写真をあまり持っていない。
何故だか分らないけれど、写真に撮られることをまるで明治時代の人の様に怖れていた。自意識過剰なのかどうか、残っている写真で僕はいつもそっぽを向いている、煙草を口にくわえている。
まわりの仲間もわりかし写真に無頓着だった。写真撮る前にいつも酔っ払うことに忙しかった。だから、その当時、僕らが何をしていたのかはおぼろげな記憶を辿るか、残された数枚の写真に頼るかそのどちらかしかない。
そうしてもちろん、記憶なんて勝手に自分で美化してしまう危うげで信頼できないものだから、やっぱり過去は忘却の彼方だ。
僕らは一体ぜんたい何をしていたのだろう?
写真の中の僕は、何故か長髪で汚いブーツを履いている。
友人が変な顔をして酒瓶を振りかざしている。
何処かの国からの留学生が中指を突き出している、奴とショットグラスでウォッカの飲み比べをして記憶を無くしてソファーに這いつくばっている。そんなとこばかし写真に撮られている。
ずっと通いつめた喫茶店のマスターが笑顔で微笑んだ。
いつだって、その気になれば戻れる、なんて思っていた。
まわりの仲間がいなくなるなんて想像力を超えていた。
だから。
たぶん、安心しきって記録する行為に無頓着だったのだろうか?
いつしか連絡が途絶え始める。いつしか連絡するのに話題が要るようになった。
僕は髪を短く切った。仕事に追われた年月。
そうして、たまに写真のまだ生活に慣れない僕らの姿を見て思うんだ、写真でも撮っとくんだったな~なんて。
いずれにしても過ぎた話は仕方ない。
家には、2,3年まえに撮った、家族写真が飾られている。
みんな笑顔だ。
親父もお袋も妹も弟も、もちろん僕も。
この写真もいつか