転校生
2024-09-08 | 詩
小学校五年生の三学期に僕は転校生になった。
見知らぬ校長室で、担任になる先生に両親に連れられて挨拶にいった。
両親が家に帰ると、僕は担任の女性の先生に連れられて教室に向かった。ちょうど給食の時間で教室はとても賑やかだった。先生はここがあなたのクラス、皆と仲良しになりなさいね、と云ってすぐに何処かへ消えてしまった。残された僕は教室の端で居心地悪くもじもじとしていた。教室の後ろには何冊かの本が置かれていた。手持ち無沙汰の僕は、その中の一冊を引っ張り出しペラペラとめくっていた。
急にヒステリックな声がした。本から顔を上げると、一人の女の子が腕組みをして僕を睨みつけていた。
教室の本はこのクラスの人しか読んじゃいけないの
あんた誰?
この教室に用が無いんだったら出て行ってよね。
女の子の後ろでやんちゃな少年達が大笑いしていた。彼女の周りには同じように腕組みした女子が同じように僕を睨み付けていた。僕は部外者だったのだ。
ごめん、と呟いて僕は教室を後にした。運動場の隅っこのジャングルジムにもたれかかりポケットからマイルドセブンの箱を取りだし煙草に灯をつけた。ため息と共に煙草の白い煙を吐き出した。やれやれ、なんてめんどくさいのだろう。
僕は煙草を吸い終えるとさっさと家に帰った。両親は心配そうにどうしたのか?と尋ねた。何でもない、先生が今日は帰っていいって、と云って僕は部屋に閉じこもり「シャーロックホームズの冒険」を読みふけった。
僕は数日でクラスの皆から孤立した。少年だった僕は神経質で上手くあたらしい環境に馴染めなかった。教室にいると僕に向けた皮肉な冗談や冷笑が浴びせかけられるようになったので、めんどくさくなってほとんど教室に居ることはなかった。授業中にはぼんやりグランドを眺めて過ごした。昼休みに教室の皆がサッカーやら野球を楽しむグランド。なかなかクラスに馴染めない僕に担任の先生はイライラしているようだった。僕は提出物やらテストをさっさと書き終えて誰も居ない家庭科室やら理科室を転々とした。煙草に火を点けるライターをよく忘れたのだ。家庭科室のガスコンロで煙草に火をつけた。かがみこみながら点けた火は僕の前髪も燃やした。
嫌な匂いがした。僕はため息をつきながら、午後の時間を何処で過ごそうかぼんやり考え込んでいた。校舎の裏や屋上といった界隈は、やんちゃな少年達の溜まり場だったし、そこで因縁をつけられるのも厄介だったからだ。
一週間が過ぎた。
ふと覗いた小さな図書室は案外と居心地が良かった。そう多くはないけれど暇つぶしの本はそれなりにあったし、図書室の先生はなにかと融通のきく気が利いた先生だった。さっさと提出物を出して教室からいなくなる僕に、担任の教師はやたらとうるさかった。いじめにあっている子供は沢山いたし、当時家庭環境に若干の諸問題がある子も少なくは無かった。問題児は僕だけではなかった。ヒステリックに僕を探して回る担任に、そんな暇があるならほかの問題の優先事項を先に片付けた方がいいのではないか、と何度か云おうとしてやめた。病的なヒステリーで個別面談になるのは目に見えていたからだ。何もかもがめんどくさかった。
図書室の先生はそんなヒステリックな担任に、わたしが何とかしますからと図書室の窓際にいる僕を指差した。
そんなこんなで、僕は小学校生活の大半をジュナイブル版のSF小説や江戸川乱歩を片っ端から読む時間に費やした。夕暮れ時まで本の匂いにかこまれて過ごし、窓の外から眺める夕映えのグランドをぼんやりと眺めた。
六年生に進級すると、この若い大学出たてらしい図書室の女の先生は、僕に図書委員にならないか?と持ちかけてきた。とくに異存もなかったので僕は図書委員になった。本が読めれば別に何だって構いはしなかったのだ。
図書委員は各クラスから集まって確か四、五人程度だったはずだ。読書週間用のポスターを作ったり本の貸し出しカードのチェックをする以外にはほとんんどやることが無かったので、僕は相変わらず窓際でぼんやり本を眺めて過ごしていた。
ある日、図書委員の女の子のひとりが僕に声をかけてきた。
面白いの、その本?
うん。宇宙戦争の話。
ふ~ん。
女の子は僕のクラスの学級委員の副委員長もしていた。可愛らしい顔立ちをしていたし誰にでも優しかったのでクラス中の男子から人気があった。ややこしい男子生徒のいざこざにも巻き込まれたくなかったので、彼女の存在は僕には高嶺の花だった。
ねえ、詩は読まないの?
