眠りたい

疲れやすい僕にとって、清潔な眠りは必要不可欠なのです。

遠い記憶

2025-02-12 | 
それは遠い記憶
 薄っすらとした白い息が
  少し開いた君の呼吸を確認させてくれる
   ねえ
    生きているの?
     少女の問いに答えず僕はレモン水をコップに入れて差し出した
      少女は赤い舌でレモン水を少しだけ舐めた
       甘い。
        ハチミツが入っているんだ。
         僕は煙草に灯をつけ
          緑色のソファーで横たわる彼女を見つめた
           ソファーは使い古しの古道具屋から譲り受けた物で
            色褪せ
             或るいはスプリングが絶望的なままに
              飛び出していた
               それでもその緑色のソファーは
                数少ない仲間内では特別な存在で
                 そこで深い眠りにつく誰しもが
                  柔らかで優しい夢を見た
        
                ねえ
               生きているの?
              少女が身を起こしコップをかざしながら尋ねた
             僕は空になったコップにそおっとレモン水を注いだ
            ねえ
           生きているの?
          僕のことかい、それとも君のこと?
         僕は煙草の灰を灰皿にしていた白い小皿に
        飛び散らないようにゆっくり落とした
       まるで大切な記憶が欠落してゆく様に
      君のことならたぶん生きているよ。
     頭が痛い。
    少女は短く切りそろえた髪の毛に手を突っ込んでそう呟いた
   飲みすぎたんだよ、少しばかりね。
  みんなは?何処にいったの?
 広い部屋を見渡して彼女が呟いた
みんな、それぞれ自分の世界に帰ったよ。
 僕は答えて天窓の方を見上げた
  青い月夜だった
   冬の名残の夜の冷たい空気がとても清潔だった
    まるでアルコール消毒された注射器の針のようだった
     どうしてあなたは此処にいるの?
      少女が不思議そうな口調で尋ねた
       
       どうして僕は此処にいるのだろう?

       たぶん帰れる処がなかったからだ
      それに少女ひとりを残してこの世界を黙って去る訳には
     いかないような気がした
    ただそういう気持ちがしただけだったのだ
   それが理由だよ。
  僕がそう云うと少女は白い息でため息をついた
 まるで存在そのもに重さがない様な羽毛のようなため息だった
ありがとう。
 コップを僕に手渡しして彼女は僕に煙草が吸いたいと告げた
  僕はフィリップモーリスに灯を点けてから
   彼女に煙草を渡した
    彼女は深く深呼吸をするように煙を吸い込んだ
     吐き出した薄っすらとした白い息が宙空にぼんやりと浮かんだ
      誰もいないのね?
       少女がもういちど確認するように僕の顔をみつめた
        うん みんな帰ったよ。
         僕は煙草を白い小皿でゆっくりと揉み消した
          君と僕が残ったんだ。
           あるいはわたしとあなたが残されたのね?
            レモン水美味しかった。
             それはよかった。
              ハチミツを入れると酔い覚ましになるんだ。
               そう。
              
              少女は緑色のソファーから立ち上がって
             古臭くてだだっ広いだけの部室を一瞥し
          軽音楽部の部室の真ん中のアップライトピアノに向かった
           そうして大切な何かを優しく撫でるように蓋を開けた
          ピアノの前の椅子にゆっくり腰掛け
         それから天窓からのぞく青い月を見上げた

        青い月夜ね

       少女はそう呟いて鍵盤を何度も愛おおしそうに撫でた
      彼女の大切なものが何なのか僕にはさっぱり想像できなかった
     
     青い月夜ね

    もう一度呟いて煙草を床に投げ捨て
   ブーツの踵で吸殻を踏み潰した
  僕には何をどうしていいのか分からなかった
 どうして少女がそんなになるまでお酒を飲むのか
どうして大切なものに触れるかのようにピアノの鍵盤をなぞるのか
どうして吸えもしない煙草をブーツの踵で踏み潰したのか
 

  考え込む僕の耳元にピアノの音が柔らかく響いた
   戦場のメリークリスマス
    青い月の光が少女とピアノに降り注いだ
     まるで一枚の絵画のようだった
      まるで奇蹟のように
     僕は部屋に残されたウイスキーの瓶に口をつけた

     ただ真夜中に哀しい音楽が響き渡った

     どうしてあなたは此処にいるの?

