とぎれとぎれの物語

瀬本あきらのHP「風の言葉」をここで復活させました。小説・エッセイをとぎれとぎれに連載します。

あちこち「SYOWA」 311 ジェームズ・ボンドのテーマ / ジョン・バリー

2018-03-23 17:46:32 | 日記
この映画を見た時のショックは大きかった。壮大なアクション、ダンディなボンド、予想もでないような仕掛け、美女が続々と登場。
私の永遠のヒーローであります。配役が次々と変わったがボンドはショーン・コネリーに限ると思っています。


ジェームズ・ボンドのテーマ / ジョン・バリー



サー・トマス・ショーン・コネリー(英: Sir Thomas Sean Connery、1930年8月25日 - )は、スコットランド出身の映画俳優。『007』シリーズの初代ジェームズ・ボンド役で一躍有名となり、その他のアメリカ映画にも多数出演している。公称身長188cm。

1961年、ジェームズ・ボンド役としてイオン・プロと5本の作品に出演する契約を交わし、翌1962年の『007 ドクター・ノオ』で知名度は世界的に上昇した。5作出演の契約遂行後も2度の返り咲きで計7本の作品でボンド役を務める。自己紹介の台詞「The name is Bond, James Bond.」を初めて使い、以来2作を除く全作で使われるようにした張本人でもある。ボンド、或いはボンドのパロディ的役どころ(例:『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』、『ザ・ロック』等)を演じることには積極的であるが、プロデューサーであるアルバート・R・ブロッコリやハリー・サルツマンとの仲は芳しくなく、シリーズへの復帰には消極的であった。『ネバーセイ・ネバーアゲイン』は彼らの干渉を受けずに自ら製作した作品である。

直接の後任俳優の一人、ロジャー・ムーアとは無名時代からの友人であり、ともに共演を望んだほどの仲良しである。
歴代のジェームズボンド俳優では1度引退して2度ジェームズボンド役に復帰している。これは2016年現在ショーン・コネリーのみである。
『007』降板後も様々なジャンルの映画に出演し、1987年には『アンタッチャブル』でアカデミー助演男優賞を受賞。
1998年にブロードウェイで『'Art'』を製作し、トニー賞 演劇作品賞を受賞。

2000年にイギリスのエリザベス2世女王からナイトの称号を与えられたが、スコットランドの分離独立を主張するスコットランド国民党の熱烈な支持者でもある。授与式には、民族衣装キルトで正装して現れた。なお、彼は「スコットランドが独立するまで私は死んでもスコットランドに帰らない」とまで明言している。

2006年にアメリカ映画協会(AFI:American Film Institute)の生涯功労賞を受賞したのを機に、俳優業引退を宣言した。
2008年、78歳の誕生日にエディンバラ国際ブックフェスティバルで自伝[10]を発表し、発表会見にはスコットランド国民党のアレックス・サモンド党首も出席した。

2010年、『007 スカイフォール』で監督サム・メンデスは、当初キンケイド役にコネリーを考えていたが、実現はしなかった。

ジョン・バリー

ジョン・バリー(John Barry, ジョン・バリー・プレンダーガスト OBE、John Barry Prendergast OBE, 1933年11月3日 - 2011年1月30日[1])は、イギリス・ヨーク出身の作曲家。多くの映画音楽の作曲を手がけた。中でも「007/ジェームズ・ボンド」シリーズの曲は広く知られている。ゴールデングローブ賞とアカデミー賞を5回受賞している。
(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 310 Fly me to the Moon [日本語訳付き] ドリス・デイ

2018-03-21 16:09:56 | 日記
続いて思い出したのがこのお方です。ルックスもですが英語の発音が綺麗ですね。私には女優としての印象が強いお方です。


Fly me to the Moon [日本語訳付き]    ドリス・デイ


ドリス・デイ(Doris Day、1922年4月3日 - )は、アメリカ合衆国の女優・歌手。オハイオ州シンシナティ出身。本名はDoris Mary Ann von Keppelhoff(ドリス・メアリー・アン・フォン・ケッペルホフ)。ドイツ系。

経歴

父はドイツ出身の音楽教師で、両親は彼女が10歳の時に離婚。ドリスの名はサイレント映画女優のドリス・ケニヨン(英語版)から名付けられた。幼い頃から歌や踊りが好きで、バレリーナを目指していたが、15歳の時に列車事故に遭い、激しい踊りができなくなりその夢を断念した。

しかし歌の練習は続け、18歳の時にジャズバンドのレス・ブラウン楽団に専属歌手として参加する。バンドメンバーのアル・ジョーダンと結婚し、息子テリー(後にレコードプロデューサーとなる)を出産するが、1942年、20歳の時に離婚。2年後、このバンドのリーダーだったレスター・ブラウンの提供した『センチメンタル・ジャーニー』を歌い、大ヒットさせる。

1946年、24歳の時に2度目の結婚をするも、わずか8ヶ月で破局。離婚直後にワーナー・ブラザースのオーディションを受け、同社と契約。1948年の『洋上のロマンス』で映画デビューする。評判はよく1949年に2本、1950年に主題歌もヒットした『二人でお茶を』など3本、1951年には5本も出演するほどのど売れっ子になった。同年エージェントだったマーティン・メルチャーと結婚。

