定年後の人生に花咲かせよう!

明日を生きるために きょう1日を大切にする 青春を忘れない

姉の日

2022年12月06日 | 日記

 きょうは「姉の日」という記念日で、私の姉も今月が誕生月です。昭和初期の生れで、戦時中、豊橋高等女学校在学中に海軍 工廠(こうしょう)へ学徒動員していたと聞きました。豊川海軍工廠は、終戦間際の昭和20年(1945年)8月7日、アメリカ軍のB29爆撃機による空襲により、2,500人以上の人が犠牲となった悲しい歴史が刻まれた場所です。

 姉は医療事務を担当し、爆撃が行われた西門近くの事務所から、逃げる人々の背後から、低空を飛ぶ爆撃機の機銃掃射によって、将棋倒しで崩れる人の姿を見たと言い、その後の話はつらそうで、聞けませんでした。

 豊川市では歴史の上で、かつてないほど多くの犠牲者を出し、悲しい歴史が刻まれたこの場所で、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えることを目的として、平和公園として整備し、なぜ起きたのか、ともに考え、子孫に語り継いでいく場所として末長く残そうとするようです。

 姉は90代半ばを過ぎましたが今も元気です。私の母と同様に、時折自衛隊の航空機が岡崎の上空を通過する際、B29爆撃機を思い出すので、飛行音を聞きたくないと言っています。

 私が、小学校に入学する頃に結婚し、川崎へ嫁いで行きました。その後、義兄の仕事の関係から岡崎で暮すようになり、やがて3人の子の母となって、幸せな人生を送っています。

 戦中 戦後の厳しい暮らし向きを知る人は少なくなりました。物のない時代を生き抜いて来た人々は、物を大切にし、衣食住に創意工夫がありました。また、辛抱強く、ぜいたくを許さず、我慢もしてきたと思います。「姉の日」を機会に、姉からまだまだ学ぶべき時間を大切にしたいと思います。

 

                       

 

 

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