     少女の問いかけが耳に木霊した

     旅に出る仕度をしなければ

     たぶんもう此処にもいられなくなる

    あれから気の遠くなるような時間が流れた
   もう彼女が何処で何をして暮らしているのかも
     もちろんわからない
   みんなと同じように自分の世界を見つけられただろうか?
     
      揺れていた時代の 
     
     薄っすらとした遠い記憶







    
       
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プレゼント

2025-02-10 | 
あの日あの時間違えた別れ道で
 僕はいつだって憂い
  煙草を吹かせて哀し気に微笑んだ
   何時かの微笑
    困惑した世界の中心点で黒猫があくびする
 
     ねえハルシオン
      どうして僕は現世にいるのだろう?
       もう誰も居なくなってしまった世界で
        どうして僕は楽器を弾いているんだろう?

        黒猫は何も答えずに優美に紙煙草を嗜んだ
         それから一枚のタロットをめくった
          「道化」
           くすくす微笑んで
            黒猫は楽しそうにワインをグラスに注いだ
             僕は途方に暮れて空を見上げた
              あの日に少しだけ似た
               重く垂れ込めた灰色の世界
                地団太の孤独
                 少年時代から出遅れた足音
                  オルゴールが鳴り始め
                   世界が終焉を迎える頃
                    あの日あの時の一瞬
      
                    僕はギターを弾いていた
                     カルリの練習曲を弾き
                      回らない指でジュリアーニの楽譜をさらっていた
                       中庭の卓球台で試合を楽しんでいた男性が
                        お調子者らしく
                         エリック・クラプトンは弾かないのかい?
                          と口笛を吹いた
                           「ティアーズ・イン・ヘブン」
                            その頃
                             みんなこの曲に浮かれていた
                              僕は黙って
                               ランディーローズの「Dee」を弾いた
                                退屈そうにみんな中庭を去った
                                 僕は黙々と楽器を弾いていた
                                  とてもとても寒い冬の日だった

                                  寒くないの?
                                 声に驚いて顔を上げると
                                先生が優しそうに珈琲カップを僕に手渡した
                               口にした珈琲がとても暖かかった
                              寒くないの?
                             彼女はもう一度確かめるように尋ねた
        
                            寒いですよ、もちろん。

                           手袋をすればいいのに。

                          手袋をしたらギターが弾けないんです。
                         僕の答えに彼女は
                        それもそうね。
                       と呟いて巻いていた緑色のマフラーを取って
                      僕の首に巻いてくれた

                     暖かいよ、それ。

                    でも先生が寒いでしょう?

                   大丈夫。医局は暖房が暑いくらいなの。
                  それに素敵な音楽で気持ちが暖かくなったから大丈夫。
                 あとね、
                煙草は控えめにね。

               そう云って彼女は建物の中に姿を消した
              残された緑色のマフラーはいい匂いがした

             先生は忙しそうにカルテを抱えて歩き回っていたけれど
            僕がギターを弾き始めると何処からか現れて
           曲が終わるまで興味深そうに聴いていた
          それから
         また聴かせてね、と云ってすぐに何処かに消えた
        不思議な先生だった
       でも僕はその先生となんとなく気が合った

      こんにちは。

    そう云って先生が中庭のベンチの僕の隣に座った

   今日は忙しくないんですか?

  私、今日お休みなの。

 休日出勤ですか?

そんなところ。
 ね、良かったら何か聴かせて。

  僕は魔女の宅急便の「海の見える街」を弾いた
   曲が終わると先生は満足そうに微笑んだ
    それからキャンデーを僕にくれた
     煙草のかわり。
      そう云って自分の口にもキャンデーを放り込んだ

       不思議よね。
        どうしてそんなに指が動くのかしら?
         私の指も練習したらそんなに動くのかな?

          出来ると想いますよ。

           彼女は笑って無理よと呟いた。

           私、不器用なの。手術もそんなに上手じゃないし。
            
           僕はなんて云ったらいいのか分からず黙り込んだ

          先生は悪戯っぽく、嘘よと微笑んだ。
         僕等は二人でくすくす笑った

        先生は他の先生たちと飲みに行ったりしないんですか?

