獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

『居場所を探して』を読む その32

2024-10-15 01:54:18 | 犯罪、社会、その他のできごと

友岡さんが次の本を紹介していました。

『居場所を探して-累犯障害者たち』(長崎新聞社、2012.11)

出所しても居場所がなく犯罪を繰り返す累犯障害者たち。彼らを福祉の手で更生させようと活動する社会福祉事業施設の協力で、現状と解決の道筋を探った。日本新聞協会賞を受賞した長崎新聞の長期連載をまとめた一冊。

さっそく図書館で借りて読んでみました。

一部、引用します。

□第1章 居場所を探して―累犯障害者たち
■第2章 変わる
 ■変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって
 □山本譲司さんインタビュー
□おわりに 


第2章 変わる

変わる刑事司法と福祉~南高愛隣会の挑戦をめぐって

(つづきです)

全国で唯一、触法障害者の「入り口」の部分での支援を試みる判定委員会。その活動範囲は長崎県外にも広がった。
裁判段階からの支援が必要な障害者は何も長崎県だけにいるわけではない。むしろ、都市部ほど潜在的な需要が多いことは容易に想像できた」(関係者)。
福岡県地域生活定着支援センターからの依頼を受け、判定委が支援に乗り出したのが橋本貞明(65)=仮名=のケースだった。
橋本はろうあ者だ。生まれつき耳が不自由で、重度の知的障害もある。生活苦などが原因で盗みなどを繰り返し、19回、通算22年余りも刑務所に服役した。
10年9月、橋本は福岡市内のアパートに侵入して現金などを盗んだとして窃盗、住居侵入容疑で逮捕され、11年6月、福岡地裁で懲役10月の実刑判決を言い渡された。
一審では、福岡のセンターと弁護士も支援に動いた。弁護側は「刑務所に収容しても矯正は期待できない」と執行猶予を求めたが、福岡地裁は「障害があるが、刑事責任能力は認められる」として退けた。支援者にとって納得のいく結果ではなかった。
「再び刑務所に送るのが最良のやり方だとは、どうしても思えなかった」
福岡のセンター長、仰木節夫は振り返る。
一審判決後、福岡のセンターは判定委に相談を持ち込んだ。
判定委は即座に支援を決定し、裁判所に橋本の保釈を請求した。保釈金は南高愛隣会が立て替えた。
7月下旬に拘置所を出た橋本は、雲仙市の更生保護施設「雲仙・虹」に入所。法人内のそうめん工場で箱の組み立てをしながら、手話の練習や善悪の判断力を高める訓練を受けた。判定委には勝算があった。「成功例」があったからだ。控訴中に福祉が関与して更生支援を始め、その成果が上がっていることを裁判所にアピールする―。一審長崎地裁で実刑判決を受けた後、福岡高裁で執行猶予付きの判決へとひっくり返った菊永守(33)=仮名=のケースを念頭に置いていた。
控訴審の初公判は11年10月21日、福岡高裁で開かれた。
橋本の更生の状況をつぶさに見てきた「雲仙・虹」の職員(社会福祉士)が弁護側証人として出廷し、「善いことと悪いこととの違いについて理解が進み、手話の表現も増えてきた」と説明。愛隣会が作成した更生支援計画に沿って、継続的に支援していくことを訴えた。一方、検察側は控訴棄却を求め、対決姿勢を示した。
11月9日の第2回公判では、橋本への被告人質問が行われた。
橋本は“片言”の手話を交えながら、「(盗んだのは)悪いこと。もうやめます。本当に申し訳ない。『雲仙・虹』で暮らしていきたい」と主張した。
この2カ月前に弁護士が接見した際「刑務所の生活は安心。パンもくれるし、病院にも連れて行ってくれる」と語った橋本。心境は大きく変化していた。
弁護側は「刑務所に収容しても更生に結び付かない」として一審判決を破棄して執行猶予を付けるよう求め、検察側は変わらず控訴棄却を主張。すべての審理を終えた。
1ヵ月後の12月14日。判決の日。
福岡高裁裁判長の陶山博生は一審福岡地裁判決を破棄し、懲役10月、保護観察付き執行猶予5年を言い渡した。
判決理由で陶山は「一審判決後、被告の障害を踏まえた更生環境が整い、改善の効果が表れ始めている。再犯防止につながる大きな変化」と述べ、刑務所ではなく福祉施設で更生を図ることの「有効性」を認めた。判決言い渡しの後、陶山は「今の生活を大切にして幸せな生活を送ってください」と語り掛けた。
通訳人がその言葉を手話で伝えると、橋本は神妙にうなずいた。
司法の厚い「壁」に風穴を開けた「長崎モデル」。日本の西の端から始まった累犯障害者支援の試みが、弁護士や刑務所、検察組織に与えたインパクトは小さくなかった。それぞれの分野で既に動きだした取り組みもあった。そんな小さな波が重なり、共鳴し合い、やがて大きなうねりを生みだしていった。

(つづく)


解説

司法の厚い「壁」に風穴を開けた「長崎モデル」。日本の西の端から始まった累犯障害者支援の試みが、弁護士や刑務所、検察組織に与えたインパクトは小さくなかった。それぞれの分野で既に動きだした取り組みもあった。そんな小さな波が重なり、共鳴し合い、やがて大きなうねりを生みだしていった。

すばらしい取り組みだと思います。


獅子風蓮