元も子も、身も蓋もない(厳密には身はあるが蓋がない)死の話に立ち返ること|哲学者・中島義道氏の「コロナが終息しても人は死ぬ」(東京新聞2020年6月3日夕刊)を読む。/中島氏の著書は過去にも数冊読んだことがあるが、毎度、のんべんだらりとした考え方に、ガツンと一発鉄拳を食らわせられたような感覚になる。/(子曰くならぬ)氏曰く「百三十八億年の宇宙において自分の意志でもないのに生まれさせられ、高々百年のうちに死んでしまい、その後たぶん永久に生き返らないという残酷な運命は変わらないのだ。」「コロナが終息しても人は死ぬのである。そして、なぜ死ななければならないのか、その意味はわからないのである。」「人が生まれてそして死ぬということ自体が、他と比較できないほど残酷なのである。」/幼稚園の頃、押し入れのなかに隠れていたときに、ふと死というのはこんなに真っ暗で何にも見えない感じなのかな、などと考えるうちに、怖くなって押し入れから飛び出していったことを思い出す。/死の話は、まだ家族や友人知人や同僚の死(養老孟司氏のいう二人称の死)を経験していない人には、「見ざる聞かざる言わざる」にしたく、近親者などの死を看取ったことがある人であってもそうそう触れたくない問題のはずである。「一所懸命、楽観的に生きているのに、元も子もない話だ」と思う人もいるだろう。/死にまつわるニュースは、交通事故や殺人事件等で私たちも日々、何気なく接している。ただ、それらは三人称の死であり、他人事であり、身につまされない。一方、世間には一人称や二人称の死について考えさせられる言論があまりに少ない。/では、みんな分っちゃいるけど、あえて賢く無視しているのかというと、そんなことはなく、誰も言わないし、自分でも深く考えようとしないから、なんとなく自分は死なないと思っているというのが現実に近いのではないだろうか。/中島氏のように常日頃から死について粘り強く考えるような強靭な精神を、私は持ち合わせていないが、心の片隅にそっとしまっておき、時々、取り出して読み返すべき文章であり、言葉の数々なのだと思う。||BGB:『死を受け入れること~生と死をめぐる対話』(養老孟司・小堀鷗一郎著、祥伝社、2020年)➣タイムリーにこういう本が出た。購入しただけで、まだ未読…。
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