きょう12月8日は、1941年(昭和16年)に、日本海軍がハワイ・オアフ島の真珠湾を奇襲攻撃し、マレー半島にも奇襲上陸し、香港やフィリピンなどアジアや太平洋各地で一斉に軍事行動を開始した日です。
「トラ トラ トラ」は、日本軍の真珠湾攻撃が奇襲によって開始されたことを伝えた電信の暗号略号で、太平洋戦争の始まりでした。
それから約4年半の終戦に至るまで、人々の暮らしは厳しさに耐え、国家総動員法により、軍事力・経済力・人的能力のすべてを投入する総力戦の体制となりました。
終戦後の小学校へ入学した頃は、ザラ紙の教科書やノートで、担任は代用教員、校舎の窓はガラスに縦 横 斜めに帯状の紙が貼られていたのが印象的でした。上級生になる頃、軍隊から復帰した教師が現れ、虎のごとく厳しい授業でした。
校庭は芋畑を平らにして運動場にしてあり、体育の時間は始まる前に「石 拾い」が行われ、ゴム草履やゲタで通学する児童が多く、授業で石を拾うのは全員が裸足で校庭に出るためでした。
児童の間に毛ジラミがまん延していて、教師が頭髪に「DDT」の白い粉を吹き付けられた女子児童がいて「白虎?」、現在なら人権問題になりそうなこともありました。
戦争は、今 思い返せば、あらゆるところで異常な行動があり、二度と起こしてはならないと、幼い頃からそう思っていました。