ナイジェル・ノースのリュートを聴いたとき、僕はあまりの美しさに驚嘆した。
美しすぎる。完璧だった。一つ一つの音が、あの繊細な音色で奏でられるとき、僕は静かに深呼吸をし瞑想のような状態に浸った。ある時はワインを舐め、あるときはウイスキーを飲みながらノースの奏でるバッハに、ある種の精神の静けさを感じた。それは何時かの長崎の古ぼけた教会のミサの静けさ。お寺で気まぐれに始めた座禅の真似事。あの空気に似ている。精神が澄み切ってゆく。僕は空であり日常に痛みつけられた心が緊張から開放されてゆく。お酒が回る世界の狭間で、僕は繰り返し音楽に身を委ねた。
師匠の、外人住宅を改装したギター教室のブロックの壁をハンマーで粉々にしたのは一体何時の事だっただろう?
雨の日だった。
僕はハンマーを振り上げ壁に叩きつけた。まるでベルリンの壁を破壊した東西ドイツの狂乱的な群集の如く。
少し違うのは、東西の壁を打ち砕く若者達の群集の歓喜の声の代わりに、缶ビール片手の師匠の容赦ない指示が飛んでいた事くらいだ。
違う。腰の入れ方が甘い!もっとこう効率的に壁を壊すんだぞ、跡形も無く破壊しろ。
僕は云われるままに無心で外人住宅の壁を破壊しつくした。
雨が意地悪くじとじとと降り続けていた。
師匠は作業が終わった僕に、うむ。ご苦労と声をかけた。それからおもむろに二枚のCDを手にとって僕の目の前にかざした。
今日の働きに対して褒美を授けよう。一枚やる、選べ。
一枚は山下和仁のアルバムで、もう一枚がナイジェル・ノースのアルバムだった。
狂気の世界なら山下、家宝にするならノース。
二枚のアルバムを持った師匠は、まえるで神話の神様みたいだった。
あなたが湖に落としたのは金の斧?それとも銀の斧?
僕は正直に湖に落としたのは銅の斧だと云いたかった。
そうして運命に導かれる様にナイジェル・ノースのアルバムを選択した。
全てはそこから始まったのかも知れない。
師匠はやがてギタリストの命である爪を落とし、指先で弾く指頭奏法に演奏スタイルを変えた。19世紀ギターの収集を始めた師匠は、ここから独自の世界を切り開いてゆく。音楽観、哲学、奏法、演奏フォーム。
そうして僕の演奏に対する感性もやがてここで形作られる。
音楽世界が別の様相を呈したのだ。
それから数年の月日が流れた。
ナイジェル・ノースのリュートを愛しながら僕は彼が19世紀ギターでアルバムを出していた事を師匠から耳にした。
ネットオークションで出品されているぞ。
僕等はネットの前でオークションの推移に注目していた。
やがて時間が来た。
我々はノースのアルバムを手に入れた。ミッションは成功したのだ。
1984年。AMON RA RECORDS.
GUITAR COLLECTION
Nijel North
もちろんすでに廃盤になったアルバムだ。
師匠はそのアルバムを僕にプレゼントして下さった。
当然僕はへヴィーローテーションでこのアルバムを聴いている。
このアルバムで、ノースは幾種類かのロマンテックギターを使用している。
・Renaissance Guitar
・Vihuela
・5 course Venetian guitar c.1640
・Virginals by Onofrio Guarracino,Italy 1668
・5 course guitar by Dias
・ 5 course guitar by Salomon c.1760
・ Fabricatore 1818
・Panorumo 1818
・ Panorumo 1828
・French guitar c.1825
・ Panorumo 1843
19世紀ギターの特性と奏法的な理由からか、モダンギターの様な華やかさや情感的な演奏ではなく、ノースの演奏は感情的というよりはむしろ感情のエネルギーを内に秘めつつも精神的な静けさを持って音楽を創りだしていく。
そうしてその音楽たちの繊細で、まるで青い月の夜の様な世界は聴き手を魅了して止まない。
たぶん僕は孤独で寂しい青い月の夜には、この音楽を聴きながらお酒を舐めるだろう。まるで心の傷口を音楽で舐めるように。
世界は沢山の音で満ち溢れている。
だがしかし、僕が深夜三時に選ぶ音はたぶんこんな音色だ。
世界にこんな音楽が存在する事に、まるで救いの夢をみるのだ。
素敵だ。
美しすぎる。完璧だった。一つ一つの音が、あの繊細な音色で奏でられるとき、僕は静かに深呼吸をし瞑想のような状態に浸った。ある時はワインを舐め、あるときはウイスキーを飲みながらノースの奏でるバッハに、ある種の精神の静けさを感じた。それは何時かの長崎の古ぼけた教会のミサの静けさ。お寺で気まぐれに始めた座禅の真似事。あの空気に似ている。精神が澄み切ってゆく。僕は空であり日常に痛みつけられた心が緊張から開放されてゆく。お酒が回る世界の狭間で、僕は繰り返し音楽に身を委ねた。
師匠の、外人住宅を改装したギター教室のブロックの壁をハンマーで粉々にしたのは一体何時の事だっただろう?
