ご縁市場の新しい会のことなんです。・・・実は以前から農園の岡田さんから聞いていたことを実現させずにいました。でも、何とか見通しが立ったんです。
もっと具体的に・・・。
あっ、すみません。私も以前から岡田さんのお話のようなことを思っていました。・・・ああして、舞台演劇の方は大きな動きが進んで、新阿国座という新劇団が設立され、地元の劇団湖笛もその下部組織として重要になってきました。娘の郁子も随分お世話になり、何とか新しい劇団に加わる見通しが立ちました。感謝しています。地元の皆さんのお蔭です。・・・所で、岡田さんの話ですが、あそこの農園には全国から有能な人材が集まってきます。その中には、演劇をしたいとか、絵を描きたいとか、焼き物をしたいとか、もっと本格的に農業をしたいとか、色んな夢を持っておられる方がたくさんいらっしゃるそうです。そこで岡田さんはそういう夢を叶えてあげたいとかねてから思ってらしたんですね。
それは地元として放っておけませね。大変な損失です。
いや、そこなんですよ。治子さんにも以前からお話ししていました。他にも、古賀所長さん、冴子さん、冴子さんの店の千賀子さん、窯場の小室さん、それから京子さん夫妻。・・・笙子さんにもお話ししたかったんですが、劇団にかなり関心が強いとか聞いてましたのでまだお話ししていません。佐山医師の奥さんもお誘いしました。それから、湖笛の関係者、松江さん、鈴木君にも話しました。ああ、仙女にもそれとなく話しました。・・・出雲にはこんなに素晴らしいお方が活躍していらっしゃる。それが、ばらばらではいけないし、新人を養成する義務もあると思う訳ですね。それで結論なんですが、色々な会合をもって、何とか会を立ち上げることができました。名前は「彩湖の会」です。
彩湖の会、・・・具体的な活動は・・・。
岡田さんから地元の農家に働きかけていただきました。昼は農家の仕事を手伝い、宿泊させていただいて、主として夜間、まあ、場合によっては昼間もということもあるかも知れません。各専門の指導者について初歩的なことから手ほどきを受ける。ある程度のレベルまで到達したら再度希望を募って総合的に審査して、その指導者の内弟子として採用していただく。農業の場合はある程度の規模の圃場を任せる。・・・岡田さんの家の納屋にも数名受け入れるつもりだとか仰っています。・・・まあ、ごく簡単に申し上げますと、そういうことです。
新しい人材を受け入れて、地元を活性化する、・・・要するに地域興しですね。で、組織と事務局は・・・。
ちょうどご縁市場でそういう活動をなさっている古賀さんに会長をお願いしました。事務局もご縁市場です。古賀さんには本当に重ね重ねお世話になります。これは、市にもお話ししています。岡田さんのところの農園関係者だけではなく、広く全国から希望者を募ることになっています。
で、活動資金は・・・。
それが問題ですが、古賀所長とそれに文化財審議委員の経験のある佐山医師と市の職員だった岡田さんが知恵を出してあって協議しているところです。いずれ動きだします。
←クリック募金にご協力ください。
「浦安の舞」名古屋市東文化小劇場公演(2012年)
1940年(昭和15年)11月10日に開かれる「皇紀二千六百年奉祝会」に合わせ、全国の神社で奉祝臨時祭を行うに当たり、祭典中に奉奏する神楽舞を新たに作ることが立案され、当時の宮内省楽部の楽長である多忠朝が国風歌舞や全国神社に伝わる神楽舞を下地に作曲作舞した神楽舞である。
1933年(昭和8年)の昭和天皇御製
天地(あめつち)の神にぞ祈る朝なぎの海のごとくに波たたぬ世を
が神楽の歌詞となっている。
「うら」は心を指す古語であり、「うらやす」で心中の平穏を表す語であるとされる。また、『日本書紀』に「昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。」とあり、他の文献にも日本国の別称として「浦安国」とあることから、神祇の安寧慰撫と国の平穏無事が、題名である「浦安」の語に込められている。(以上by「Wiki」)
ご縁市場で私と治子が始めた子ども絵画教室を久しぶりに再開しました。集まってくれた子どもたちは20人でした。
会を終えると、治子が私に話したいことがあるというので誘われるままご縁美術館に入りました。坂本学芸員が待ち構えていたという感じで二人を迎えてくれました。
お父さん、ご免なさいね、訳も話さないで・・・。
畝本さん、私からもっと早くお話しすべきでした。
何の事でしょう。
ご縁市場の新しい会のことなんです。・・・実は以前から農園の岡田さんから聞いていたことを実現させずにいました。でも、何とか見通しが立ったんです。
もっと具体的に・・・。
あっ、すみません。私も以前から岡田さんのお話のようなことを思っていました。・・・ああして、舞台演劇の方は大きな動きが進んで、新阿国座という新劇団が設立され、地元の劇団湖笛もその下部組織として重要になってきました。娘の郁子も随分お世話になり、何とか新しい劇団に加わる見通しが立ちました。感謝しています。地元の皆さんのお蔭です。・・・所で、岡田さんの話ですが、あそこの農園には全国から有能な人材が集まってきます。その中には、演劇をしたいとか、絵を描きたいとか、焼き物をしたいとか、もっと本格的に農業をしたいとか、色んな夢を持っておられる方がたくさんいらっしゃるそうです。そこで岡田さんはそういう夢を叶えてあげたいとかねてから思ってらしたんですね。
それは地元として放っておけませね。大変な損失です。
いや、そこなんですよ。治子さんにも以前からお話ししていました。他にも、古賀所長さん、冴子さん、冴子さんの店の千賀子さん、窯場の小室さん、それから京子さん夫妻。・・・笙子さんにもお話ししたかったんですが、劇団にかなり関心が強いとか聞いてましたのでまだお話ししていません。佐山医師の奥さんもお誘いしました。それから、湖笛の関係者、松江さん、鈴木君にも話しました。ああ、仙女にもそれとなく話しました。・・・出雲にはこんなに素晴らしいお方が活躍していらっしゃる。それが、ばらばらではいけないし、新人を養成する義務もあると思う訳ですね。それで結論なんですが、色々な会合をもって、何とか会を立ち上げることができました。名前は「彩湖の会」です。
彩湖の会、・・・具体的な活動は・・・。
岡田さんから地元の農家に働きかけていただきました。昼は農家の仕事を手伝い、宿泊させていただいて、主として夜間、まあ、場合によっては昼間もということもあるかも知れません。各専門の指導者について初歩的なことから手ほどきを受ける。ある程度のレベルまで到達したら再度希望を募って総合的に審査して、その指導者の内弟子として採用していただく。農業の場合はある程度の規模の圃場を任せる。・・・岡田さんの家の納屋にも数名受け入れるつもりだとか仰っています。・・・まあ、ごく簡単に申し上げますと、そういうことです。
新しい人材を受け入れて、地元を活性化する、・・・要するに地域興しですね。で、組織と事務局は・・・。
ちょうどご縁市場でそういう活動をなさっている古賀さんに会長をお願いしました。事務局もご縁市場です。古賀さんには本当に重ね重ねお世話になります。これは、市にもお話ししています。岡田さんのところの農園関係者だけではなく、広く全国から希望者を募ることになっています。
で、活動資金は・・・。
それが問題ですが、古賀所長とそれに文化財審議委員の経験のある佐山医師と市の職員だった岡田さんが知恵を出してあって協議しているところです。いずれ動きだします。
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