柴犬多頭飼い コクマチャどん

コロクロ日記で07年に開設したブログ。15年から『コクマチャ日記』、さらに24年から『コクマチャどん』になりました。

父のこと 6

2022-07-10 09:02:06 | 父のこと

当時ブログには書きませんでしたが、2016年11月、父の誕生日祝いに下呂に旅行に行きました。

その頃の父は杖をつきながらなんとか歩いているような状態で、もう旅行に行くこともできないと言っていたのを思い出し、米寿の記念に一泊旅に連れて行くことにしました。(ホテルで、娘が描いてくれた色紙をプレゼント)

生まれて初めての父との2人旅でした。そしてそれが、最初で最後の2人旅でした。

素敵なお誕生日プレートを作っていただいて父も感激してました。

もう温泉に入ることはないと思っていた父にも、大丈夫な風呂を頼んでおきました。

歩くのが不自由になっていたので散策はせずホテルにいるだけの旅でしたが、とても喜んでくれました。

家に戻って、家族みんなからの米寿記念のお花とパチリ。旅の出発から帰りまでずっとにこやかにしていた父との懐かしい想い出です。

わんこブログですが、父のことを綴った記事におつきあいくださった皆様、ありがとうございました。もうすぐ父が亡くなって1ヶ月。四十九日までは7日ごとのお参りをしています。

コクマチャ日記はまたわんこブログに戻りますが、暑すぎてお出かけもできないので、夏の間は【花まる日記】中心になります。こちらを更新するときは、花まるでお知らせしますね~。

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父のこと 5

2022-07-07 09:19:54 | 父のこと

お通夜の日はパパには帰ってもらい、翌朝までお散歩やご飯などワンズのことをお願いしました。

TちゃんとYちゃん。コロナ禍でうまれた2人は今までなかなか会う機会もなかったけれど、今回長い時間一緒にいました。(オヤツをどうぞのTちゃん)

告別式の日は朝から長時間、小さい2人もとってもおりこうさんにしていてくれました。Yちゃんと、Tパパ・Tママ・我が家のパパさん。

YちゃんとTママ。

Tちゃんと、Yパパ・Yママ。 今回のことでTちゃんもYちゃんも、それぞれのパパ・ママと仲良しになれました。父もきっとそれを嬉しく思っていたんじゃないかなぁ。

Tちゃんは父がホスピスにいる間に何度も会いに行ってくれ、家に帰るとひーちゃん(ひぃじいちゃん)を絵を描いたり、ひーちゃんひーちゃんと楽しそうに言っていたそうですが、告別式の翌日からピタッとひーちゃんと言わなくなったそうです。小さくても、ひーちゃんがいなくなったことがちゃんとわかるんですね。

父が亡くなったあとは、いろいろな手続きが待っていました。いろんなものをきちんと整理してまとめてあったので、いろいろ探さなくちゃいけないということはほぼなかったので助かりましたが、役所では時間もかかるしなかなか大変でした。車があるからまだよかったですが、公共の乗り物で行ったり来たりしなくちゃいけなかったら、それだけで疲れ果てそうな気がしました。

父がホスピスに入る前までお世話になっていた施設の父の部屋、近くを通るたびに見上げていたんですが、6月の終わりから新しい方が入居されたようだす。窓が開いていたり、夜は電気がついていたり、それを見ると、あ~、2ヶ月前まで父が住んでいたんだなぁとちょっぴり寂しい気持ちになったりしています。

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父のこと 4 (ペアルック)

2022-07-03 09:15:11 | 父のこと

17年に母が亡くなったときは、たくさんの方に見送られました。でも、コロナ禍になってから、親戚が亡くなったときも身近な人(親子孫)だけの家族葬になっていたため父もそうしました。父が亡くなったときにはコロナの感染者数は減っていましたが、親戚には連絡だけして家族だけですることを伝えました。

ホスピスに入ったとき、ここを出られるときに着せてあげるお気に入りの服を用意しておいてくださいねと言われていました。父が亡くなったあと葬儀屋さんが来られるまでに、ホスピスの方が父を綺麗にしてその服を着せてくださいました。実はその服、母が亡くなったときに遺影の写真で着ていた服と同じです。父と母が唯一ペアルックで持っていた服。

葬儀屋さんがお寺に父を運んでくださり、いろいろ打ち合わせをしたとき、服はこのままにしますか?と聞かれました。お棺に入るときは白装束(死装束)を着るのが当たり前と思っていたので、え?と聞き返しました。すると今は、その人らしい服で送り出すケースもありますと言われました。白装束や傘、杖、白足袋、草履、手甲、脚絆、六文銭、頭陀袋などはちゃんとお棺の中に入れます。どうしようかと迷いましたが、私たち夫婦と息子・娘家族だけだったので、父を母とお揃いのペアルックで送り出すことにしました。高齢者の多い親戚関係がみんな来ていたら、昔から当たり前とされていた白装束にしていたと思いますが。

母は60過ぎからアルツハイマーとなってしまい、亡くなるまでに顔つきがとても変わってしまったので、遺影は元気な頃の写真を使いました。母の遺影を選ぶときは、着ていた服について何も考えていませんでした。でも、父の隣にその母の写真を置き、数十年ぶりのペアルックになってもらいました。母が亡くなったときは、まさか数年後に父とこんなふうにお揃いの服で並ぶことになるなんて、私も想像もしていませんでした。

      つづく

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