われらしんじんのこども

真人幼稚園の子どもたちの日々の様子や、
  楽しいエピソードなどをお伝えしています。

小千谷再訪 【特集・中越大震災から一年】

2005-10-21 23:42:01 | Weblog
 皆さんいかがお過ごしでいらっしゃいますか。
 早いもので、中越大震災から一年がたとうとしています。被災地では今も生々しい震災の爪あとが残り、今この現在も震災から復興へ向けた地道な努力が続けられています。新聞やニュースなどの報道でさまざまな取り組みや、人々の日々の営みが伝えられるたびに、私だったら今ごろどんな思いで生きているだろう、何をしているだろうと、考えさせられます。そして、同じ新潟県民としていったい自分はこの一年何をしてきたのだろうか、と。すぐ目の前に震災によって傷つけられている人たちがいて(実際に私の親戚もたくさん被災した)、私自身もまたそのさなかにあって実際に大きな揺れを経験して、他人事ではない何か重大な感慨をいだかずにはおれないのです。私は多くの皆さんと同じように私にできることはなんなのか、そのことをこの一年間ずっと考えつづけてきました。それは、卑小なるひとりの人間として、あるいは幼児教育に携わる者として、あるいは拙いながらもこうして文章に書きつづけるもの書きとして。
 しかし、中越に何度も足を運ぶたびに私は次第にどうしようもない思いにとらわれることがありました。ふだん新潟市内に暮らしていると、その震災がもたらした激しい傷あとを感じずに済むためでもあるのでしょうが、日々の平穏な暮らしに取り紛れて自分の記憶の中からも次第に何か大切なものが失われていくのを感じるのです。自分がもうすでにその場所から(その記憶から)遠ざかろうとしていることに気づかされるのです。皆様もご存知の妙見の崩落現場にあらためて立ってみるとそのことがよくわかります。何も終わっていないのだということが。何もかもが破壊し尽くされたされたあとに、何もかもがいま始まったばかりなのだ、と。
 その事実は私にとって少なからずのショックでもありました。私はあまりにも自分の普段の生活に慣れすぎている。今の自分の生活がある日その根底から覆されるような事態にはならないだろうとどこかで高をくくっている。自分の中のどうしようもないおごりを感じる。そういう大変な事態がごく身近に起こっていてもさえも。だから今、私は私自身の傲慢さと戦っているのです。自分に何ができるのか、そんなことばかり考えていても結局何もできなかったではないか、と。しかしそんな私でも、できることはあったのです。確かにひとつだけあった。それは震災に遭われた人々の心の痛みを自分のことのように感じること。想像してみること。そしていま、私はこんな風にも考えています。
 忘れない、ということが何よりも大切なことなのだ、と。

 さて、本日は小千谷市において新潟県私立幼稚園の教育研究大会が行われ、私と園長が出席してまいりました。震災直後ということで中止も検討されたそうですが、できる範囲でやろう、小千谷が元気であるところを見てもらおう、この大会を復興への足がかりにしよう、という小千谷私立幼稚園関係者の皆様の熱意により震災一年を目前にして盛大に行われました。
 小千谷市には3園の私立幼稚園があり、午前は公開保育を午後は全体会で永年勤続者表彰と記念講演が行われました。記念講演にはジャーナリストの櫻井よしこさんが教育の未来についてお話してくださいました。しかし、何よりも私の心を捉えたのは、小千谷市内にある3園の公開保育で目の当たりにした子どもたちの生き生きとした姿でした。言い方は悪いかもしれませんが、子どもたちはどっこい元気に生きていた!というのが、正直な感想であり、何よりも私の心を打つまぎれもない事実でありました。子どもは素晴らしい。私はいったい何をくよくよとウジウジと悩んでいるのか?自分の浅はかさに嫌気がさします。子どもはどんなことがあっても今とここ、そして明日を信じている。それはまた、とりもなおさず、明日を信じて日々努力している大人たちの(小千谷の人々の)真摯な姿を目の当たりにしているからにほかならないのです。

 そんな小千谷大会での子どもたちの様子を写真に収めてきましたので、きょうから3日間にわたり画像をまじえながら私の感想などをお伝えいたします。
 本日の画像は、ひばり幼稚園の子どもたちです。
 
 




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