大崎上島の『旅する櫂伝馬プロジェクト』の準備が、徐々にではあるが進みはじめた。
古来、櫂伝馬は、伝令船として瀬戸内の島々を結ぶ情報ネットワークの要となる、重要な役割を果たしていたはずである。
大崎上島は、日本に現存する櫂伝馬の半数近くを保有し、また地域の祭礼の神事として櫂伝馬競漕の行事を受け継いできた。 しかしながら近年、櫂伝馬行事を支える若手の不足による、伝統文化の後継者問題が顕在化している。 今回のプロジェクトは一回限りのものにするつもりはなく、この旅する櫂伝馬プロジェクトを通じて、櫂伝馬行事の担い手となる若者を支援するとともに結束を強め、また次世代の担い手となる子供達の目標となる様なプロジェクトに育てたいと考えている。
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『瀬戸内海洋文化の復興、創造そして継承』を実践する、『旅する櫂伝馬』
この原点を思い返すと、『内田隊長(内田正洋さん)』、『ホクレア号』そして『沖縄』の、3つのキーワードが浮かんでくる。

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2007年4月24日 ゴールデンウイークに引っ掛けて5年振りのリフレッシュ休暇を取り、約半月ほど沖縄を旅している途中、偶然にもホクレア号が糸満に到着したとの情報が入った。
すぐに内田隊長に電話したところ、『糸満のホテルに居るから、来ていいよ』との返事をいただき、クルマを飛ばして糸満へ。 その後数日間、内田隊長やホクレアクルー達と一緒に糸満で過ごしたのだが、その時に初めて『サバニ』の工房を見学し、またホクレア号歓迎イベントでサバニを漕がせていただいた。
瀬戸内 シーカヤック日記: 沖縄編-5日目(2)_はじめての『サバニ』

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その時に内田さんから、『今、沖縄でサバニレースに関わってんだ』 『古式のサバニはもうほとんど残っていない。 このままいくと、サバニを造れる職人も居なくなってしまう』
『レースの参加者が増えて、サバニの注文が入るようになったら、職人も食べていけるようになるし、伝統的なフネと、それを作る技術が残る』 『シーカヤックもいいが、伝統的な舟の文化を残すのも、俺たちの役割だ』
この話を伺った時、瀬戸内の海洋文化について知識がなかった自分は、『いやあ、まさにその通りだ! 俺もそういう貢献がしたいなあ。 でも沖縄はサバニとハーリー、長崎にはペーロンがあるが、瀬戸内の伝統的な舟って何なんだろう?』と思っていた。
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その後、ホクレア号が広島に寄港したとき、村上水軍商会も関わって復活させた『打瀬舟』が姿を現した。 『なるほど、こういう舟があったんだ』
ホクレア号と並んだその姿は美しく、威厳さえ感じさせたが、ホクレア号歓迎が最後の航海となった。 残念な事である。
瀬戸内 シーカヤック日記: ホクレア_Welcom to Hiroshima!

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2008年8月 山口県の祝島で神舞が行われた。 この神舞では、2艘の櫂伝馬が出るのだが、最近は高齢化で漕ぎ手が足りないと言う事で瀬戸内カヤック横断隊メンバーにも声が掛かり、入船、出船の神事で漕がせていただくことができた。
『そうか、櫂伝馬という舟があったんだ』
この入船神事のとき、私は内田隊長の前を漕いでいたのだが、『内田さん、今は漁船で大分まで迎えに行きよりますが、昔は櫂伝馬で漕いでいったんでしょうねえ』 『そうやろうのう。 大分まで30キロちょっとか。 わしらシーカヤッカーが漕ぎ手じゃったら行けるじゃろうのお』 『ほうですねえ。 いやあ、いつかこれで漕いで行ってみたいもんですねえ』
という会話を交わした事を良く覚えている。

ただ祝島では、昔やっていたという競漕も今は行われておらず、またこの櫂伝馬は神様船であるため4年に一度の神舞の時にしか海に出す事はできないとのこと。
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祝島の神舞で櫂伝馬を漕いだ事を綴ったブログにコメントをくれたのが、大崎上島出身の啓志君。
櫂伝馬をこよなく愛する啓志君は、『櫂伝馬に興味があるのなら、一度大崎上島に来てみませんか?』と、見ず知らずの私を誘ってくれたのである。 これが大きな転機となった。

櫂伝馬も、昔は瀬戸内の島々をつないでいたはず。 瀬戸内の島々を、手漕ぎのシーカヤックで旅している経験から、『旅する櫂伝馬プロジェクト』を提案すると、快く賛同してくれた。
その後何度か大崎上島を訪れ、交流会や打ち合わせを行った。 その過程で、ビジョンや志の共通するF親分とも話をさせていただくようになり、大崎上島一周、約32kmのトライアル航海も無事終えることができた。

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こうやって振り返ってみると、ホクレア号が日本に到着した糸満でのサバニ体験と、内田隊長がサバニレースに関わる志について伺った事が、原点になっていることがわかる。

そしてその後の、祝島の神舞での櫂伝馬神事への参加、そしてそれをきっかけにした大崎上島の櫂伝馬との出会い。
まさに縁が縁を呼び、人と人とが繋がっていく、これまで何度も経験してきた『偶然を装った必然』を実感している。

『瀬戸内海洋文化の復興、創造そして継承』 まさに今年は実践の年。 艱難辛苦を乗り越えて、是非とも実現させたいと、強く思っている。