夏が近づくと素麺の季節ですね。
私は子供の頃、素麺がとてもキライでした。まぁ、原因は母にあったのですが・・・。
ウチの素麺は、母の「伸びるのが嫌だから、出汁が薄くなるから」という理由から湯がいて冷水に晒した後、水を切って普通の深皿に盛り付けられて食卓に上がってきていました。深皿に山盛りになった素麺を各々の小鉢の出汁につけて食べるんですが、時間が経つとともに素麺の表面から水分が失われ、素麺どうしが引っ付き始めるという状態になります。また、水から上げてしまっているため、麺がだんだん温もってきます。
粘って取り分けにくい麺を無理矢理大皿の山から引き剥がし、ぬるくなってしまった麺をのどに流し込むのは苦痛以外の何者でもありませんでした。
初めて素麺を美味しいと思ったのは、高校生になってからでした。高校2年の夏休みに自転車ツーリングで四国に渡ったときに、四国の食堂でお昼に食べた素麺にカルチャーショックを受けました。
「麺が氷水につかって出てきた!?」
よく冷えた麺は、粘りも無くスルリとのどを通り過ぎていきました。その清涼感は爽快でした。母の妙なポリシーのおかげで私は17歳まで素麺のうまさを知らなかった訳です。それからも実家では水を切った素麺が出ており、私は全くそれを口にしませんでした。
独り暮らしになった今は、素麺は夏の間、よく食卓に登るようになりました。
もちろん自分で作るのですから、冷水を張った器に盛り付けて、です(^_^)
私は子供の頃、素麺がとてもキライでした。まぁ、原因は母にあったのですが・・・。
ウチの素麺は、母の「伸びるのが嫌だから、出汁が薄くなるから」という理由から湯がいて冷水に晒した後、水を切って普通の深皿に盛り付けられて食卓に上がってきていました。深皿に山盛りになった素麺を各々の小鉢の出汁につけて食べるんですが、時間が経つとともに素麺の表面から水分が失われ、素麺どうしが引っ付き始めるという状態になります。また、水から上げてしまっているため、麺がだんだん温もってきます。
粘って取り分けにくい麺を無理矢理大皿の山から引き剥がし、ぬるくなってしまった麺をのどに流し込むのは苦痛以外の何者でもありませんでした。
初めて素麺を美味しいと思ったのは、高校生になってからでした。高校2年の夏休みに自転車ツーリングで四国に渡ったときに、四国の食堂でお昼に食べた素麺にカルチャーショックを受けました。
「麺が氷水につかって出てきた!?」
よく冷えた麺は、粘りも無くスルリとのどを通り過ぎていきました。その清涼感は爽快でした。母の妙なポリシーのおかげで私は17歳まで素麺のうまさを知らなかった訳です。それからも実家では水を切った素麺が出ており、私は全くそれを口にしませんでした。
独り暮らしになった今は、素麺は夏の間、よく食卓に登るようになりました。
もちろん自分で作るのですから、冷水を張った器に盛り付けて、です(^_^)