むかし。
お父さんやお母さんが、まだほんの子どもだったころ。日本はせんそうのまっさいちゅうでした。
そのころのことです。
広島の町のある横町に、小さい石じぞうが立っていました。
石じぞうはまんまるい顔をして、いつも、いつも、「うふふ。」とわらっているように見えました。
ある日、青い服を着た女の子が、通りかかりました。女の子は、
「おじぞうさん、わらってる。」
と言って、自分も、「うふふっ。」とわらって見せました。
またある日、おじいさんが通りかかりました。おじいさんはごつごつの手で、石じぞうの頭をなぜてから、言いました。
「石じぞうはええ、せんそう知らずじゃ。」
おじいさんの言うとおり、石じぞうはせんそうのことも知らないで、来る日も来る日も、わらい顔で立っていました。
石じぞうの前を、毎日、毎日、たくさんの人々が通りました。人々は石じぞうのわらい顔を見て、石じぞうを、「わらいじぞう」とよびました。
その朝も石じぞうは、わらった顔で立っていました。ま夏の朝でしたから、太陽は広島の町を、すみずみまでてらしました。
学校も、ビルも、家々も、朝日に光っています。石じぞうも、まぶしく光りました。
そのときです。
まっさおな空に、急にひこうきがあらわれました。それは、アメリカのB29というばくげききでした。
ひこうきは、朝日の中をぐうんと下りてきたとみるまに、広島の町のまん中に、原子ばくだんを投げつけました。
町じゅうを、白っぽいぎらぎらの光がぬりつぶしました。
人々も、家々も学校も、そして石じぞうも、目のくらむ光の中で息を止めたとき、
グワ、ワ、ワ―――――――――ン
と、広島の町は大ばく発しました。
あっ、というひまもない出来事でした。目の前に太陽が落ちた、としか思えないくらいです。
目がくらみ、耳がさけ、体じゅうやけました。
ガラスも、柱も、かわらも、人々も、空にふきとばされました。
そして、火のかたまりになって、地面にたたきつけられました。
「にげろー。」
「いたいよー。」
「助けてー。」
人々のうめき声が、大きなうずまきになりました。
石じぞうもふきとばされました。
きりきりと空の中で、火をかぶりました。火の間から、ガラスや、柱や、かわらが、こなごなにやけてとけていくのが見えました。
ズッドーンと、石じぞうはやけたすなの上に落ちました。体はあついすなにうずまり、わらった顔だけが、地面の上にのぞきました。
やけちぎれたシャツをまとった人々が、たおれた石じぞうのそばを、足を引きずってにげていきます。
かみの毛までちりぢりにやけたお母さんが、もう死んでしまった赤ちゃんをだいてにげました。
やけどでふくれあがった顔の子どもも、ひょろひょろとにげました。
たくさんの人々がにげるのを、石じぞうのわらった顔が、すなの中から見上げていました。
そのうちに、火は太い柱になってつき上がり、空の上で大きなかたまりに広がりました。赤、だいだい、黄土色、黒、いろいろな色のまじり合った火のかたまりは、まるで大きなどくきのこが、空に向かってにょっきりと生えているようでした。
次の日、ようやく火の消えた広島の町は、すみからすみまでやけ野原でした。家も、学校も、ビルも、木も、花も、何一つのこっていません。
あちこちに、起き上がれないまま死んでしまった人々が、たおれていました。
石じぞうも、すなの中から顔だけ出してたおれていました。それでも、まんまるい顔は、いつものようにわらっていました。
ずっと向こうのほうから、やけのこったぼろぎれが、風にふかれてやってきました。
よく見ると、それはぼろぎれではなく、やけどをした女の子でした。
女の子は、はだしでした。服もすっかりやけて、ぼろぎれをまきつけているだけでした。ぼろぎれのところどころに、ほんの少し、うす青い色が見えます。
「おじぞうさん、わらってる。」と言って、通りすぎたことのある、あの女の子でした。
女の子は、石じぞうのところまで、ゆらゆらとたどりつきました。けれど、もう、ひと足も進めなくなったのか、すわりこんでしまいました。そしてそのまま、うつぶせにたおれました。
うつぶせにたおれたはずです。女の子のせなかは、べったりとやけどをしていました。それはまるで、せなか一面に、まっかなぼたんの花でも、はりつけているように見えました。
女の子は、しばらくじっとしていましたが、すぐ目の前に、石じぞうの顔を見つけると、
「母ちゃん、水。」
と言いました。石じぞうのわらい顔をお母さんかと思ったのでしょう。
かさかさにかわいた口を開けて、
「水が飲みたいよう。」
とくり返します。
太陽のてりつけるやけ野原に、水など一てきもあるはずはありません。
女の子は、石じぞうを見つめて、
「水、・・・・・・ねえ、・・・・・・水。」
と言います。そのうちに、女の子の声は、だんだん細くなっていきました。
すると、今までわらっていた石じぞうの顔が、少しずつかわっていきました。
ぎゅう、ぎゅう、ぐい、ぐいと、力が入っていったのです。
もう、「うふふっ。」とわらった顔ではなくなりました。口をぎゅっとむすんでいます。目は、ぐっとにらみつけています。
石じぞうの顔は、こわれてしまいそうに、力いっぱいの顔になりました。まるで仁王さんの顔です。
「・・・・・・水・・・・・・。」
女の子の声は、消えてしまいそうになりました。
そのときです。
石じぞうのにらみつけた目玉から、ぽとりと、なみだの玉がこぼれたのです。
石じぞうのなみだは、まんまるの玉になって、すなの上をころがりました。それから次々になみだはぽとぽと、ころころところがって、女の子の口の中にとびこみました。
なみだは、あとから、あとから、こぼれました。女の子は、口からのどまでぬらして、うっくん、うっくん、うっくんと、石じぞうのなみだの水を飲みました。
