あるくみるきく_瀬戸内シーカヤック日記

瀬戸内を中心とした、『旅するシーカヤック』の記録

『芸予ブルー』_テーマカラー of 印象派_”瀬戸内シーカヤック日記”

瀬戸内シーカヤック日記: 『瀬戸内横断その4、西側ゴールとなった関門海峡超え』

2011年07月13日 | 旅するシーカヤック
2000年に始めた瀬戸内横断も、東側ルートは兵庫県の家島に無事ゴールし、残すは西側ルートの関門海峡を目指す最終ステージを残すだけとなりました。 今回は、2回に分けて計5日間で漕ぎ進んだ、山口県の大畠(おおばたけ)から、念願のゴールである下関の関門海峡までの旅を報告します。

<山口県大畠町から山口県宇部市まで>

2004年4月29日の朝、大畠駅からタクシーに乗り、大畠大橋を渡って近くの漁港に向かう。
準備完了し、フネを組む時に話しかけられた釣り客や、近くの島に別荘を建てて住み着いているという人達に見送られながら、晴天の中を漕ぎ出した。 ゴールまではもう150kmほど。今回は3日間の予定なので、できるだけ距離を稼いでおきたい。

まずは上関(かみのせき)の半島に沿って一旦南下し、船の交通量が多い上関海峡を越える。 上関大橋の近く室津(むろつ)には、てんぷら(魚の練り物を揚げたものでさつま揚げに近い)のおいしい店があるので、一旦上陸して夕食の材料を仕入れる。
その後、馬島(うましま)を越えたあたりで日が傾いてきた。 今日のキャンプ地は、光市(ひかりし)の室積(むろずみ)を目標にする。

行ってみると室積半島の先端に、小さくて雰囲気の良い浜があり、そこに上陸。むろつの天ぷら入りレトルトカレーの夕食を食べ、さっさと寝る。

***

翌日の朝は、距離を稼ぐため夜明け前から起き出してヘッドランプの明かりを頼りにパッキングし、まだ暗い中、ヘッドランプを点灯したまま漕ぎ出した。

次第に明るくなって行く海を漕ぎ、笠戸(かさど)島の南端をかすめて、フグで有名な粭(すくも)島へ向かう。 この日一番の難所は、粭島から、人間魚雷回天の発射訓練基地跡で有名な大津(おおつ)島までの、わずか2km弱の横断だった。

ここは、工業地帯である徳山港に出入りする船がひっきりなしに行き交っており、その隙間を縫っての横断は疲れた。

その後、防府(ほうふ)市の向島(むこうじま)まで最短距離を渡ったあたりで疲れがピークに。
漕ぐたびに左腕の肘に鈍い痛みがあり、夕方も近かったことから、中浦の小さな浜でキャンプすることとした。 買い出しに行った小さな商店のおばちゃんが親切な人で、私の色の黒さやその風貌から、最初は東南アジアから近くの工場に来ている研修生と勘違いしたようだが、ひとしきり話した後は、近くに薬局が無いからと痛めた肘に貼るための湿布をくれたり、水も分けてくれたりと、親切にしてもらった。 おばちゃん、ありがとう。

翌日は、肘に湿布を貼って漕ぎ出す。 車エビの養殖で有名な秋穂(あいお)町を越え、昼過ぎに宇部市の床波(とこなみ)に到着。
漁港のスロープで作業しているおじさんたちに許可をもらって、そのスロープに揚げさせてもらった。 片付けてお礼を言って帰ろうとすると、漕いで来たフネはどうするのかと聞かれ、背中に背負っているのがさっきのフネですよ、と言うと驚いていた。

<山口県宇部市から下関市・関門橋まで>

2004年5月29日。これまでは一人で漕いできたが、今回は関門橋付近の海峡に詳しい地元ダイドックの原さんにサポートしてもらうこととした。

床波漁港で2艇のK-1を組み立てる。知人である地元のKさんとNさんが差し入れのビールを持って見送りにきてくれた。 うれしい。

東風が吹き、瀬戸内らしからぬうねりのある海を山口宇部空港沿いに二人で南下する。 このあたりまでくると島がほとんど無く、南側は周防灘(すおうなだ)の開けた景色で、私の地元広島辺りで見る景色とは全く違う雰囲気だ。

宇部港を越えると、今度は北上。 小野田市を越え、今日の宿泊予定地である山陽町の埴生(はぶ)漁港を目指す。
埴生漁港では、散歩していたおばちゃん2人組に、夜、襲いにくるからとからかわれ、また漁協の組合長の奥さんには、食べるものが無ければ家に来ても良いよと親切に声をかけていただいた。

***

2004年5月30日。 朝は、組合長の奥さんがわざわざみそ汁と味付けのりの差し入れに来て下さり、ありがたく頂いた。
うちの孫もいつどこの海や港で人の世話になるかもしれないから、と言っておられたが、本当に気持ちのよい漁港だった。 まだまだ瀬戸内の人情も捨てたものじゃないです。

そんなこんなで、ゴールに向けた最終日、曇り空ではあったが、気持ち良く漕ぎ出すことができた。

もうゴールは目の前。 満珠(まんじゅ)島、千珠(まんじゅ)島を越え、関見台(せきみだい)公園で一旦潮待ちの休憩と昼食。 転流時間が近づくと、なんだか落ち着かなくなり、早く出たいというそぶりを見せる私を、原さんが、まあ待ちましょうとなだめてくれる。 たしかに関門海峡の潮流は甘くない。

いよいよ出発。 小雨だが、ゴールまではわずかに4kmほど。 対岸の九州も目の前。
漕いで行くと、潮流信号は向かい潮1ノットからとうとう0になり、矢印の向きが変わった。 転流だ。

岸沿いに漕いで行くので、海沿いにあるレストランのお客さんや、道を走っている車の人たちが手を振ってくれる。 みんながゴールを祝福してくれているようでうれしい。
もう橋は目の前、雨も上がった。無言で漕ぐが、これまでの旅の思い出が蘇り感無量!

関門橋を越え、舟屋の残る良い雰囲気の小さな漁港にフネを揚げた。



家の近くの浜から期待と不安につつまれて出発し、2年弱の中断を含め、足掛け4年でゴールした瀬戸内横断。
小さな目標ではありますが、様々な人々のサポートを受けながら、一漕ぎ一漕ぎを積み重ねることでそれを達成できたことは、とても貴重な経験となりました。

また、瀬戸内海と一口に言っても、その景色や海況には多様性があり、まだまだ知らないことが多いのだということも実感しました。 これからも、次の目標に向けて漕ぎ続けていこうと思っています。

私の旅を4回に渡って掲載させていただき、また読んでいただき、本当にありがとうございました。 今度は海でお会いできるのを楽しみにしています。

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