今日の話題はちょっと重いので、コロたちに会いに来てくださった方は、写真だけ見て記事はスルーしてくださいね~。
3月半ばに転んでケガをし毎日医者通いをしていた義父。5月になり医者通いも一日おきとなり、このまま治っていくかなと思っていた。が、今度は外傷からではなく体の病気から足が腫れだし、6月に入ってからまた毎日の通院となった。医者は30分で終わることもあれば2時間近くかかることも。自宅で待っていると私の動きが取れない。(公衆電話から携帯にかけると、10円ではあっという間に切れてしまうので、携帯にかけるのは嫌らしい) 医者以外に連れて行くときは、公衆電話自体がない場所も多いので、携帯を持ってもらうことにした。ややこしくない簡単携帯だ。携帯をパカッと開くと、もうそこに3人の名前が登録されてあり、掛けたい名前の人の番号(①~③)とを押すだけで繋がる。これで私自身も動きが取れるようになり、少し楽になる。
さて、母のことは以前からここに書いているが、症状のひどいときは精神安定剤を飲ませていただくよう施設にお願いしてある。しかし、副作用が心配とのことで、少し良くなると、すぐに中止してしまう。ここ2週間くらいまた症状がひどく、暴言をはいたり、何を言っているのか聴き取れないが怒りの表情でしゃべり続けたり、ものすごい力で掴んできたり、噛みつこうとしたり…。薬の服用をお願いすると、介護士さんもそうしたいようだが主治医の先生は飲ませない方がいいと言われているようだ。
そこで、火曜日の午前中にある定期検診で、直接先生と話をすることにした。以前の施設にいたときは、神経内科の先生に診ていただいていたのだが、今は精神科の先生だ。週に一度母の所に通っている父は、GWあたりから、どうも体調がイマイチなので、私1人で先生に会うことにした。飲んでいる薬のことを調べたら重い副作用のこともついていたので、父にはショックな話があるかもしれないため、直接聞かせたくなかったとこもあったし。
先生が回診にみえたとき、母は大声をあげ暴れそうになっていた。そして、別の部屋で先生と話をしたのだが、副作用が怖いが、この症状では飲ませた方がいいかもしれないとのこと。軽い薬では今の症状はもう抑えられないらしい。今使っている少し強い薬を、今後続けるかどうかについては、私が「よろしくお願いします」と言った。
母は 60を過ぎた頃にアルツハイマーになった。当時は、この病気になると7~8年の命とも言われていた。が、進行が緩やかであったこともあって、父が1人でなんとか11年間自宅介護をした。そして、いよいよ昼夜逆転と徘徊が始まり、もうどうにもできなくなったところで施設に入所した。それから4年。 発病してもうすぐ15年なのだ。今の母に対しては、怒りの中で長く生きることではなく、残りの人生を穏やかな気持ちで過ごさせてあげたい、それが私と父の願いだ。そのことも先生にも伝えた。
そして、薬を続けることになった。施設を出た後、実家に行き先生との会話を伝えた。父は涙が止まらなくなった。夫婦(父と母)、親子(母と私)という立場の違いからなのか、性格からなのかわからないが、私はものすごく冷静だった。父は、穏やかに過ごさせてあげたいと言いながらも、副作用で母の命を短くしてしまうのではないかと、自分を責めるような気持ちになっていた。私は、母は今まで十分病気と戦ってきたのだから、あと何年の命か解らないが少しでも穏やかに過ごすことができればそれでいいと思っている。
母よりも、一人暮らしの父の心のケアが、今は一番大事かもしれない。一人でいれば、母のことしか考えないに違いないから。 翌日、父のことが心配で、連絡を入れずにコロたちを連れ、また実家に行った。父は泣いていたようだった。コロたちが大喜びで父に甘え、実家の中を走り回り、父に笑顔が戻った。私が1人で父の所に行ったところで、父はきっと涙が出てきただけだと思う。コロたちに感謝。
その日の夜、父から電話があった。コロたちが行ったことが嬉しかったとのこと。先生からの話を伝えた夜は眠れなかったらしいが、そんな時、突然ふと、コロたちに会ってみたいなとチラッと思ったんだそうだ。離れて住んでいて、たまにしか会わないコロたちだけど、犬好きの父には心の支えになってくれているんだなぁ。
年を取っても元気に活躍している方が時々テレビに映ったりしているが、逆に孤独なお年寄り、老々介護をしている人たち、体に故障があったり不安のある人は、元気な人以上に多いんだと思う。誰にも平等にやってくる老い。長寿大国日本だけれど、長寿って幸せなんだろうか。元気に老いて行ければいいけれど、自分の身近な人を見ていると、老いって悲しい…そんな思いになる。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。来週からは、また元気なコロ・クロブログに戻ります。
