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沖縄南部戦線跡

2008-07-04 | 旅行記
沖縄旅行に誘われて同い年3人が揃って出かける予定の前日、
Sさんが自転車で転んでパスに。残念だ!

当日は二人旅となった。沖縄に着いた日の午後、
「沖縄に来たら、先ずはこの戦跡後を訪ねて、それからよ
リゾート感覚の沖縄を楽しむのは」
友人の一言で「南部戦跡めぐり」のツアーに参加。

司令部の壁面には「大君の御はたもとに死してこそ人と生まれし
甲斐ぞありけり」大田司令官の愛唱歌が残されています。
写真では壁面の愛唱歌は確認できないのが残念です。

日本海軍設営隊により、昭和19年に掘られた司令部豪は
米軍の猛攻に、昭和20年6月13日に太田實海軍少将以下
幹部6名が拳銃自決。他の兵士達4千人もたった1年間で
苦労して掘った壕ともども死滅。

白い漆喰壁に今でも手榴弾の破片跡が生々しく残されています。
1人1人の兵士達が親を思い、家族を思い、恋人を偲び、不安と絶望の中で、
自決を図った、そこに思いを馳せるだけで、胸が締め付けられる思いだった。
豪の中が暗くて写真は撮れませんでした。


ひめゆりの塔
この場所には20年前に来た。
其の当時は周囲には何にも無く、囲いの中に洞穴があっただけだった。

現在は入り口に献花用の花を販売する小屋が建ち



洞穴の周囲は綺麗に囲されて、塔なども建って丁重に祭られている。



平和学習で来た学生達の千羽鶴が沢山献納されていた。
 
この後、ひめゆり平和祈念資料館に行った。
次回は、平和祈念資料館の記事を載せます。

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6 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
沖縄 (としちゃん)
2008-07-05 06:43:31
蘭さん、しばらく更新がないと思っていたら、
沖縄に旅行だったんですね。
戦争の跡もたくさん残されているし、今も基地がたくさんあるし、沖縄という所の犠牲の上に、今の本土の繁栄があるのかもしれないわね。
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としちゃん ()
2008-07-05 07:40:43
仰るとおりです。沖縄は本土を守るために犠牲になったんですね。今もまだ基地などが沢山有って犠牲を強いられていると思います。

ひめゆりの90歳近い方々が今、平和祈念館で語り部として語り始めています。

其の一人の方から生々しい当時の様子を
伺うことが出来ました。
涙無しには聴くことが出来ませんでした。
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悲しい歴史の爪あと (anikobe)
2008-07-06 09:11:05
映画で書物で、日本で唯一つ連合軍との対戦地となった沖縄の惨状は風化することなく多くの人の心の中に残されていますね。

その爪あとを辿りながら、平和の大切さを思うことは意義深いですね。

基地問題の数々も、報道を通して知るのみですが、蘭さんの目で捉えられた沖縄の記事の続きを期待しております。
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anikobeさん ()
2008-07-07 19:26:01
書物で読み、画像で見て、いろいろ考えてきたつもりでしたが、現地での生々しい爪跡を、この目で確かめることの重さを実感しました。

沖縄の中高生の平和学習の取り組みを実際に見て、とても力強く思え、希望がわきました。
平和学習の取り組みを本土の中高生にも実施してほしいと思います。
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おひさしぶりです (yo-ko)
2008-07-08 14:57:56
沖縄といえば、私はリゾートしか
思い浮かばないです。
学生時代歴史としては学習したけど
実感がありません。
最近は石垣島で泳いできました。

裁判で集団自決は軍の命令が云々の
記事を読みましたけど、先生のブログで
やはり軍の命令はあったような気がしました。

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yo-koさん ()
2008-07-08 17:27:10
沖縄に最近行ったのかしら?
もしかしたら何処かですれ違っていたりして。

私も石垣島や小浜島でのリゾートが
イメージとしてはあるのよ。
でもね、今回現地の人々の生の声に触れる事が
出来て本当に自分が恥ずかしいと思いました。

また、おいおいひめゆり部隊のことは書きますけど、yo-koさんも是非「ドキュメント沖縄戦」
「ひめゆりの塔をめぐる人々の手記」など
読んでみてね。
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