今日の体重:98.4kg(-6.3kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg
少年時代,大相撲が大好きで本場所のテレビをよく見ていた… 特に大ファンだったのが,第54代横綱「輪島」だった…輪島が負けて兄から輪島の事をバカにされたことがあった…輪島の名を汚されて悔しくて泣いた…それぐらい大好きだった…黄金のまわし…左手で相手のまわしをつかむと,豪快な上手投げ・下手投げが炸裂した…北の湖との横綱対決は素晴らしかった!
小学3・4年ぐらいの頃だったろうか…スーパーマーケットの「ガチャガチャ」(仙台弁ではガチャポン,山形弁ではピーカップという)で何気なく買った「相撲力士人形」…それがきっかけで「とんとん相撲」にハマってしまったのである…
「太魔神・兄」からのリクエストにより,思い出話しを綴ることにした… つい先ほど,職場の上司にも「とんとん相撲」の話しをして笑われた… 相当「変わった人間」だと思うかもしれません…覚悟して読んで下さい… それがしも覚悟して綴ります…
相撲力士人形は「ゴム製品」出来ている…高さ3cmぐらいだろうか…「筋肉マン消ゴム」が大流行したが,その「キンケシ」の力士版といったイメージ…
当時の人気力士「貴ノ花(故・二子山親方)」,「北の湖(現理事長)」,「若乃花(2代目)」,「高見山」,「魁傑」,「増井山」,「旭国」など…もちろん「輪島」も…力士の顔や体型をリアルに再現し作られていた…
全部で12個…いや,「12人」の弟子がいた…それがしは「白田部屋」の親方であり12人は私の弟子だった…もちろん四股名も付いていた…
横綱「紀州山」,大関「隆葉山」,関脇「貴見山」,小結「和島」,前頭1「青葉川」,前頭2「神山」,前頭3「若乃里」,前頭4「青葉川」,前頭5「北ノ海」,前頭6「益井山」,前頭7「旭山」,前頭8「安芸の海」(後の「昭の海」)
「土俵」になっていたのは,食品容器の「タッパー」…母から貰ったもので,「15cm×10cm」ぐらいのタッパー…12人はそのタッパーを相撲部屋として生活するのである…
毎日「稽古」していた…力士達を取り組ませる稽古(試合)が主である… タッパー…いや,「土俵」を「とんとんとんとん…」と手で叩く…「紙相撲」と同じ要領…しかし,叩く力の加減が難しいのである…それがしは長年の技で「好勝負」が可能な力加減をマスターしたのだ…ジェダイマスターと同じ気分だった…
時には腹筋や背筋といった筋トレもする… 究極の筋トレは,「土俵の上に弟子12人を全員立たせ」,タッパーの蓋を弟子たちの「頭上」に載せる…蓋の上に「ティッシュペーパーの箱」などを載せて加重する… ひと晩そのままにしておく…すると弟子達は「筋骨隆々」になるのである…この筋トレをひと晩やると,力士達はもの凄い汗をかく…息使いも荒くなり一言も喋れない状態に陥るのである…(ネ,頭おかしいでしょ?)
力士達の一番の楽しみは,やはり「本場所」だ…12人での総当り戦で全11戦…6勝以上で勝ち越しとなる… 本場所の成績により次の場所の地位が決まる…ただし,横綱~前頭8枚目まで,一役一名が原則だ…いろいろルールを定めた…例えば横綱になるには,本場所「大関の地位」で横綱を2場所連続で倒さなければならない…など… 年6回の本場所…裏が白紙の「新聞広告」などを利用し,手書きで星取表を作った…
力士達は本場所が近くなるにつれ気合が入るのか,体のつやが俄然良くなってくる…そんな状況が目に見えてわかった…(ほら,マジでアホでしょ?) 前述したランキングは,全取り組みの平均ランキングである…が,横綱「紀州山」(きしゅうざん)は,ほとんど横綱の地位にいた… 一番弱小だったのは「安芸の海」(あきのうみ)…いつも1勝10敗か2勝9敗…勝ち越した場所も数えるほどである…背も低かったし,体も細かった… そんな弱小だった「安芸の海」から「引退したい」と相談を受けた…(ヤバッ,マジでヤバイ…っていうか,力士達の声がそれがしには聞こえるんだからしょうがない)
「安芸の海」の体にメスを入れることを決断した…体にメスを入れることは力士にとって究極の選択だった…(その頃ロッテの村田兆治投手が右ひじの手術をした…) 執刀医は「太魔神・兄」だった…「連戦連敗だ」と聞きつけた「太魔神・兄」は,「安芸の海を俺に預けてみろ!」と言うと,迷いもなく手術を始めた…「安芸の海」の体にメスを入れ,何と「針金」を埋め込んだのだ…体重を増加させ,前傾姿勢が取れるよう整形手術したのである… 「ルール違反ではないか…」との声もあったが,それがしが親方として「とんとん相撲協会」へ説得し,ようやく「事なきを得て」本場所へ復帰することができたのである…(兄弟そろって変?ヤバい?)