長いことかかって、なみだの水を飲み終わると、女の子は石じぞうを見つめました。そして、
「母ちゃん。」
と言って、少しわらいました。
女の子は、うつぶせにたおれたままでしたが、顔だけ上げて空を見つめました。
「きれいねえ、すずしいよ。」
ほんとに、そのとおりでした。
ばくだんの火とけむりは、もうすっかり消えていました。空はうっすらと青く光っていましたし、すずしい風がふいていったところでした。
女の子は、遠い空の上のほうを見上げて、何か、歌でも歌っているようでした。けれどいつのまにか、ぐったりと顔をふせました。そしてそのまま、ぴくりとも動かなくなりました。
女の子が動かなくなったとき、石じぞうの力いっぱいの顔が、ぐらぐらとゆれ始めました。
やがて、音もたてないで、石じぞうの顔はくずれていきました。
ぐさぐさ、ぐさぐさ。
首から上はとうとう、すなのつぶになってしまいました。ひとかたまりのすなのつぶつぶは、あたり一面のやけたすなの中に、まぜこぜになってしまいました。
石じぞうは首から上のない、どう体だけの石じぞうになりました。
何日も、何日もすぎていって、広島のやけ野原には、生きのこった人たちが、一人、また一人と帰ってきました。その人たちは、やけあとをかたづけました。家も新しくたて始めました。広島の町を、もう一度つくりだしたのです。
すなにうずもれていた石じぞうのどう体も、だれかがだき起こしてくれました。それで石じぞうは、首から上がないままで、じっと立っていました。
ある日、一人のおじいさんが通りかかりました。おじいさんは、首から上のない石じぞうを見ると、かけよってきて、
「おう、おう、おまえは。」
と、ごつごつの手で石じぞうのどう体をだきました。
「せんそう知らずの石じぞうも、とうとう。」
そう言って、また、
「おう、おう。」
となきました。
「それにしても、頭なしじゃあのう。」
おじいさんはひとりごとを言って、そのあたりをうろうろと歩きました。石じぞうの頭にちょうどいい石を見つけるためです。
やがておじいさんは、まるっこい石を見つけました。まるい石には、三つのくぼみまでありました。ちょうど目と口に見えます。
石じぞうのどう体にのせてみると、大きさ、すわりぐあいも、ぴったりです。
「これでよし、これでよし。」
おじいさんは、まんぞくそうにうなずきました。そして、
「ばあさんも、むすこらも、ぜんぶやられてしもうたよ。のこったのはわし一人じゃ。」
と、石じぞうのまるい石の顔につぶやきました。
おじいさんは、目を大きく開け、口をぎゅっとむすんで、仁王さんのようなおこり顔になりました。そして、じっと石じぞうを見つめていましたが、そのままとぼとぼと行ってしまいました。
石じぞうはそれからというもの、どう体に石の頭をのっけて、来る日も、来る日も立っていました。
また夏が来て、太陽が広島の町をすみずみまでてらしました。
やけあとにたてられた家々のガラスまども、石じぞうも、まぶしく光りました。
人々がいそがしそうに、石じぞうのそばを通りすぎていきます。
ある日、通りがかりの一人が言いました。
「あれ、この石じぞうは。」
もう一人が言いました。
「なんと、おこった顔じゃ。」
石じぞうはほんとうに、いつのまにかおこった顔になっていました。
まるい石の二つのくぼみは、ぐっとにらんだ目玉に見えます。もう一つのくぼみは、ぎゅっとむすんだ口そのままです。
そこで人々は、石じぞうのことを、「おこりじぞう」とよぶようになりました。
今も、広島の町のある横町に、おこりじぞうはおこった顔で、じっと立っています。
(1982年5月22日発行 「おこりじぞう」編集委員会)
挿絵 三輪田俊助
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モデルになった「おこりじぞう」は、西原ミサヲさんと一緒に娘さんがお嫁入りした松山の龍仙院に来られたそうです(1970年)。
ミサヲさんは、戦後まもなく、焼け跡にころがっている石仏を見れば持って帰っておまつりし、またあるときは歩いていて石につまずいて転び、「こんな丸い石で転ぶとはおかしいな。」と掘り出してみるとおじぞうさんであったり、またあるときは、人づてに粗末になっているおじぞうさんがあると聞いては持ち帰りお祀りしていたそうです。
モデルになった「おこりじぞう」は、この中の一体で、見つけたときには首がなかったそうです。石屋さんに頼んで顔をつくってつけてもらい、ご祈祷してくれる方のところに持って行ったり大事にされていたそうですが、「このおじぞうさんは怒っとる顔をしている。」と何度となく言われていたそうです。
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作者の山口勇子さんは1916年(大正5年)広島市生まれ。広島高等女学校卒業。日本児童文学者協会会員。数年前、80数歳でお亡くなりになったと聞きました。
「おこりじぞう」は最初、雑誌『原爆と文学』(原爆と文学の会発行)に発表されましたが、その後『戦争児童文学文庫』(日本標準社)、『かあさんの野菊』(新日本出版社)に収録され、1980年代には小学校教科書『小学国語三年上』(日本書籍)に掲載されました。
以上の書籍は絶版になっているそうですが、『絵本 おこりじぞう』(金の星社)沼田曜一 語り 四国五郎 絵(山口勇子 原作)は、愛媛県立図書館、松山市立図書館で閲覧可能になっています。
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