詩?読んだことないよ。
じゃあこれ読んでみて。とても面白かったの。
彼女は図書室の本棚から一冊の詩集を選んで僕に手渡した。
ありがとう。読んでみる。
うん。読み終わったら感想きかせてね。
僕は密かにこの女の子に好意を寄せていた。
そうして、彼女が手渡してくれた詩集が僕が初めて読んだ詩集だった。
それから気が遠くなる時間がながれた。
僕はお酒を舐めながら詩のようなものを酔いの淵に紡ぎだしている。
ふいに、転校生だった少年時代の僕と、僕に詩集を手渡した彼女の記憶を想い出した。
遠い記憶。
見知らぬ校長室で、担任になる先生に両親に連れられて挨拶にいった。
両親が家に帰ると、僕は担任の女性の先生に連れられて教室に向かった。ちょうど給食の時間で教室はとても賑やかだった。先生はここがあなたのクラス、皆と仲良しになりなさいね、と云ってすぐに何処かへ消えてしまった。残された僕は教室の端で居心地悪くもじもじとしていた。教室の後ろには何冊かの本が置かれていた。手持ち無沙汰の僕は、その中の一冊を引っ張り出しペラペラとめくっていた。
急にヒステリックな声がした。本から顔を上げると、一人の女の子が腕組みをして僕を睨みつけていた。
教室の本はこのクラスの人しか読んじゃいけないの
あんた誰?
この教室に用が無いんだったら出て行ってよね。
女の子の後ろでやんちゃな少年達が大笑いしていた。彼女の周りには同じように腕組みした女子が同じように僕を睨み付けていた。僕は部外者だったのだ。
ごめん、と呟いて僕は教室を後にした。運動場の隅っこのジャングルジムにもたれかかりポケットからマイルドセブンの箱を取りだし煙草に灯をつけた。ため息と共に煙草の白い煙を吐き出した。やれやれ、なんてめんどくさいのだろう。
僕は煙草を吸い終えるとさっさと家に帰った。両親は心配そうにどうしたのか?と尋ねた。何でもない、先生が今日は帰っていいって、と云って僕は部屋に閉じこもり「シャーロックホームズの冒険」を読みふけった。
僕は数日でクラスの皆から孤立した。少年だった僕は神経質で上手くあたらしい環境に馴染めなかった。教室にいると僕に向けた皮肉な冗談や冷笑が浴びせかけられるようになったので、めんどくさくなってほとんど教室に居ることはなかった。授業中にはぼんやりグランドを眺めて過ごした。昼休みに教室の皆がサッカーやら野球を楽しむグランド。なかなかクラスに馴染めない僕に担任の先生はイライラしているようだった。僕は提出物やらテストをさっさと書き終えて誰も居ない家庭科室やら理科室を転々とした。煙草に火を点けるライターをよく忘れたのだ。家庭科室のガスコンロで煙草に火をつけた。かがみこみながら点けた火は僕の前髪も燃やした。
嫌な匂いがした。僕はため息をつきながら、午後の時間を何処で過ごそうかぼんやり考え込んでいた。校舎の裏や屋上といった界隈は、やんちゃな少年達の溜まり場だったし、そこで因縁をつけられるのも厄介だったからだ。
一週間が過ぎた。
ふと覗いた小さな図書室は案外と居心地が良かった。そう多くはないけれど暇つぶしの本はそれなりにあったし、図書室の先生はなにかと融通のきく気が利いた先生だった。さっさと提出物を出して教室からいなくなる僕に、担任の教師はやたらとうるさかった。いじめにあっている子供は沢山いたし、当時家庭環境に若干の諸問題がある子も少なくは無かった。問題児は僕だけではなかった。ヒステリックに僕を探して回る担任に、そんな暇があるならほかの問題の優先事項を先に片付けた方がいいのではないか、と何度か云おうとしてやめた。病的なヒステリーで個別面談になるのは目に見えていたからだ。何もかもがめんどくさかった。
図書室の先生はそんなヒステリックな担任に、わたしが何とかしますからと図書室の窓際にいる僕を指差した。
そんなこんなで、僕は小学校生活の大半をジュナイブル版のSF小説や江戸川乱歩を片っ端から読む時間に費やした。夕暮れ時まで本の匂いにかこまれて過ごし、窓の外から眺める夕映えのグランドをぼんやりと眺めた。
六年生に進級すると、この若い大学出たてらしい図書室の女の先生は、僕に図書委員にならないか?と持ちかけてきた。とくに異存もなかったので僕は図書委員になった。本が読めれば別に何だって構いはしなかったのだ。
図書委員は各クラスから集まって確か四、五人程度だったはずだ。読書週間用のポスターを作ったり本の貸し出しカードのチェックをする以外にはほとんんどやることが無かったので、僕は相変わらず窓際でぼんやり本を眺めて過ごしていた。
ある日、図書委員の女の子のひとりが僕に声をかけてきた。
面白いの、その本?
うん。宇宙戦争の話。
ふ~ん。
女の子は僕のクラスの学級委員の副委員長もしていた。可愛らしい顔立ちをしていたし誰にでも優しかったのでクラス中の男子から人気があった。ややこしい男子生徒のいざこざにも巻き込まれたくなかったので、彼女の存在は僕には高嶺の花だった。
ねえ、詩は読まないの?
詩?読んだことないよ。
じゃあこれ読んでみて。とても面白かったの。
彼女は図書室の本棚から一冊の詩集を選んで僕に手渡した。
ありがとう。読んでみる。
うん。読み終わったら感想きかせてね。
僕は密かにこの女の子に好意を寄せていた。
そうして、彼女が手渡してくれた詩集が僕が初めて読んだ詩集だった。
それから気が遠くなる時間がながれた。
僕はお酒を舐めながら詩のようなものを酔いの淵に紡ぎだしている。
ふいに、転校生だった少年時代の僕と、僕に詩集を手渡した彼女の記憶を想い出した。
遠い記憶。