以後「安芸の海」は「兄の本名」の漢字一字を取って「昭の海」(あきのうみ)と四股名を改める… それからの「昭の海」は5~6勝をコンスタントに挙げるようになり,そして何と1度だけ「全勝優勝」を成し遂げているのだ!…その場所は前頭8枚目での優勝…本場所の「三勝」も全て総ナメ…特別賞として「カムバック賞」も獲得した…ひと場所で全ての勝を獲ったのは「昭の海」ただ一人である…
「太魔神・兄」は野球界でいうと「ジョーブ博士」的な存在となり,「とんとん相撲界」の専任ドクターとなった…(手術は「安芸の海」だけ…) おそらく小学5年生から始めた「とんとん相撲」は,なんと「中学3年」までつづいたのだ…「高校生」になってからも少しやっていたかもしれない… 「とんとん相撲」をやっていることは,兄以外の家族も知っていたと思う… タッパー…いや「土俵」を叩くと結構大きい音がする…受験勉強の合間に「気晴らし」ということで「真夜中」にも関わらず「とんとん…」と大きな音をたてていた… 「バカ息子」をよくも怒らないで見過ごしてくれた家族に大感謝である…それとも「アホな子」で怒る気にもならなかったのだろうか…?!
少年時代,大相撲が大好きで本場所のテレビをよく見ていた… 特に大ファンだったのが,第54代横綱「輪島」だった…輪島が負けて兄から輪島の事をバカにされたことがあった…輪島の名を汚されて悔しくて泣いた…それぐらい大好きだった…黄金のまわし…左手で相手のまわしをつかむと,豪快な上手投げ・下手投げが炸裂した…北の湖との横綱対決は素晴らしかった!
小学3・4年ぐらいの頃だったろうか…スーパーマーケットの「ガチャガチャ」(仙台弁ではガチャポン,山形弁ではピーカップという)で何気なく買った「相撲力士人形」…それがきっかけで「とんとん相撲」にハマってしまったのである…
「太魔神・兄」からのリクエストにより,思い出話しを綴ることにした… つい先ほど,職場の上司にも「とんとん相撲」の話しをして笑われた… 相当「変わった人間」だと思うかもしれません…覚悟して読んで下さい… それがしも覚悟して綴ります…
相撲力士人形は「ゴム製品」出来ている…高さ3cmぐらいだろうか…「筋肉マン消ゴム」が大流行したが,その「キンケシ」の力士版といったイメージ…
当時の人気力士「貴ノ花(故・二子山親方)」,「北の湖(現理事長)」,「若乃花(2代目)」,「高見山」,「魁傑」,「増井山」,「旭国」など…もちろん「輪島」も…力士の顔や体型をリアルに再現し作られていた…
全部で12個…いや,「12人」の弟子がいた…それがしは「白田部屋」の親方であり12人は私の弟子だった…もちろん四股名も付いていた…
横綱「紀州山」,大関「隆葉山」,関脇「貴見山」,小結「和島」,前頭1「青葉川」,前頭2「神山」,前頭3「若乃里」,前頭4「青葉川」,前頭5「北ノ海」,前頭6「益井山」,前頭7「旭山」,前頭8「安芸の海」(後の「昭の海」)
「土俵」になっていたのは,食品容器の「タッパー」…母から貰ったもので,「15cm×10cm」ぐらいのタッパー…12人はそのタッパーを相撲部屋として生活するのである…
毎日「稽古」していた…力士達を取り組ませる稽古(試合)が主である… タッパー…いや,「土俵」を「とんとんとんとん…」と手で叩く…「紙相撲」と同じ要領…しかし,叩く力の加減が難しいのである…それがしは長年の技で「好勝負」が可能な力加減をマスターしたのだ…ジェダイマスターと同じ気分だった…
時には腹筋や背筋といった筋トレもする… 究極の筋トレは,「土俵の上に弟子12人を全員立たせ」,タッパーの蓋を弟子たちの「頭上」に載せる…蓋の上に「ティッシュペーパーの箱」などを載せて加重する… ひと晩そのままにしておく…すると弟子達は「筋骨隆々」になるのである…この筋トレをひと晩やると,力士達はもの凄い汗をかく…息使いも荒くなり一言も喋れない状態に陥るのである…(ネ,頭おかしいでしょ?)
