しらほぶろぐ

ブログタイトルはニックネームが由来。
日記代わりに身の回りの出来事を綴ります。

特別投稿(太魔神・兄)

2006-03-28 22:16:36 | 15.時事雑記
今日の体重:96.0kg(-8.7kg)2006.02.01~減量開始:104.7kg

自称「野球6もんす協会・初代会長」の太魔神「兄」からの投稿だ…本ブログに対するコメントを書込んだのだそうだが,文章が長く「システム的」に却下されたようだ…

それがしの「あいまいな記憶」と,さらに書込みを却下された「怒りの投稿」…自宅PCにメールが来た…気合が入ったコメントだった…読んでみると,懐かしくその時の情景がよみがえってくる…

ひとつだけ反論…私達の時代の「もみ」は,独立的な遊びに「進化」していた…それは間違いない…

それでは,下記の綴る太魔神「兄」の「怒りの投稿」をどうぞご覧下さい…



野球6もんすのルールが正確に後輩に伝承されていないようで,いささか憤慨している。太魔神が言っている「野球6もんす」と「もみ」を合わせてはじめて「野球6もんす」となるのである。ルールの補足と戦術を説明するのでよく読んで理解してほしい。

・三角ベースの各ベースは,参加する1チーム全員が入れるくらいの円とする。ベース間距離は、そのときのガキ大将の指示に従う。

・先攻,後攻はじゃんけんで決める。 ・先攻チームは,全員ホームベースの円の中に入り一人ずつバッターになる。このとき守備側の守る位置に規制はなくどこでも構わない。但し,ピッチャーだけはバッターと2~3m離れなければならない

・ピッチャーはバッターが撃ちやすい球を投げなければならない。打球をノーバウンドで捕球された場合は即攻守交替になるので,力の無いバッターはバントする。このときバッターランナーは必ずしも進塁する必要はないが,ベース以外のところでボールを当てられるとアウトになり,攻守交代まで試合に参加できなくなる。但し、守備側が投げたボールをランナーが直接捕球した際はアウトにはならない。捕球したボールは,外野へめいっぱい投げることが許されているので,攻撃側のチャンスは拡大する。

・一通り攻め側全員が撃ち終わった後に,太魔神がいう「もみ」が始まる。例えば,ホームベース~1塁ベース間で守備側が「もみ」をはじめたとするとこの「もみ」が※成立する前にホームベースと1塁にいた攻撃側はそれぞれそのベースから離塁しなければならない。成立後,元のベースに残っていた攻撃側はアウトとする。「もみ」の途中で離塁することも許される。
※「もみ」の成立とは守備側が行うベー間でのキャッチボールを6回(3往復)連続,落球やワンバウンドをさせずに行うこと。

・攻撃側の誰かがベース6周(6もんす)を達成すれば再度最初から攻撃ができるというのは太魔神の記述と同じだが,進塁方法を補足する。いわゆる野球でいう3フィートルールがなく「野球6もんす」は無制限なのである。校庭裏の墓地に逃げ込んでもいいし,一旦自宅へ帰って握り飯を食ってきてもよい。でも守備側の深追いは禁物である。その間に「6もんす」を達成されてしまうからである。

以上,ルールの補足及び戦術について記載したが,このゲームの特筆すべきことは,自然に弱者に対する配慮がなされていることである。バッターは手でバントさえできれば参加できるし,ランナーになったとしても強者が弱者の楯となることができる。強者が3フィートラインを超え守備側をけん制し,その間に弱者を進塁させる戦術は常とう手段だった。守備においても強者が「もみ」をし,弱者はその周りでこぼれ球の拾い役に徹する。などなど。ここで言う強者は「上級生」,弱者は「下級生」ともいえるし「ガキ大将」「子分」とも「得意な人」「不得手な人」ともいえる。 当時は「平等・公正」になどという親は少なかったし,子供にかまってくれる親も少なかったように思うが,子供たちの世界(というよりは社会全体)が自然にいろんな意味での弱者との関わりを当たり前としていたように思われる。社会全体で成長していくことの美意識を忘れてしまった日本人はもう「野球6もんす」に興じることはないのだろうか・・・。

「日本野球6もんす協会」初代会長としていささか寂しい思いがする。

 

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偶然の驚き…

2006-03-28 08:21:31 | 15.時事雑記
自宅に絵を飾りたいと常々思っていた… 「熱血野球オヤジ」ゆえに「野球」をモチーフにした絵を探す事に…

そういえば…仕事の打ち合わせで時々お邪魔する「とある会社」の事務所の中に,とても可愛らしい「少年野球」の絵が飾られていたことを思い出す…

早速ネットで検索…そしてHIT! 「作者」が判明…「櫻井幸雄」(さくらい・ゆきお)さん…さて,どんな人だろうか…と,生い立ちを見る… 「1948年・新潟県湯之谷村」生まれ)…と書かれている…(現在湯之谷村は,市町村合併により「魚沼市」に変名) これは,私にとっては「偶然の驚き」だった…

なぜなら「湯之谷」というところは,今私が仕事で最も多く足を運んでいる場所だからだ…可愛らしい「少年野球」の絵が飾られている会社というのも湯之谷にある… なるほど…そういうつながりで「あの絵」が飾られていたのか…と納得…
この絵が「櫻井幸雄」さんの作品である… 


 欲しいと思っていた絵…しかも野球をモチーフにした絵が偶然にも意外と近いところにあった…今度ギャラリーへ足を運んでみようと思う… http://park18.wakwak.com/~art.yukio/
コメント (2)
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