3月半ばに転んでケガをし毎日医者通いをしていた義父。5月になり医者通いも一日おきとなり、このまま治っていくかなと思っていた。が、今度は外傷からではなく体の病気から足が腫れだし、6月に入ってからまた毎日の通院となった。医者は30分で終わることもあれば2時間近くかかることも。自宅で待っていると私の動きが取れない。(公衆電話から携帯にかけると、10円ではあっという間に切れてしまうので、携帯にかけるのは嫌らしい) 医者以外に連れて行くときは、公衆電話自体がない場所も多いので、携帯を持ってもらうことにした。ややこしくない簡単携帯だ。携帯をパカッと開くと、もうそこに3人の名前が登録されてあり、掛けたい名前の人の番号(①~③)とを押すだけで繋がる。これで私自身も動きが取れるようになり、少し楽になる。
さて、母のことは以前からここに書いているが、症状のひどいときは精神安定剤を飲ませていただくよう施設にお願いしてある。しかし、副作用が心配とのことで、少し良くなると、すぐに中止してしまう。ここ2週間くらいまた症状がひどく、暴言をはいたり、何を言っているのか聴き取れないが怒りの表情でしゃべり続けたり、ものすごい力で掴んできたり、噛みつこうとしたり…。薬の服用をお願いすると、介護士さんもそうしたいようだが主治医の先生は飲ませない方がいいと言われているようだ。
そこで、火曜日の午前中にある定期検診で、直接先生と話をすることにした。以前の施設にいたときは、神経内科の先生に診ていただいていたのだが、今は精神科の先生だ。週に一度母の所に通っている父は、GWあたりから、どうも体調がイマイチなので、私1人で先生に会うことにした。飲んでいる薬のことを調べたら重い副作用のこともついていたので、父にはショックな話があるかもしれないため、直接聞かせたくなかったとこもあったし。
先生が回診にみえたとき、母は大声をあげ暴れそうになっていた。そして、別の部屋で先生と話をしたのだが、副作用が怖いが、この症状では飲ませた方がいいかもしれないとのこと。軽い薬では今の症状はもう抑えられないらしい。今使っている少し強い薬を、今後続けるかどうかについては、私が「よろしくお願いします」と言った。
母は 60を過ぎた頃にアルツハイマーになった。当時は、この病気になると7~8年の命とも言われていた。が、進行が緩やかであったこともあって、父が1人でなんとか11年間自宅介護をした。そして、いよいよ昼夜逆転と徘徊が始まり、もうどうにもできなくなったところで施設に入所した。それから4年。 発病してもうすぐ15年なのだ。今の母に対しては、怒りの中で長く生きることではなく、残りの人生を穏やかな気持ちで過ごさせてあげたい、それが私と父の願いだ。そのことも先生にも伝えた。
そして、薬を続けることになった。施設を出た後、実家に行き先生との会話を伝えた。父は涙が止まらなくなった。夫婦(父と母)、親子(母と私)という立場の違いからなのか、性格からなのかわからないが、私はものすごく冷静だった。父は、穏やかに過ごさせてあげたいと言いながらも、副作用で母の命を短くしてしまうのではないかと、自分を責めるような気持ちになっていた。私は、母は今まで十分病気と戦ってきたのだから、あと何年の命か解らないが少しでも穏やかに過ごすことができればそれでいいと思っている。
母よりも、一人暮らしの父の心のケアが、今は一番大事かもしれない。一人でいれば、母のことしか考えないに違いないから。 翌日、父のことが心配で、連絡を入れずにコロたちを連れ、また実家に行った。父は泣いていたようだった。コロたちが大喜びで父に甘え、実家の中を走り回り、父に笑顔が戻った。私が1人で父の所に行ったところで、父はきっと涙が出てきただけだと思う。コロたちに感謝。
その日の夜、父から電話があった。コロたちが行ったことが嬉しかったとのこと。先生からの話を伝えた夜は眠れなかったらしいが、そんな時、突然ふと、コロたちに会ってみたいなとチラッと思ったんだそうだ。離れて住んでいて、たまにしか会わないコロたちだけど、犬好きの父には心の支えになってくれているんだなぁ。
年を取っても元気に活躍している方が時々テレビに映ったりしているが、逆に孤独なお年寄り、老々介護をしている人たち、体に故障があったり不安のある人は、元気な人以上に多いんだと思う。誰にも平等にやってくる老い。長寿大国日本だけれど、長寿って幸せなんだろうか。元気に老いて行ければいいけれど、自分の身近な人を見ていると、老いって悲しい…そんな思いになる。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。来週からは、また元気なコロ・クロブログに戻ります。