力士達の一番の楽しみは,やはり「本場所」だ…12人での総当り戦で全11戦…6勝以上で勝ち越しとなる… 本場所の成績により次の場所の地位が決まる…ただし,横綱~前頭8枚目まで,一役一名が原則だ…いろいろルールを定めた…例えば横綱になるには,本場所「大関の地位」で横綱を2場所連続で倒さなければならない…など… 年6回の本場所…裏が白紙の「新聞広告」などを利用し,手書きで星取表を作った…
力士達は本場所が近くなるにつれ気合が入るのか,体のつやが俄然良くなってくる…そんな状況が目に見えてわかった…(ほら,マジでアホでしょ?) 前述したランキングは,全取り組みの平均ランキングである…が,横綱「紀州山」(きしゅうざん)は,ほとんど横綱の地位にいた… 一番弱小だったのは「安芸の海」(あきのうみ)…いつも1勝10敗か2勝9敗…勝ち越した場所も数えるほどである…背も低かったし,体も細かった… そんな弱小だった「安芸の海」から「引退したい」と相談を受けた…(ヤバッ,マジでヤバイ…っていうか,力士達の声がそれがしには聞こえるんだからしょうがない)
「安芸の海」の体にメスを入れることを決断した…体にメスを入れることは力士にとって究極の選択だった…(その頃ロッテの村田兆治投手が右ひじの手術をした…) 執刀医は「太魔神・兄」だった…「連戦連敗だ」と聞きつけた「太魔神・兄」は,「安芸の海を俺に預けてみろ!」と言うと,迷いもなく手術を始めた…「安芸の海」の体にメスを入れ,何と「針金」を埋め込んだのだ…体重を増加させ,前傾姿勢が取れるよう整形手術したのである… 「ルール違反ではないか…」との声もあったが,それがしが親方として「とんとん相撲協会」へ説得し,ようやく「事なきを得て」本場所へ復帰することができたのである…(兄弟そろって変?ヤバい?)
以後「安芸の海」は「兄の本名」の漢字一字を取って「昭の海」(あきのうみ)と四股名を改める… それからの「昭の海」は5~6勝をコンスタントに挙げるようになり,そして何と1度だけ「全勝優勝」を成し遂げているのだ!…その場所は前頭8枚目での優勝…本場所の「三勝」も全て総ナメ…特別賞として「カムバック賞」も獲得した…ひと場所で全ての勝を獲ったのは「昭の海」ただ一人である…
「太魔神・兄」は野球界でいうと「ジョーブ博士」的な存在となり,「とんとん相撲界」の専任ドクターとなった…(手術は「安芸の海」だけ…) おそらく小学5年生から始めた「とんとん相撲」は,なんと「中学3年」までつづいたのだ…「高校生」になってからも少しやっていたかもしれない… 「とんとん相撲」をやっていることは,兄以外の家族も知っていたと思う… タッパー…いや「土俵」を叩くと結構大きい音がする…受験勉強の合間に「気晴らし」ということで「真夜中」にも関わらず「とんとん…」と大きな音をたてていた… 「バカ息子」をよくも怒らないで見過ごしてくれた家族に大感謝である…それとも「アホな子」で怒る気にもならなかったのだろうか…?!