       どうして?

      いつも此処にいるから。

     そうね。人が多い処が苦手なの。それに。
    それに他の先生たちとは大学が違うから

   そういうの関係あるんですか?

  それはやっぱり人間関係だから。

 なんだかままならないですね。

そうね。ままならないわ。
 そこにいつも貴方のギターが流れてくるのよ。
  花を見つけた蜜蜂みたく吸い寄せられるの。
   お陰で仕事が溜まって休日出勤なの。

    ごめんなさい。
     僕が謝ると、
      嘘よ。信じないで。
       と可笑しそうにくすくす微笑んだ

        此処を出たら大学に戻るの?

         キャンデーを舐めながら先生が尋ねた
          僕は途方に暮れて空を眺めた
           
           あなたはたぶんもう大丈夫。
            何処に行ってもね。

             僕は先生にマフラーを返そうとした

              いいの。あげる。

               いいんですか?

                うん。
                 あなた今日何の日か知ってる?

                  知りません。此処にいると時間や日にちが曖昧になって。

                   クリスマスよ。
        
                    プレゼント。それ。
                     いつもギターを聴かせてくれたお礼に。
                      

                      ね、いつか私にも教えてくれる?


                       何をです?

 
                       ギター。


                      教えてね。


                     そう云って先生は建物の中に入っていった

      
                    三日後


                   僕は其処を去った


                  先生に挨拶をする事は叶わなかった


                 ねえハルシオン。


                先生ギター弾いているかな?


               懐かしそうな目で黒猫は空を眺めた


              冬の日


             掠れかけた記憶の残像


            クリスマスプレゼントの想い出
























         
                        
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銀の首輪

2025-02-04 | 
黒猫のハルシオンが
 気だるそうに銀のネックレスを悪戯している
  僕は風に吹かれてぼんやりと煙草を吸った
   煙が白線の様に清潔な青い空に流れていった

   こういうのってさ、嫌いなんだよね、おいら。
  
    ハルシオンが不服そうにネックレスを指さした
      なんだかさ、
      縛られているっていう状態がさ、おいららしくないっていうかさ。
       大体、猫って自由さの中にその存在意義が定義されているのにさ、
        甚だ不愉快だよね。

         そう云って黒猫は銀の首輪を外し
          気楽そうに煙草に灯を点けた

           存在意義って?

            少年だった僕に黒猫はしたり顔で話し始めた

             あんたにだってあるだろう?
              薄れゆく記憶の中でどうしても失いたくない大切なものがさ。
               そういうの存在意義って云うのさ。
              
                大切なもの?

                 そう。
                  追い求めて探しあぐねた誰かの影や
                   街角の歌
                    街灯の下の不穏な夢の名残たち
                     サーカスのテント
                      決して訪れはしなかったあのパレード

                      それらはね、銀のネックレスでは到底辿り着けない領域の出来事なのさ
                       
                       ねえ、
                        風の丘への道順は何処へ消えたの?
 
                         僕の問いには答えず黒猫はビールの缶を開けた
                          僕等は風に吹かれ
                           ただ黙ってビールを飲んだ
                            大きな木の下で
                             ただ酔っぱらった
                              それはまるで遠い記憶の様だった

                              あんたの大切なものはなんだい?

                             急に想い出したようにハルシオンが呟いた

                            大切なもの

                           壊れ物

                          僕等の精神の危うい均衡
                         物憂げな物語
                        怠惰で怪訝な日常の羅列たち

                       おいでよ

                      記憶の君がくすくす微笑んだ

                     風の丘
 
                    熱気球に乗って旅立った彼女彼等の物語

                   わずか数秒の中に永遠を夢見たあの日

                  僕等は夜の子供たちだったのだ

                 おいでよ

                他愛の無い造形で

               描写した世界の模倣

              銀の首輪を見つけたのは君だった

             そうしてその鍵は永遠に見つからない

            黒猫が楽しそうに微笑んだ

           行くかい?
          おいらと一緒に
         永遠の旅に

        ワインのボトルと煙草を持って

       我々は旅に出たんだ、きっと

      白い煙がたなびく向こう

     あの永遠の領域に於いて

    旅に出たのだ

   きっと

  繋いだ手を離さないで

 どうか

お願いだから



































                         
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