柴犬多頭飼い コクマチャどん

コロクロ日記で07年に開設したブログ。15年から『コクマチャ日記』、さらに24年から『コクマチャどん』になりました。

母の引っ越し

2009-02-06 08:25:34 | 介護
グループホームに入所していた母が月曜日に特養へ引っ越した。


2年近くお世話になったグループホーム。職員さんには本当に良くして頂いたが、ここは要介護3くらいまでの人が入る所。4だった母は、特養の部屋があくのをずっと待っていた。お別れの時は、職員さんが皆さん涙で送り出して下さった。(お別れの時は、私も涙々で写真を撮るのを忘れた。これはホームからミカン狩りに行った時の父と母。)


60歳過ぎたところでアルツハイマーになってしまった母。数年間ゆるやかな進行だったが、良くなることのない病気だ。家族のことが誰かわからなくなってからも、父はずっと一人で献身的に介護していたが突然やってきた昼夜逆転や徘徊。母の面倒を最後までみると言っていた父も、心身共に疲れ果て鬱状態のようになってしまったために、グループホームに母を入所させるよう私がすすめた。


父に限らずだと思うが、最後まで自分で介護しようと思っている人は、施設に入れることを悪いこと(申し訳ないこと)だと思いこんでいる方が多いような気がする。が、同じ話しを一日中、繰り返しているのを聞いていたり、徘徊で目が離せない状態になった患者を抱えている介護者は本当に大変だ。周りに他に頼る人があればいいが、一人で抱え込むには限界がある。


私は義父とも同居しているし、実家から車で1時間ほどの所に住んでいるため、週に一度は通っていたが充分手伝うことは出来なかった。父も自分自身の体調のこともあり、しぶしぶ母の入所を決意した。ホームの申し込みと同時に、特養への申し込みをしたが、私の住む市の特養は200~300人待ちは当たり前。ただし、先着順ではなく、介護の度の重い人や介護する人がいない人からの入所待ちなのだが。


今回入所できた特養は、娘が2年間ボランティアで通っていたところ。そして、クロもお散歩で行ける場所。1ヶ月くらいは、環境が変わったことで落ち着かないかもしれないので、しばらくはなるべく様子を見に行こうと思っている。


自分の親がこういうことになるなんて、結婚するときは考えもしなかった。なんでもできた人なのに、何も出来なくなってきている母。そして、ほとんど感情のなくなってしまった母。 が、犬好きだった母に犬のぬくもりを感じさせてあげたい。


車の恐いコロをここまで歩かせることは出来ないが、娘がいる時はクロを連れてきてもらい、クロを触れることで大好きだったジュリーのことを思い出させてあげたい。(写真はコロが赤ちゃんで、ジュリーよりも小さかった時。この頃、母の病気はまだ大変なことにはなっていなかった)


笑うことすらほとんどない母は、生きていて幸せなんだろうかと時々思う。が、大腿骨骨折の後、お医者さんから歩けなくなるかもと言われながらも、室内や、近い距離なら屋外も歩くようになった。一時はお箸も持てなくなっていたのに、今は介助して頂きながらだが、自分で食事もできるようになった。母には頑張ろうという意志はないけれど、頑張って生きているんだと思う。父も公共の乗り物を乗り継いで母に会いに来る。私も近くなのだからなるべく会いに行こうと思う。もしかしたら母のためというより、父も私も、自分が後悔したくないからなのかもしれないが。
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経過報告

2008-08-24 15:25:58 | 介護
【しばらく…】について、たくさんのご心配や、お気遣いのコメントをありがとうございました。ブログに載せた以上、コロ・クロには関係のない話ですが、やはり経過報告をしなければと思い更新しました。手術は予定の2時間を40分ほどオーバーし、心配していましたが、麻酔がかかりにくかったために遅れただけらしく無事に終了しました。


金属板とボルト2本が入っているレントゲン写真を見ました。その後、微熱はありますが元気そうです。明日からリハビリが始まるそうですが、理解して行うということは母にはできないため、順調にできるのかなぁと少し心配です。食事は元々介助が必要なため手伝っていますが、1時間くらいかけながらも、なんとかある程度食べることが出来るので栄養はとれていると思います。

実家の犬(ジュリー)だと思っている縫いぐるみを抱いていると、とても落ち着いている母。


【犬ブログ】ですが、以前、私が40過ぎだとブログに書いたときに、同年代の方もたくさんいらっしゃることがわかったので、母の病気についても少し書いてみます。
母は60過ぎた頃アルツハイマーの症状が出ました。進行はかなりゆっくりでしたが、ある時期から急に進行が進み、徘徊や昼夜逆転がおきました。感心するほどよく母の面倒を見ていた父でしたが、その頃から体調を崩し家庭崩壊になりかけました。

それから、デイサービスなどを利用していましたが、全く目を離せない状態になったとき、母は施設に入りました。父は母を施設に入れることに関し、自分を責めているようでしたが、私は施設を利用してよかったと思っています。介護疲れから悲しい事件が起こるニュースを見るたびに、事件が起こるか起こらないかは紙一重じゃないかといつも思っているからです。介護を手伝ってくれる人が周りにいてくれるかどうか…。徘徊しているときは目を離すことができず、介護者は体だけでなく心を休ませる余裕もなくなるからです。


母はとても静かで穏やかですが、今の状態になる前には、怒りの日々もありました。暴れることはありませんでしたが、周りの人に暴言を吐いたり。病気だから仕方がないと言えば簡単ですが、そういう母に対しつい怒ってしまい、自分を責めることもしばしばでした。施設は我が家から近いので、週一で様子を見にいっていましたが、正直言うと義務のように通っていた気がします。が、今は自然に病院に足が向きます。


私のことも誰だか解らない母。骨折したことすら理解できていない母。施設と違い、見たとこのない人たち(先生や看護婦さん)に囲まれていることへの不安もあるはず。なんでもできて、私のセーラー服や、ウエディングドレスまでも作った母なのに、そんな母が遠い目をしながら、ご飯を食べさせてもらっている。なりたくてこんな病気になったわけじゃないのにと、骨折したことより病気がかわいそうで涙が出ます。


つまらない話しになってしまいましたが、最後まで読んで下さった方のお身内が万が一、アルツハイマーにかかった場合、是非、いろいろなところを利用し、1人で抱え込むことのないようにしてくださいね。利用することは悪いことではなく、終わりの見えない長い病気とのつきあいにとても大切なことです。心身共に疲れ果ててしまうことがないために…。
コメントのお返事が書けなくて申し訳ないので、コメント欄、お休みさせて頂きます。
明後日くらいに、不思議なコロの様子をする予定です。
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