また、1953年の西部劇風ミュージカル映画『カラミティ・ジェーン』の大ヒットで人気を不動のものとした。1956年のアルフレッド・ヒッチコック監督作品『知りすぎていた男』の劇中で歌った『ケ・セラ・セラ』が大ヒットし、アカデミー歌曲賞を受賞した。

1968年に夫が亡くなり映画界を引退、活躍の場をテレビに移し『ドリス・デイ・ショー』(1968年-1973年)を中心に活躍することになる。1976年に4度目の結婚をするが、1981年には離婚。その後は動物愛護に力を注ぎ、カリフォルニア州のカーメルに設立した「Doris Day Animal League」で、家庭内ペットの世話の方法などを指導している。(「Wikipedia」より)

あちこち「SYOWA」 309 The Carpenters - Yesterday Once More (INCLUDES LYRICS)

2018-03-20 23:33:25 | 日記
突然・・・、この曲を聴きたくなりました。・・・日常の雑事、瑣事、雑念、もつれた心、・・・そういうものが洗い流されるような清々しい気持ちになりました。・・・ははっ、いつもの通り涙が出てきました。ごめんなさい。

The Carpenters - Yesterday Once More (INCLUDES LYRICS)



「イエスタデイ・ワンス・モア」(Yesterday Once More)は、カーペンターズが1973年に発表したシングルである。リチャード・カーペンターとジョン・ベティスの作。

解説

昔ラジオで聴いていたオールディーズを懐かしむという内容の歌。アルバム『ナウ・アンド・ゼン』ではB面1曲目に収録され、オールディーズのカヴァー・メドレーがそれに続き、アルバムの最後は「イエスタデイ・ワンス・モア」のリプライズで締めくくられるという演出がなされている。元々はメドレーの方が先に企画され、それに意味を持たせるために、リチャード・カーペンターのアイディアで作られた曲[2]。B面「明日への旅路(Road Ode)」は、1972年のアルバム『ア・ソング・フォー・ユー』収録曲。

本国アメリカでは、1973年7月28日にBillboard Hot 100で2位を記録。日本とイギリスでのカーペンターズ最大のヒット曲で、日本での公称セールスは100万枚以上(オリコンでは約60万枚)。オリコン洋楽チャートでは26週連続1位を記録した。(「Wikipedia」より)


歌詞和訳

When I was young
I'd listen to the radio
Waitin' for my favorite songs
When they played I'd sing along
It made me smile.

幼かった頃、
ラジオを聞いていた
大好きな曲を待ちながら
その曲が流れたら、一緒に歌って、
笑っていたの

Those were such happy times
And not so long ago
How I wondered where they'd gone
But they're back again
Just like a long lost friend
All the songs I loved so well.

とても幸せなときだった
遠い昔じゃないけど
どこに行ってしまったんだろうと思う
でも戻ってきた
古くからの友人のように
私の大好きな歌が

Every Sha-la-la-la
Every Wo-o-wo-o
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they're startin' to sing's
So fine.

どの「シャラララ」も
どの「ウォウウォウ」も
今も輝いてる
いつもの「シングアリング」も
歌い始めると
とても良いの

When they get to the part
Where he's breakin' her heart
It can really make me cry
Just like before
It's yesterday once more.

曲が流れて
彼が彼女に別れを告げるところになると
泣いてしまうの
昔と全く同じように
昨日をもう一度

Lookin' back on how it was
In years gone by
And the good times that I had
Makes today seem rather sad
So much has changed.

昔を振り返ったら
月日は流れていって
過去の楽しかった日々は
よりいっそう今の私を悲しくさせる
たくさんのことが変わっていってしまった

It was songs of love that
I would sing to then
And I'd memorize each word
Those old melodies
Still sound so good to me
As they melt the years away.

ラブソングだった
あのとき歌っていたのは
いまでもどの歌詞のフレーズも覚えてる
なつかしいメロディーは
今でも私に優しく響いて
過ぎ去った時間を溶かしていくの

Every Sha-la-la-la
Every Wo-o-wo-o
Still shines
Every shing-a-ling-a-ling
That they're startin' to sing's
So fine.

どの「シャラララ」も
どの「ウォウウォウ」も
今も輝いてる
いつもの「シングアリング」も
歌い始めると
とても良いの

All my best memories
Come back clearly to me
Some can even make me cry.
Just like before
It's yesterday once more.

全ての思い出たちが
はっきりと今私によみがえってくる
今でも私は泣いてしまうこともある
昔と全く同じように
昨日をもう一度

(http://lyricsgaga-translation.blogspot.jp/2015/08/carpenters-yesterday-once-more.htmlより借用・多謝)

あちこち「SYOWA」 (番外) 2018 Indian Wells Final | 大坂なおみ vs. Daria Kasatkina | WTA Highlights

2018-03-19 16:31:40 | 日記
優勝おめでとう !!! 日本からこういう世界的な女子テニスの選手が誕生したことをすごく喜んでいます。「なおみ」という名前は「ナオミ・キャンベル」からとられたということを以前聞きました。最初はお父さんがコーチをしておられましたね。・・・いやそれはともかくおめでとうございます。1テニスファンとして感激しています。・・・錦織圭選手も早く復帰してほしいですね。

2018 Indian Wells Final | Naomi Osaka vs. Daria Kasatkina | WTA Highlights