雨の日だった。
僕はハンマーを振り上げ壁に叩きつけた。まるでベルリンの壁を破壊した東西ドイツの狂乱的な群集の如く。
少し違うのは、東西の壁を打ち砕く若者達の群集の歓喜の声の代わりに、缶ビール片手の師匠の容赦ない指示が飛んでいた事くらいだ。
違う。腰の入れ方が甘い!もっとこう効率的に壁を壊すんだぞ、跡形も無く破壊しろ。
僕は云われるままに無心で外人住宅の壁を破壊しつくした。
雨が意地悪くじとじとと降り続けていた。
師匠は作業が終わった僕に、うむ。ご苦労と声をかけた。それからおもむろに二枚のCDを手にとって僕の目の前にかざした。
今日の働きに対して褒美を授けよう。一枚やる、選べ。
一枚は山下和仁のアルバムで、もう一枚がナイジェル・ノースのアルバムだった。
狂気の世界なら山下、家宝にするならノース。
二枚のアルバムを持った師匠は、まえるで神話の神様みたいだった。
あなたが湖に落としたのは金の斧?それとも銀の斧?
僕は正直に湖に落としたのは銅の斧だと云いたかった。
そうして運命に導かれる様にナイジェル・ノースのアルバムを選択した。
全てはそこから始まったのかも知れない。
師匠はやがてギタリストの命である爪を落とし、指先で弾く指頭奏法に演奏スタイルを変えた。19世紀ギターの収集を始めた師匠は、ここから独自の世界を切り開いてゆく。音楽観、哲学、奏法、演奏フォーム。
そうして僕の演奏に対する感性もやがてここで形作られる。
音楽世界が別の様相を呈したのだ。
それから数年の月日が流れた。
ナイジェル・ノースのリュートを愛しながら僕は彼が19世紀ギターでアルバムを出していた事を師匠から耳にした。
ネットオークションで出品されているぞ。
僕等はネットの前でオークションの推移に注目していた。
やがて時間が来た。
我々はノースのアルバムを手に入れた。ミッションは成功したのだ。
1984年。AMON RA RECORDS.
GUITAR COLLECTION
Nijel North
もちろんすでに廃盤になったアルバムだ。
師匠はそのアルバムを僕にプレゼントして下さった。
当然僕はへヴィーローテーションでこのアルバムを聴いている。
このアルバムで、ノースは幾種類かのロマンテックギターを使用している。
・Renaissance Guitar
・Vihuela
・5 course Venetian guitar c.1640
・Virginals by Onofrio Guarracino,Italy 1668
・5 course guitar by Dias
・ 5 course guitar by Salomon c.1760
・ Fabricatore 1818
・Panorumo 1818
・ Panorumo 1828
・French guitar c.1825
・ Panorumo 1843
19世紀ギターの特性と奏法的な理由からか、モダンギターの様な華やかさや情感的な演奏ではなく、ノースの演奏は感情的というよりはむしろ感情のエネルギーを内に秘めつつも精神的な静けさを持って音楽を創りだしていく。
そうしてその音楽たちの繊細で、まるで青い月の夜の様な世界は聴き手を魅了して止まない。
たぶん僕は孤独で寂しい青い月の夜には、この音楽を聴きながらお酒を舐めるだろう。まるで心の傷口を音楽で舐めるように。
世界は沢山の音で満ち溢れている。
だがしかし、僕が深夜三時に選ぶ音はたぶんこんな音色だ。
世界にこんな音楽が存在する事に、まるで救いの夢をみるのだ。
素敵だ。